18.国際交流
白雅たちは、謁見の間から応接間のような場所へと移動した。要は、韋煌国の王が礼儀を尽くして桜花国の王太子を迎え入れたという事実があればいいのである。玉座以外に座る椅子もないような寒々しい場所に長々といる必要はない。
玉座の冷えた空気から一転、応接間には香木の穏やかな香りが漂い、厚い絨毯が歩みを柔らげた。武骨な謁見の間とは違い、ここは客人を迎えるための温度を持っていた。
「話をしよう」
紅煇王はそう言った。忉李は頷いた。
「まずは謝罪をさせてもらう。桜花国で王太子殿下を害そうとした刺客は、皆、我が国の奸臣どもが雇った者たちだ。それは本人たちを縛りあげてすべて吐かせたからな。まず間違いない。その中には武官崩れも多く含まれていた。本当にすまなかった」
意外にも、紅煇王は韋煌国の非を認めて謝罪した。その場に控えていた従者たちの背筋が、一斉に硬直する。王自ら非を認めることが、いかに異例かを物語っていた。
白雅は胸の奥にわずかなざらつきを覚えながらも、あえて言葉を挟んだ。事実を曖昧にしたままでは、忉李が前に進めない。
「刺客の使う剣の型は韋煌国の武官特有のものだった。だからこそ、我々は『王の命』によるものだと疑っていた。違うんだな?」
紅煇王は、背をわずかに伸ばして白雅を見遣った。その視線には、王としての威厳が宿っている。
「重ねて言うが、違う。こればかりは身の潔白を証明しようがないが、信じてほしいと心から願っている。それで、王太子殿下の命を狙った奸臣どもは、証拠をきっちり揃えて全員捕縛済みだ。本来ならば、煮るなり焼くなり好きにしてもらいたいところだが、そのような奸臣を輩出したのも我が国の責任だからな。私が責任を持って刑に処す」
刑という言葉に忉李はわずかに怯んだ。桜花国の秩序を揺るがす『極刑』という響きの重さに、喉がひゅっと鳴る。しかし萎縮しかけた心を叱咤し、口を開いた。
「刑罰は、どのようにお考えか」
「百年の和平を築いた桜花国との信頼関係を揺るがす深刻な事態だ。極刑が相応しいと思うが、いかがか」
紅煇王の言葉には淀みがない。それが正しいことだと思わせる力強さがあるのだ。逆に問い返されてしまい、忉李は返答に窮した。こんなときどうしたらいいのか、なにが正しい答えなのか、なんて忉李にはわからない。簡単な外交経験すらないのだ。景葵、紫闇、白雅の順に視線をやると、白雅だけが口を開いた。
「こちらを見るな。お前の考えを問われているんだ。私が代わりに答えれば解決すると思うのか? 違うだろ? お前は王太子として、今までなにを見てきた? なにを感じてきた? お前自身が望む答えではなく、王太子としての答えを示せ。よそ者の私に言えるのはそれくらいだ」
『よそ者の』と白雅はほんの少しだけ声を落として、あえて強調した。どちらの陣営にも与しないという立場を、紅煇王にも示すためだった。その意図を察して緋煉が薄く笑った。
白雅の言葉に、紅煇王は目を細めた。わずかに評価と牽制が混ざる表情だった。
忉李は迷った末に、口を開いた。
「刑罰の内容に関しては、貴君の判断に委ねるのがいい、と私は思う。貴君の責任で、今後、この様なことがないようにしてもらいたい」
忉李はあえて、貴君の責任で、という言い方をした。この件で容疑者をどのような罪に問おうとも、その責を桜花国が負うことはない。刑の軽重に対する批判や不満はすべて紅煇王に向くことになる。また、同様の事態が起きた場合、その責も紅煇王が問われることになるのだ。その意図に気づいた紅煇王は内心で感心した。頭の良い子供だ。
「……承知した」
それから、忉李は大きく息を吸った。一度息を吐いて、それからもう一度吸うと、結論を口にした。
「謝罪を、受け入れよう。私は桜花国の王太子として、そしてこの島に生きる一人の民として、貴君に変わらぬ両国の和平の存続を望む」
紅煇王はニヤリと笑った。
「確かに承った。王太子殿下のご厚意に感謝する……聞いたな、緋煉」
「はい、確かに」
「これにて今回の一件は仕舞いだ。奸臣どもには然るべき手続きののち、然るべき処罰をくだせ。王太子殿下のご一行には旅の疲れが癒えるまで、我が国の賓客として滞在してもらい、好きなときにお帰りいただく。いいな?」
「かしこまりました」
指示を出し終えると紅煇王はなんのてらいもない笑みを浮かべた。
「聞いての通りだ。忉李王太子殿下。気の済むまで滞在してくれ」
「感謝する」
忉李はようやく緊張を解きつつ、頷きを返した。場の空気がほぐれた。
*
一人ひと部屋ずつ与えられたが、結局、四人はひとつの部屋に集まっていた。先ほどまでの緊張が嘘のように、部屋の空気は温かく、人心地のつく静けさがあった。
白雅は忉李に近づくと、その頭をクシャクシャと撫でた。
「冷たい言い方して悪かったな、忉李……お前はよくやったよ」
「ううん。あの場では、あれで良かったんだ。僕が未熟なのは本当だしな」
「これから成長すればいい。赤鴉なんてもう三十だぞ。お前はまだその半分も生きていないじゃないか。だから、大丈夫。お前はそのうち、きっといい王様になる。私が保証してやる」
よしよしと忉李の頭をかいぐりすると、忉李が恥ずかしそうに身じろぎした。
「わ、よせ、白雅。ここでは誰が見ているかわからないのに」
「んー、まぁな。だが、赤鴉が賓客として滞在してもらうと言った限り、こと、ここでの私生活に関して、失礼なことはしないと思うぞ?」
「そうだね。アタシもそう思うよ。ボウヤも強行軍で疲れただろうし、ゆっくりと休みな」
そう言うと、紫闇は部屋を出て行った。白雅にはなんとなくわかる。きっと赤鴉のところに行ったのだろう。言ってやりたいことが五年分は溜まっているのに違いないから。
「考えてみれば、結構経っているな。父上は、お元気だろうか。病気が治ったこと、喜んでくださるだろうか」
「あぁ、きっとな。お前の帰りを、首を長くして待っているさ。そうだ、忉李も、景葵も今のうちに寝ておけよ。赤鴉は話好きだからな。きっと夕食後は旅の話を聞かせろとやってくるぞ」
忉李がげっと呻くような表情になった。どうやら、先ほどの話し合いの一件で、忉李の中で紅煇王は苦手の分野に区分されてしまったらしい。そそくさと忉李が寝台に横になる。
「景葵も寝ろ。ここは私がいるから大丈夫だ」
「……わかった」
なにか白雅に言いたそうにしていた景葵だったが、結局、なにも言わずに長椅子に横になった。
「おやすみ、二人とも。良い夢を……」
そう口にする白雅の声はどこまでも優しかった。
ふたりの寝息が穏やかに重なり、部屋は徐々に夜の気配に沈んでいった。白雅は背を預けるように椅子に腰をおろすと、ふっと心の奥が柔らかくほどけるのを感じた。
『……白雅はいったい誰が好きなのだ?』
白雅の頭の中で声がする。竜神──璙王の声だ。忉李と景葵を起こさないように、頭の中で会話する。
(なんだよ、藪から棒に……みんな好きだよ。赤鴉も紫闇も、忉李も景葵も……)
『だが、わかっておるのか? 我は時の権力者の手に堕ちるわけにはいかぬ。我とともにある決意をした以上、否、それが対価である以上、そなたの行動は我に縛られることになる』
(わかっている。紅煇王にも忉李にも、どちらにもつかない。忉李を玉蓮にある王宮に送り届けたあとは、また旅に出るよ。大切な人たちが同じ空の下、元気でいてくれれば、私はそれでいいんだ……)
忉李の病は癒え、赤鴉にも再会して、もう心残りはない。ときどき旅の途中に寄って、旅の話を面白おかしく聞かせてやるのも悪くない。白雅は心からそう思っていた。
『……我が言っているのは、そのことではないのだが……まぁいい。そなたが納得しているのであればな』
(あ……ひとつ、言い忘れていた……)
『なんだ』
(璙王のことも好きだよ……)
竜神は、そのときの白雅の顔を見てしまった。穏やかで柔らかな、どこか胸を温かくする笑み。それは充分に大人の女性のもので、竜神を思わず落ち着かなくさせた。
『……なんだ、この胸のざわめきは。熱ではない。怒りでもない』
竜神の胸奥でなにかがひりつくように揺れた。だが、それがどんな名を持つ感情なのか──思い出せない。
『こんな感情、いつ以来だ……?』
(どうかしたのか? 璙王……)
『いや、なんでもない……それより、白雅のことを聞かせてほしい。お前の物語を聞きたい』
気のせいだと、竜神はそう自分に言い聞かせることにした。そうでもしなければやってられない。幸いにも白雅と話すべきことはたくさんあるのだった。
*
たっぷりの時間が経過して、侍女が食事の準備ができたと呼びにきた。景葵を起こしてから、忉李を揺すった。ぐっすり寝ていて、なかなか起きない。忉李のゆっくりとした寝息に、白雅は気づかれぬようそっと胸の奥を緩めた。
「殿下」
景葵の呼びかけで、ようやく忉李が目を開けた。
「……もう出発か?」
「違う。食事の時間だと」
寝惚けている忉李に苦笑して、白雅は答えた。そういえば、璙王は食事をするのだろうか。白雅はふと、さっきから胸の奥にかすかな気配が張りついているのを感じた。
『神である我に食事は必要ない。案ずるな』
「人の思考を勝手に読むなよ……」
『それが嫌なら、思考を読まれぬようにする術を身につけよ。やり方は追々教えてやる』
「わかった」
小声でブツブツと呟く白雅に、忉李が気づいて声をかけてきた。
「白雅、どうかしたのか?」
「いや、なんでもない……行こう」
侍女に案内されて、食事用の部屋に通される。皿が並ぶたび、従者の視線がわずかに揺れる。敵地ではないとはいえ、警戒は完全には解けない。
「要らんとは思うが、一応、毒味はしておくか……」
「では、自分が……」
「いや、今回は私がするよ……知人の責任もあるしな。ほら、忉李。これは大丈夫だ」
忉李は白雅が毒味を済ませたものから手を付けていく。桜花国では毒味の習慣は身近なもので、忉李にも抵抗はない。それでも、忉李の頬はわずかに赤かった。
四人が食事を済ませて休憩していると、予想通り、紅煇王がその場に姿を現した。扉が開くと同時に、その場の空気が自然と王を中心に収束した。
「やっぱり来たな、赤鴉」
「まぁな。土産話は旅の醍醐味だろ?」
「じゃあ、始めから話してやる。私が忉李に出会ったところからな。赤鴉にはあまり聞きたくない話かもしれんが」
白雅は順序よく、それも簡潔に出来事を説明した。足りないところは忉李や紫闇、ときどき景葵が補足した。
忉李は、かつての自分を思い返すたびに指先にわずかな汗が滲むのを感じていた。
「ほう……それでは、白雅は武官を辞めて旅に出たんだな」
「そうだ。それで……」
話は大いに盛りあがったが、霊王山の最深部に至るところで白雅は声音を落とした。喉の奥に、言葉にならないざらつきがひっかかった。
「……駄目だ。これ以上は私の口からは言えない。詳細が知りたければ紫闇にでも聞くんだな」
「なによ、その丸投げっぷりは」
紫闇が抗議したが、白雅はただ笑うだけだった。
「では、竜神は確かにいたんだな?」
「あぁ。だが……」
白雅はやや言い淀んだ。少し迷った末に、事実を端折って伝えた。
「今はもう、霊王山にはいない。竜神もまた、旅に出たんだ。あの山は、確かに神域さ。今でもきっとな」
「……そうか」
紅煇王は満足そうなため息をつくと、満面の笑みを浮かべた。
「くっそー、俺も竜神を見てみたかったなー」
「赤鴉もなにか願いがあるのか?」
白雅が問うと、紅煇王はあっさりと首を横に振った。
「いや、特にない。あっても自分でなんとかするさ。なんとかできるうちはな。どうしようもないところは神頼みというか運次第だ。まぁ、運も実力のうちってな。だって、お前、竜神だぞ? 旅人垂涎のお宝もんだ。未知との遭遇を男の浪漫と言わずしてなんと言う」
紅煇王は子供のように目を輝かせ、豪快に笑った。
「……赤鴉のそういうトコ、尊敬するよ」
彼の笑い声を聞きながら、白雅の思考はふと過去へと揺蕩った。
その男の浪漫とやらを理由に国を飛び出して、たった三年で武人として名を馳せるまでになったのだから実際大した物だと思う。
赤鴉が白雅と出会ったのはそんな折だった。色彩が白くて、字面が似ていて、語呂がいいというだけの理由で『白雅』と名付けられた。実に安直だが、今ではもう、それ以外には考えられない。この名前は自分の大切な宝物だった。
「喋り過ぎたな。少し夜風に当たってくるよ。皆は先に休んでいてくれ」
そう言うと白雅は席を立ち、外に通じる扉を開けた。外の夜気が流れ込むまでの数秒だけ、静かに目を閉じる。
独りになりたいという言葉は胸にしまったまま、扉をそっと閉じた。外では、遠くで虫の声がかすかに揺れていた。
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