第7話
初めて会った時のように、ホワイトボードの前で上司は言った。
「今からブリーフィングを開始する。二人とも宇宙遊泳のライセンスは持っているからよくわかっていると思う。が、今一度聞いてほしい。ここにはすぐ来てくれる救助隊はいない。俺たちが何とかするしかないんだ」
俺としのめさんは頷いた。さっき俺の考えについて聞いてみたら、「いいと思うわ」と言ってくれた。やったね。
上司は、ライセンスの教官とまったく同じことを話す。
「まずはハーネスを気にしろ。もし投げ出されたとしてもハーネスさえつながっていれば何とかなる。もしなかった時のことは割愛する。
次に酸素と、内部気圧のチェック。少しでも正常値から離れたら教えてくれ。腰にパッチはあるが、それで密封できる範囲は小さいし所詮小手先の修理に過ぎないことを忘れるんじゃない」
今回は上司が船の操縦、俺としのめさんが宇宙遊泳をして直接球体に接触する。今まで接触したことはあったが、特に何ともなかったとのことだ。変形したりはしないので安全、なのか?
「それで調査の方法だが、特定の電波域に反応するのかを調べる。距離が関係しているのかも分からないので、お前たちが直接機器を持っていき様々な電波を出してもらう。反応があれば球体監視衛星がデータを送ってくれるはずだ」
「分かりました」
「ところでしのめ研究員、君は船内にいてもいいんだぞ。あの浅木ってやつも馬鹿じゃないからな、しっかりやってくれると思うぞ」
上司は俺に向かって親指をさした。やっぱり俺の扱いがひどくないっすかね~! しのめさんはくすっと小さな笑みを浮かべ、こっちを見て言った。
「私がやるといったんです、私が出ないとどうするんですか。浅木さんもこんな責任しかないようなことに付き合ってくれたんですから。頑張りましょうね、浅木さん」
彼女がさし伸ばした手をただ握ることしかできなかった。彼女の柔らかい手のひらは何かをつかむようにぎゅっと握り返してくきた。しのめさんのためにも頑張んねえとな。
俺は「やりましょう!」と少し元気すぎる声で返した。
「そうで、すね……」
「浅木、お前あほかよ。もうちょっと雰囲気ってものがあるじゃねえか」
上司はガハハッと広い背筋を動かす。
「まあいいか。しのめ研究員はともかく俺たちには映画みたいな一幕は似合わない。泥臭く一歩ずつ近づいていくだけだ」
さっきまでの元気はどこに行ったのやら、俺は恥ずかしくなって、はいとしか答えられなかった。しのめさんは俺たちを見てまたすこしだけ口角を上げた。前まで見られなかった彼女の素が、ほんの少しだけ垣間見えた……気がする。
俺たちはホワイトボードをさっと消し、発着場に向かって足を進める。
来たばかりであまり見えなかった町並みは、太陽光を反射して届けられる光によってキラキラと光っていた。
ドーナツ状の曲面を歩いているので、だんだんと町は俺たちの背中に見えるようになっていく。正直このまま落ちそうで怖いが、人工重力は俺たちの体を地面にしっかり押し付けていた。
左右を見ると小麦なのか畑が一面に広がり、基地の回転に応じてゆったりとした風を送り込んでいた。
サワサワと青い葉っぱが揺れる光景は美しい。地球じゃ建物内で栽培するのが主になってしまったからな。ここでは精神安定のために行われているとどこかで見た気がする。
俺たちが十分程度歩いているとやっと発着場が見えてきた。
しのめさんは少し息を切らしながら「大きい……」と言った。
ガラスの壁が一面に広がり、宇宙船が泊まっているのがはっきりと見えた。時々出てすぐ入っていく昆虫型の機械は補助機械の一種――彼らは基地の整備を毎日やり続けている。
「あれが俺が手配した船だ。ちょっと古くなっているが、まだまだ現役で働いてくれる」
俺たちが乗る船は船体にアンテナがびっしりとついていた。まるでハリネズミのような恰好をしていて手のひらに乗せたくなる――七メートルの手のひらがあればの話だけど。
上司はハッチを開けて中に入る。人一人が何とか通れるくらいの通路。しのめさんは頭上の梁に気が付いていないのか「いったっ!」と言って、頭を押さえた。
「浅木気を付け……あ、しのめ研究員も気を付けるように」
「すみません」
彼女はスーッと前に進んでいった。頭を押さえていないから痛くはないんだろうが、別の意味でグサッと刺さっている。たまにはこういうことがなくっちゃな。俺だけ割を食っては仕方ない。
俺もわざとしく彼女と同じ、何やってるんですか? の目をしながら横を通り過ぎた。
だが、内部の通路も何とか人がすれ違えるくらい狭い。
俺たちはコックピットに行き、座った。
俺は右端、上司は中央、しのめさんは左端に座る。三人がシートベルトを締めるカチャカチャとした音の後、カチカチと計器を動かす音がせまっ苦しいコックピットの中に響いた。
「こちら研究船『プルートー』出港許可を申請します」
……「こちら管制官、研究船『プルートー』の出向を許可します。他船についての情報はディスプレイ上に送りますので、お気をつけて。あいつについてよろしくお願いしますね」
「分かってますよ」
上司はガッツポーズをかました。見えるはずないが、管制官の一と心がつながっているように見えた。
ディスプレイには言われた通り近くの船について点で表示される。いまだに俺が慣れない3Dマップ。しかし上司はスラスターを小刻みに動かしながら球体に向かって船を進める。
だんだんと冥王星基地は遠ざかっていく。最後に見たときにはドーナツ状の基地が冥王星の淡い色を背景に浮かんでいた。
しばらくスラスターの慣性で移動し、ある程度離れたところでメインエンジンを点火した。ディスプレイは前方の謎球体を映し出す。遠くから見ると小さく見えるが、段々とディスプレイ全体を埋めるようになってそびえたっていた。
「距離感覚がおかしくなりそうですね」
「そうだな。
しのめ研究員、ちょっと距離だけ見ておいてもらえないか。電波を全部吸収しちまうから計測できないんだよな。浅木はディスプレイに表示される点を確認しておいてくれ。ぶつかったら元も子もない」
「「分かりました」」
俺たちは各自の仕事をこなす。三角関数でギリギリ図れるが、たまに一機の球体監視衛星しかなくなる時がある。球体側も重力を少しだけ重力を持っているから、確実にこちらの船は引っ張られている。
――「逆噴射するぞ。舌噛まないように気を付けろ」
上司はレバーを逆側にしてエンジンを反転させた。ぐっと体に反動が来るが、しばらくすると球体に向かっていく速度は遅くなり、船はほぼ静止した。
ディスプレイに映し出される球体はさっきまで見られなかったパネルがびっしりと張り付けられていた。
しのめさんはぽつりと溜息をもらす。
「これが宇宙……解き明かしたい」
「その息だ、しのめ研究員。お前もぽかんと口開けてんじゃねえ」
何も反応がないのは分かっているが、念のためこちらから電波を出してみる。ざっと動かしてみたが反応はゼロ。
センサーを発射してみたが、到着したことは分かっただけで特段の変化も起こさなかった。つまるところ俺たちが直接行くしかないってことだ。
「しのめさん、」
「分かってる。私たちが直接降りて調べてみるだけでしょ」
「はい」
俺たちはコックピットを出てエアロックに向かう。機械音がジーっと耳鳴りのような音を発する通路をすべるように飛んでいくと、俺の心も自然と収まってきた。
きっとやれる。「泥臭いが一歩ずつ」だろ?
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