第5話

「おい浅木、起きろ」


 ……眠たい。寝たい。


「起きろッ」


 グハッ。さすがに肩を蹴っ飛ばすことはないんじゃないのか。寒い中ライフを呼んだ。あ、そういやあいつはここにいないんだった。しぶしぶ自分で服を取って着替える。意外とあいつに頼ってたんだな。


 上司は俺におにぎりを渡してきた。どうやら昨日買っていたらしいが……いつ?

 まあ腹はすいていたので食べ。食べながら今日の予定について再確認した。


「今日で出発するんですよね」


「ああ。緊急用の核パルス推進で一気に進む。約75億 km、40km/s、大体六年程度でつく計算になる」


「それって減速を含めてなくないですか?」


「ないぞ。冥王星に近くなったら俺たちがコールドスリープしている区画を切り離して進む。本体の方は冥王星よりさらに外側に行くってことだ。おそらく今回の球体がどこから来たのか調べるためだろうな」


 秒速40kmで発射されるのはいったいどんな気持ちなのだろうか。想像もつかないが、幸い俺たちは眠ってる。きっと安全に計画を進めてくれるはずだ。どれだけの人間が関わっているのかまだ分からないが、主要な人間はほとんどかかわっていると考えた方がいいな。


 スマホを開いて確認すると、慎重派の人間がまたコメントを出していた。


『今回の調査計画が隠されていたことには大変憤りを感じています。ええ、もちろん私は知りませんでしたよ。私はまだ言いますよ、『過ちを繰り返してはいけない』科学者は自身の行動について責任を取るべきだ』


 スクロールしていくと、最後には『取れない責任はすべきではない』と締めくくられていた。


 俺としてはこの意見には反対だ。三度の対戦も乗り越えた私たちにとってこれは協力するための大きないかりになりえる。ま、個人的な願いのほうが大きいけどな。


 俺と上司は食事を終え、開いていた荷物をすべて積み込んで昨日の空港に向かった。昨日そのまま行った方が早いのだろうが、一日待てと上から指示されていたらしい。あそこでメディアに露出したかったからだろうな。


 俺たちが部屋を出ると、そこにはしのめさんが待っていた。


「しのめさん、おはようございます」


「おはよう……?」


「浅木です」


「ごめんなさい」


 何度やれば覚えてもらえるのやら。

 俺たちはからからとキャリーケースを鳴らしながらタクシーに乗り込んだ。


 都会とも田舎ともつかない朝の澄んだ空気。まだ太陽が昇っていないせいで空気は冷たくチクチクと痛む。

 しかし町は確実に動き出していた。

 俺たちもその波に乗って心を震わせる。


 しばらくすると空港が見えてきた。ついでにたくさんの人の塊も入り口付近で獲物がかかるのを待っている。

 俺はキャリーケースを下しながら上司に聞いた。


「どうしますか?」


「まあ突っ切るしかないだろうな。ま、上からコメントしろとは言われてないんだ、さっさと進んで乗り込め」


「ラジャー」


「軽口言ってんじゃねえぞ」


 俺と上司は昨日と同じくしのめさんを間に挟んで切り込んだ。周囲から話しかける声が聞こえるが、一つたりとも正確には聞き取れない。

 しのめさんもささやかに微笑みながら先に進んだ。後ろからコツコツと足音がするが、俺たちはチェックインを済ませて搭乗ロビーを通り過ぎた。


 流石の彼らも来れないみたいだ。しのめさんが見えなくなるまで悔し気にシャッターを鳴らすだけだった。


 俺たちは適当なカフェに入って時間をつぶすことにした。三人ともコーヒーを頼む。そういえば三人集まって話すのは初めて会ったぶりだな。


 上司は気さくな感じでしのめさんに話しかけた。


「しのめ研究員、君はあの球体についてどのようにお考えかな? 堅苦しくならなくていいさ、これはオフレコってことで」


 彼女は小さな唇に手を置いて考える。五分ほど考えたとこで口を開いた。


「分からないです」


「オフレコでもか?」


「分からないというか。選択肢が多すぎて決められないというか。とにかく人類史の中でこんなことは一度もなかった。私はあれがどうやってきて、何を考えて収集しているのか気になっているだけです。浅木、さんもそう思ってきているんですよね?」


 前からくると思ったら、いきなり後ろからボールを投げられた感覚。しかし何とかボールに食らいつく。


「まあそうです」


 いきなり連れてこられました、なんて言えません。上司はニヤニヤしながら真実を伝えようとしていたが、ちょうどアナウンスが流れた。「それじゃあ行きましょうか!」と俺は強引に言って先に進む。


 しばらく歩いていると目的の通路が見えてきた。ガラスで覆われているが、上を見るとどこまで続いているのか分からない構造物がそびえたってる。カーボンナノチューブで構成されたロープは上下移動している運搬機によって逐一チェック、修復が行われている。


 俺たちは運搬機の中に入った。四点ロックを胸の前で締め、動き出すのを待つ。

 この運搬機はレールガンを縦にしたようになっているから、弾丸が運搬機になっただけ……不安は尽きないがたぶん大丈夫。


 続々とほかの乗客も入ってきた。そしてアナウンスも。


「本日はSE旅客に搭乗いただきありがとうございます。本日は起動基地までの旅を担当させていきます。四点シートベルトをきっちりとお締めいただき、出発までしばしお待ちください」


 心臓はバクバクとなりだす。抑えようと胸を横切るベルトを強く握りしめた。隣の上司はどうでもいいのかもう寝かけているし、しのめさんにいたってはタブレットで書類を確認し始めていた。

 まともなのは俺だけかよ! と思っていると体が浮かび上がる感触がした。


 丸い窓から見える外はだんだんと小さくなっていく。全長七十メートルの大型旅客機が小粒のように見える。しかし雲を突き抜けてしまうとそんな景色も見えなくなり、ただ青い空と雲の海が広がるだけになった。


 まあそんな景色も加速してすぐに遠くなっていくわけだが。


 景色は筋となって歪んでいき、あとは待つだけとなった。

 あと十二時間――東京都・ロンドン間くらいの時間か。長いわけでもないし、特段短いわけでもない。


◇◇◇


 長い。あと一時間なのだがここまで長かった。

 昼飯は意外と普通だ。宇宙食的な感じでもなく、地上で食べるのと大して変わらない。物好きはわざわざ美味しくない方にするんだが、もちろん俺はそんなことしない。


――「もう少しで到着します。シートベルトをしっかりと締め、手荷物をお持ちください」


 俺はしのめさんが空中に浮かべていた書類集めを手伝った。いつの間にか無重力になっていたが、正直まだ実感はない。目の前の浮かぶペンの方がおかしいような気がしてならないな。


 窓から見る景色は一変し、地球の青い海と宇宙の境目が見えた。ぼんやりと揺らいでいるのは大気のせいだ。あれがなかったら俺たちはとっくの昔に死んでいる。


 運搬機はロックされ、気圧調整後すぐに開いた。

 俺たちは空を歩くように飛んで出口に向かう。飛行機と変わらず、手荷物受取所で荷物を取り、今日は直接ロケットに向かう。


 ふわふわと無重力の中を移動しながら予約していた船の中に乗り込んだ。本当は核パルス推進ロケットは無人だったので、乗客は俺たちだけ。無人機は全員が乗り込んだのを確認して宙の闇を切り開きながら進んでいく。


 上司は思い出したようにケータイを出して言った。


「六年くらいかかるから、しっかりメールしとけよ。浅木も誰かしらいるだろ。メールを送りたい人くらい」


 ……ライフと親くらいか。

 とにかくメールを送った。


『ライフ、俺は今から行ってくるから、家のことよろしくな。ベッドの下だけはあさらないこと。六年後まで待っていてくれ』


『母さん父さん、テレビを見て驚いてるかもしれないけど、俺は元気にやってるよ。今まで連絡してなかったのは悪かった。次返信できるのは六年後だから、また怒るならその時によろしく。とにかく体調には気を付けて』


 終わりっと。はあ、次見る地球は一体いつになってんだろうな。まだ青ければいいがな……


 ガタンとした振動がロケットに接岸したのを伝える。

 俺たちはロケットに取り付けられた区画に乗り込んだ。ここは放射線から遮蔽されているから安全だ。

 備え付けられているロッカーに荷物を突っ込み、入っていたスーツに体を通した。


 設計者は何を思ったのか更衣室を作らなかったので、しのめさんが着替えるときは後ろを振り向いてただ待っていた。

 紳士だからな。


 三人ともピッチピチのスーツに体を通し、装置の中に体を入れる。モーターの駆動音が耳元でなり、それに伴ってプシュッと気体が放出された。意識が持っていかれる。

 体が液体につかっていくのを感じながら俺はゆっくりを目を閉じた。


 夢の中で「待ってろよ球体!」と大声で叫びながら。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る