第4話

 ……おはよう。俺は目を覚ました。1週間前寝たベッドの上ではなく飛行機の硬いシートの上で。窓からはバカでかい空港が一面に広がり、上を見上げるとジェットエンジンを積んだ半宇宙船が今まさにロケットエンジンに点火して火炎を噴きあげていた。


 窓から目を戻して隣を見ると、しのめさんは本に目を落としていた。彼女がペラペラとページをめくる光景は美しい。

 しばらく見つめていると彼女は何? と言わんばかりにこちらにちらっと視線を向けられた……すみませんでした!


 一週間たっても彼女と話すことはできなかった。まあ、わかっていた通り接点ないしな。

 ちなみに彼女の奥で上司はいびきをかきながら眠っていた。あの人とは変わらず上司と部下よりちょっとだけ近い関係。


 そんな二人と俺は空港に着陸した。ゆったりとした振動が椅子を揺らしていくが、すぐに収まる。窓からはザ・熱帯と言わんばかりに茂っている熱帯雨林が空港を丸く囲んでいるのが見えた。


 しのめさんはさっさと降り、俺と上司がその後に続く。


「しのめ研究員の横はどうだった?」と上司がひそひそ声で聞いてくる。もちろん答えは決まってる。


「疲れました」


 上司はわざとらしく溜息をついて言った。


「確かにお前が引けを取るのは分かる。はっきり言うがお前はしのめ研究員の足元にも及ばない。そもそも足元にすらいない」


「ひどくないですか?」


「お前だってわかってるだろ。まあそんなとこはどうだっていいんだよ。お前を研究要員として持ってきたわけじゃないしな。今回お前に頼みたいのは通信だ――直径十数キロの白色球体は電波を吸収している。俺の考えではあれが来た場所に送っている」


 どうやら俺と上司の考えは一致しているみたいだ。あれは人間が作ったものじゃない。ま、古代の人類が作りました~みたいなのもあるかもだが、確実にオーバーテクノロジーなのは変わりない。

 だが、それなら通信の専門を持ってくればよかったんじゃないのか? いまいち俺が必要な理由がわからない。


 考えに入り込みかけている中上司は言った。


「お前なら彼女と対等にやれると思うぞ。俺は……もう無理だな。格の違いってものを分からせられすぎた」


 そういったまま上司はさっさと彼女の横に行ってしまった。後ろから見る二人はとても仲がよさそう。少しだけ口角が上がっていたような気がする。


 彼らの後姿を見ながら通路を通り抜けると、手荷物受取所があった。結局スーツケースは自分用と書類用で二つになってしまったが、まあそこまで重くはない。

 一人ずつ自分の荷物を取って到着ロビーから外に出た。


 ――カシャ。

 一瞬目がくらむ。

 何があったのか理解する間もなく再び光の嵐が俺たちを襲った。思わず手で覆って待つが、一向に消えそうにない。

 気合で目を開けるとそこには幾重にも重なった人の山があった。大きなレンズから容赦ない視線がやってくる。


 ああ、これがテレビの中の世界か。理解するとカシャカシャとした音の中に喧騒も聞こえてきた。彼らは俺なんかに目もくれず、ただ一直線に彼女に向かって視線をぶつけ合っていた。


「しのめさん、今回の調査はどのように思われていますか?」

「今まさにアイドル的な人気を得ている中、どのようにして選考されたのですか?」

「うわっ、かわいい」


 ヤジ。好奇心。嫉妬。興奮。

 どうとでもいえそうな声たちが彼女に向かって話しかける。しかし彼女はそんなこと慣れっこだといわんばかりに手を振って言った。


「今回の調査につきましては研究所の方にお聞きください」


 彼女は笑っている。苦笑い――いや、俺に向ける突き刺すような目線よりさらに鋭くとがっていた。

 そんな視線もつゆ知らず、メディアたちはマイクを向け話しかける。彼女は疲れたような目を浮かべたが、決して頬の表情筋だけは緩めなかった。そんな中上司は間に入る。


「すみません。急いでいますので」


 こんな時俺にも大きな背中があればいいのに……今さら言っても仕方ない。

 俺は上司と協力して彼女を間に挟み、都合よく来たタクシーに逃げるように乗り込んだ。

 さっきまでの喧騒が嘘のように風を切る音だけが窓から入ってくる。


 後ろを見ると、メディアの人間たちもタクシーを取ろうと手を挙げているのが見えた。もちろん帰るわけじゃないんだろう。ぼやけていく彼らの顔には明らかな興奮が浮かんでいた。


 俺が窓から顔を戻すと、上司は助手席から顔を出して言った。


「すまなかった。君の意向を最大限かなえようと思っていたんだが、上の連中が勝手に公開していたみたいだ。本当にすまない」


「いいんですよ。仕方ないので」


 上司は申し訳ないとかすれたような声で呟く。俺は何も言えなかった。言えるわけないだろ。自分が言った「しのめ」という言葉が胸の中にずどんと厚く影を残していくのがわかった。


 こういう時どういえばいいのだろうか。上司に言われた通り俺は彼女の小指にも及ばない。だから彼女がどんな思いであのフラッシュを見つめていたかなんてわからないし、研究を大きく取り上げられる緊張も知らない。

 俺もしのめさんのように実績を上げたいと思うことなんていくらでもあった。俺と同じ二十四には日本で名前が知られてたんだぜ。


 ……白い球体は彼女についても知っているのかもな。

 すべての電波を吸収している。きっと彼女について発信されたデータはどこかで漏れ出しているはずだ。

 ふとそいつに聞いてみたくなった、「お前だったらどうする?」と。


 だが帰ってくる声なんてない。俺たちを乗せたタクシーは今日の宿に向かって進んでいた。


 町並みは刻一刻と変わっていく。

 空港近くでは熱帯雨林が。

 少し離れると観光客用の露店が立ち並ぶ。

 さらに離れていくと、露店で働く人たちが住む――いわば地元が広がっていた。地元とはいっても複合ビルが立ち並び、ごちゃごちゃとした街の間に路面電車が走っているんだけども。


 いつの間にか後ろからちらちらと来ていたタクシーもいなくなったみたいだ。上司は運転手にお金を渡して降りる。

 握手を求められた彼女はにこっと笑みを浮かべて返していた。

 俺は……何もないです。荷物をさっさと持って行ってと言わんばかりに、俺が荷物をとった瞬間煙を吹き出しながら行ってしまった。


 俺だって調査の一員なんだが……。

 

 俺たちは上司の案内のもと目的のホテルに向かって足を進める。ナビゲーターが行き先を示しているみたいだが、一向にたどり着く気配はない。

 そうこうしているとさっきみた露店街に迷い込んでいた。


「ま、仕方ない。それじゃ夕食にでもしようか」と上司はナビゲーターをポケットに突っ込みながら言う。


「そっすね」


「お前はここで食べなくてもいいぞ。やっぱり高いからな」


「ちょっと!」


 ひどくねえか? とにかく俺たちは適当な店の先で麺を注文した。ガスコンロの厨房には人型の補助機械が腕を振るっている。店主のおばさんとのコンビネーションが面白くて思わず見入ってしまった。


「はい!」

 おばさんは切った麺を彼女に向かって投げる。グニャグニャとした放物線を描く面は、補助機械の彼女が持つ湯切り網にダイブ。彼女はぐつぐつと煮え立っている鍋に入れ。その間もトッピングを切り刻むことを忘れていない。

「おばさん出来ました!」

「あんがと」

 彼女はおばさんに向かってゆであがった麺を投げた。ぴったりボウルの中に納まり、スープを流し込まれたラーメンが俺たちの前に出される。


「出来ました! 特製ラーメン。遺伝子改良、添加物とうとうはないから安心して食べなよ、お嬢ちゃん」

「おいしーですよ!!」


 おばさんは下手糞なウィンクをして別のお客さんに取り掛かった。

 しのめさんもおばさんの後ろ姿を見つめていた。彼女でも驚くことってあるんだな。

 俺はパチンと箸を割り、ラーメンをすする。


 まろやかな味が口いっぱいに広がってきた。改変された食品が一般的だが、何となくいつもより滑らかな味のように感じた。上司を見ると、彼もまた俺と同じように息を切らしながら麺をすする。


「美味しいですね、しのめさん!」


 思わずしのめさんに聞いてしまった。相当意外だったのか彼女の頭脳はフリーズを起こしている。


「……」


「あ、えっと。美味しいですね」


「そうですね」


 やっと返してくれた。この間三十秒、さすがにまずかったかと思ったよ。彼女は付け加えるように言った。


「補助機械の子も元気にやっているみたいだし、たまにはこういうとこに来るのもいいかもしれないですね――あ、美味しかったです」


 振り返った二人組は、変わらず笑顔で答える。


「本当かい!」

「よかったでーす。また来てくださいね……


 ――しのめさんの笑顔は引きつった。もちろん補助機械の彼女に悪意はないんだろうが、この場面で言われるのは面倒くさい。

 おばさんはしのめさんの正体を知ってぎくりと目を丸くした。深く息を吸って声を吐き出す。俺はまた身構えた。


「それって本当なの!……あ、そうよね、言われるのは嫌よね」


「そこまで気にしていませんよ」


「そう? まああんたのことはいつもテレビで見てるし応援してるよ。ほら、あの球体について調べに行くんだって? 私にはなにか分からないけれど、とにかく頑張りな」


 おばさんは煮卵をタッパーいっぱいに渡した。若干強引だったが、しのめさんはありがとうございますと言って受け取る。

 上司はこうなるのを待っていたかの如く、ちょうど食べ終わり、お勘定をすませてホテルに向かった。


 夕焼けだった空は完全に落ち、空には町の光にも負けない光がほのかに立ち上る。さっきとは打って変わってナビゲーターはホテルまでの道を正確に教えた。まさか上司はこれすらも考えていたのか! ……ないない。


 俺と上司は同じ部屋、しのめさんは個室に向かった。

 上司と二人きりで部屋に入る。ロマンティックもへったくれもない。


 上司は空港に着いた時のはっきりとした声とは打って変わってニヤニヤとしながらホテルのシャワーを浴びに行った。俺はベッドに倒れこみ、午後あったことを思い出す。


 まったくもって非日常。

 カメラのフラッシュがどれだけ彼女が注目されているのか嫌なほど思い知らされた……彼女が嫌いなものも。

 露店で「おいしいですね!」なんて満面の笑みで言ってしまったが、思い出せば出すほど顔が熱くなってくる。一瞬、空気がスリープしたときは焦ったよ。恥ずかしい……。


 まあ彼女とまともな話ができただけ万々歳か。仕事以外の話もできたし、あとは雑談ができるほど! と思ってもできそうにはないので、着実に一歩ずつやっていくしかない。


 上司と入れ替わりで風呂に入り、部屋に入ってから気になっていたダブルベッドで一緒に寝た。

 夜中、馬鹿重たい筋肉の振動で起きたのはまた別のお話。

 目の前の上腕二頭筋にはさすがに驚いたよ。



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