17.再会の刻
たちまち白雅たち四人は取り囲まれてしまった。剣の柄に添えられた武官たちの手。だが、そこからは殺意よりも任務に徹した冷たい緊張だけが漂っている。
白雅は応戦しようとして、おかしなことに気づく。
(殺気がない……)
とっさに剣を抜こうとした景葵を手で制す。武官たちの包囲網の外側から、ゆったりとした足音が聞こえてきた。
乾いた土を踏む音は規則正しく、威圧でも焦りでもなく、まるで舞台にあがる俳優のような落ち着きがあった。
やがて、彼らの目の前に、韋煌国の文官服を着た男が姿を現した。歳の頃は三十前後。柔和な顔立ちをした、それでいてまったく本心の読めなさそうな男は──その笑みが仮面のように動かぬせいで、逆に不気味な印象さえ与えた。
男が忉李に向かって恭しく一礼する。
「桜花国王太子・忉李様ご一行ですね? 我が主、韋煌国王・紅煇が貴方がたをお待ち申し上げております。どうか、招待をお受けくださいますよう……」
文官服を着た男は、緋煉(ヒレン)と名乗った。白雅は注意深く緋煉を観察した。言葉より、呼吸の間。笑みの角度。視線の揺れ。相手がどれほどの策士かは、そうした細部に宿る。
「緋煉か。聞き覚えがある。若いのに大したやり手で、紅煇王の側近中の側近として名高いな」
異国の情勢に詳しい白雅がそう口にすると、緋煉が意図の掴めぬ笑みを浮かべた。
「さすがに情報通でいらっしゃいますね。白雅殿」
「──! アタシたちのことは調査済みってわけかい?」
しかし、緋煉は首を横に振った。
「とんでもないことでございます、紫闇殿。韋煌国の国境を越えた者の中に、桜花国の王太子と近衛隊長に『よく似た二人』がいる──そう報せが入りましてね」
緋煉は目を細めた。
「人相書きを確認したところ、王太子・忉李様と景葵殿であると判断した次第です」
彼の口調に嘘は感じられない。白雅は注意深く緋煉を観察した。
「私たちのことはどうしてわかった?」
「それは紅煇王に直接お尋ねください。私は王から、貴女がたのお名前と特徴を伝え聞いただけですので」
「紅煇王が?」
白雅は紫闇を見上げたが、紫闇も白雅に向かって首を横に振っただけだった。
「直接会って話を聞くしかなさそうだな」
「わかった。招待を受けよう」
忉李がはっきりと答えた。緋煉が笑みを浮かべて頭をさげる。
「ようございました。では、こちらに馬車を用意しておりますので、どうぞ」
案内されて向かった先には二頭立ての馬車があった。促されて乗り込むと、緋煉がにっこりと笑った。
「私も同乗させていただいてもよろしいですか?」
忉李が白雅を見たので白雅は頷いた。これで謀殺の危険性は格段に減る。王自らの側近が同行する状況で手出しすれば、国としての宣戦布告に等しい。
「こちらからお願いしようと思っていた。先に言い出してもらって感謝する」
「いえいえ」
緋煉が乗り込むと、馬車はゆっくりと動き出したのだった。
*
馬車は一定のリズムで揺れ続けていた。車輪が土を削る音が、密閉された空間にこもって響く。その単調さが、かえって緊張を際立たせていた。
誰もが黙ったまま走り続ける馬車の中で、緋煉はおかしそうに笑った。その声音には、問いではなく『探り』が混じっているように聞こえた。
「なにもお聞きにならないのですね」
白雅はわずかに眉をひそめた。
「答える気のない人間になにを聞けと? 紅煇王に会えば、すべてがわかるんだろ?」
緋煉の眉がかすかに跳ねた。
「おそらくは」
「だったら、今ここで聞く意味はない。すべては紅煇王に会ってからだ」
その答えに、緋煉が満足そうな笑みを浮かべる。白雅はそれには構わず忉李に楽な姿勢を取らせた。
「着いたら起こす。寝ていていいぞ、忉李」
「わかった」
白雅の言葉に忉李が素直に頷いた。しばらくすると微かな寝息が聞こえ始めた。
寝息がひとつ漏れると、白雅はそっと忉李の肩に自分の外套をかけた。
「ふふ……敵地に向かう馬車の中で堂々とお休みになられるとは、なかなか豪胆な王太子殿下ですね」
柔らかな笑みを浮かべる緋煉に、白雅はやや素っ気なく答えた。
「旅をしてその大変さを思い知ったようだからな。休めるときに休む。それが鉄則だ。そうしないと自分が足手まといになるかもしれないということを、忉李はよくわかっている」
「左様でございますか」
忉李が休めるのは、傍にいる白雅たちのことを心から信頼しているからだ。だが、そこまで言う必要はなかった。
*
数日間かけて馬車で旅をして、着いたのは韋煌国の王都・帝仁(テイジン)だった。通りには色とりどりの布をまとった商人が行き交い、市場は活気に満ちている。
商人たちの声が幾重にも交差し、香辛料と焼いた穀粉の香りが風に混じる。
桜花国では見たことのない金糸を織り込んだ布や、細工の細かい青銅飾りが並び、帝仁の文化の厚みが否応なく伝わってくる。
「韋煌国は桜花国と違って栄えているな。町の様子からして賑やかだ」
「確かに勢いはあるわよねぇ。それに、韋煌国は桜花国とは和平を結んでるけど、外国とはたびたび小競り合いになるんだよ。だから軍需産業も盛んだしね。戦に負ければ国土は疲弊する一方だけど、勝てば国は富み栄えるってわけ」
忉李の感想に答えたのは、どこか不機嫌そうな紫闇だった。
「はは……紫闇殿はさすがに博識でいらっしゃる」
紫闇の視線は遠い路地のほうへ落ち、かすかに唇が震えた。
「お世辞は結構よ、緋煉サン。アタシってば、自分の馬鹿さ加減にウンザリ。ずっとこの国に住んでて、目が節穴だったなんてさ」
悔しそうに紫闇はその端正な顔を歪ませる。
「どうしたんだ? 紫闇」
「なんでもなーい」
なんでもなさそうではないが、本人がそう言う以上、放っておくのが得策だった。
馬車が宮城の門をくぐる。白雅たちは馬車から降りた。
「どうぞこちらへ。王が首を長くしてお待ちです」
先導する緋煉の言葉に首をかしげながらも、白雅は忉李の手を引いて王宮内を歩いた。大陸から渡ってきた多様な移民で構成された国というだけあって、いろいろな国の宮殿様式を綯い交ぜにしたような王宮だった。
豪奢でありながら、どこか人の手が入りすぎているような落ち着かない感じがした。それでも、細部の装飾には確かな美意識が宿っている。
「ちょうどいいトコ取りみたいだな……」
ポツリと呟いた白雅に、忉李が尋ねた。
「そうなのか?」
「あぁ。今まで見てきた王宮や宮殿なんかのいいところばかりを取り入れているように見える。さすがは多様性に富むお国柄らしい王宮だ」
白雅がそう評したときだった。
「お褒めにあずかり光栄だな」
中低音で艶のある声が響いた。白雅はその声にハッとする。
「この声は……」
白雅の心臓が一拍、強く跳ねた。ありえないはずの記憶が、皮膚の下でざわりと息を吹き返す。
「覚えていたか、白雅」
緋煉に先導されて通された広間。遮るもののなにもない部屋には、玉座に腰かけた男の姿があった。
年の頃は三十。長身で細身だが日に焼けた逞しい体躯を持ち、精悍な顔つきには自信に満ちた笑みが浮かんでいる。髪が白雅の記憶にあるよりもずっと伸びていたが、間違いなかった。
「……赤鴉」
その名前が勝手に唇からこぼれ落ちていた。白雅の指先が震えた。息を飲んだまま動けない。自分はまた幻覚を見ているのではなかろうか。でなければ、これは夢か。赤鴉が、白雅の目の前にいるなんて。
「よう、白雅、紫闇……なんだ、感動薄いな。五年ぶりの再会だ。なにか反応は無いのかよ」
「アンタがこの国の王様じゃなかったら、その横っ面張り飛ばしてやるトコなんだけど。久しぶりだねぇ、赤鴉」
嫣然と微笑む紫闇だが、その目は笑っていなかった。赤鴉は顔を引き攣らせた。
「……相変わらず怖い女だな、紫闇。元気そうでなによりだ。白雅はどうした。ついに呆けたのか?」
その言葉に、紫闇がクワッと目を剥いた。珍しく唾を飛ばして怒鳴りつける。
「誰のせいだと思っているんだい!? このスットコドッコイ! アンタに置いていかれたせいで、白雅があれからどれだけ苦しんだことか!」
「……やっぱり俺のせいか」
赤鴉は困ったように頭を掻いた。そして玉座から降りると、ゆっくりと白雅に近づいた。忉李が白雅を守るように前に進み出ようとしたが、紫闇に引き留められた。紫闇を振り返ると、彼女は首をゆっくりと横に振った。
「白雅。いくら俺に会えて嬉しいからって呆然自失になることはないだろう? ……ったく、しょーがねーなー!」
赤鴉の口調が崩れた。
「おい、白雅。お前、本っ当に成長してねーのな。五年の間に、ちょっとくらい図体でかくなっているかと思いきや相変わらずちっこいし、子供か、お前は」
言いたい放題の暴言を前に、傍で聞いていた緋煉が顔をしかめた。
「アンタ、再会したら少しは白雅殿に優しくするんじゃなかったんですか?」
「お前は黙ってろ、緋煉……おい、白雅、聞こえてんのか?」
「……はは……本当に、赤鴉だ」
白雅の紅い瞳からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。涙を拭いもせずに静かに泣く白雅に、赤鴉が居心地悪そうに身じろぎすると顔をしかめた。
「……泣くなよ。俺が泣かしたみてーじゃねーか」
「アンタが泣かせたのよ」
「アンタが泣かせたんですよ」
紫闇と緋煉の言葉が重なった。
「だーもー、悪かったって! 頼むから泣きやめ! な?」
「命令してどうするんですか」
さすがに緋煉が呆れる。だが、白雅の涙は止まらなかった。
「赤鴉……何故、急にいなくなった? 私は……要らない子供だったか? だから、置いていったのか? だから、なにも言ってくれなかったのか? 答えてくれ、赤鴉……」
その言葉には、さすがの赤鴉も息を呑んだ。両手を伸ばして、白雅の肩に触れた。
「……馬っ鹿野郎。んなわけねーだろ? お前を置いて急にいなくなったのは、この国の王位争いで、俺以外の王位継承者どもが全員共倒れしやがったからだ」
赤鴉は息をついた。
「なにも言わなかったのは……言えるわけ、ねーだろ。俺と一緒に死んでくれ、なんて、あのときたったの十三歳だったお前によ。俺と一緒にいれば、お前の命が危なかった。良くて俺に対する人質で、下手すりゃ殺されてた。だから、お前を紫闇に預けた。紫闇に任せりゃお前は大丈夫だとどっかで高を括ってた。でも、そうじゃなかった。お前は、今でも傷ついていたんだな……悪かった」
赤鴉は真剣だった。片手で白雅の白い頬に触れる。次々と溢れる涙を指で拭うが涙は一向に止まらない。その事実に胸が痛くなる。
だが、白雅は現実を拒絶した。白雅の胸の奥で、安堵と戸惑いと怒りが、ひと塊になって渦を巻いた。
「……変だよ。赤鴉が謝るなんて、やっぱり夢だ、これ、夢。今の状況があまりにも急で……頭がついていかない……眠れば明日には綺麗さっぱり消えてなくなる──」
「白雅!」
ふいに温もりが白雅の全身を包んだ。気がつけば抱き締められていた。誰に? もちろん、赤鴉に。
「赤鴉……?」
「悪かった、お前を追い詰めて。悪かった、お前を独りにして。俺はお前を死なせたくなかった。失うのが怖かったのは俺のほうだったんだ。お前を育て守っていたつもりが、お前の存在に支えられていたのは、実は俺のほうだった。お前は要らない子供なんかじゃない。逆だ。俺にはお前が必要だったんだ、白雅。三年前にこの国の王位について、ようやく政治基盤も安定してきた。これからなんだ、俺とこの国は」
白雅の涙がピタッと止まった。涙の跡を乱暴に拭い、震える声で問いかける。
「……ちょっと待て。赤鴉が……紅煇王なのか?」
「なんだと思っていたんだ? 今まで」
赤鴉、改め、紅煇王は呆れた。白雅のあまりの鈍さに。次の瞬間、白雅の頭が芯まで冷えた。
「確認……させてくれ。忉李を……殺すように仕向けたのは、赤鴉……お前なのか……?」
紅煇王は、今にも双剣を抜きそうな白雅の身体をそろそろと離すと、ゆっくりと両手を降参の形に挙げた。
「違う」
白雅の緊張が一瞬で解ける。紅煇王はため息をつくと、両手をおろした。
「お前な……お前を拾って育てた俺が、いくら他国の王子とはいえ十二歳の少年を殺すように命じると思うか? 十二歳といえば、お前と別れた年頃だろう。余計にできねーよ」
そう言われてみればそうだ。白雅は安堵で、また泣きそうになった。
「じゃあ、いったい誰が……」
「それについてはあとで話す。とりあえずは……見苦しいところをお見せして申し訳ない、忉李王太子殿下。従者殿。私が韋煌国の国王・紅煇だ」
そこで一旦言葉を切ると、紅煇王は、場を改めるように片手を軽く掲げたのだった。
「ようこそ、韋煌国へ。桜花国からの客人たちよ」
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