第2話 連行
もうダメだ。ついていけない……。
というより、勝手に巻き込まれてる。
ここ、12階ですけど……。
学校から帰ってきて、窓を開けてベランダに出る。
そして下を見る。
……高い。落ちたら、確実に死ぬ。
彼らは一体どこから来るのか。まさか上から……? そんなわけがない。
すると、横から足が伸びてきて……。
「あれ? おかえり」
隣の部屋から、壁を越えてアキが現れた。
「え、隣?」
「そう。知らんかった? それより腹減ったー、冷蔵庫ー」
そう言って、アキはまた俺の部屋に入り、冷蔵庫をあさり始めた。
「ま、まって? 俺の食料……」
「ん? お前、モルモットなのに、普通の飯食うの?」
──いや、言ってる意味がわからない。
「ああ、そうなるのは、実際に”飼われて”からか」
「え、いきなり、何?」
「俺と美咲は解除したけど。お前にも方法あればいいのに」
アキはハムをかじりながら言った。
「じゃね」
そして、出て行った。
◇◇
いや、いやいや。
なんだ? いまの?
頭の中が、混乱した。
急いで隣の部屋に向かう。
ピンポーン。
「ん? どしたん?」
普通にアキが出てきた。
「いやいや。さっきの話、よくわからないし」
「わかる必要ないよ。もうすぐ何も考えられんようになるから」
── は?
「怖いこと言わないで」
「んー……めんどい。中、入る?」
そしてアキの部屋に入った。
部屋の中に、美咲がいた。
「あら、アキのモルモット」
美咲が俺を見て、そう言った。
「は? アキのモルモット?」
「うーん。そうだけど、まだ話すの早くない?」
「仕方ないよ。アキが接触したから」
美咲が呆れたように言った。
「だって、俺が実験体から外れる条件は、この球体が反応するヤツを見つけることだから」
「まあ、そうね」
「……実験体?」
不穏な言葉に、恐る恐る聞いた。
「実験体ごとに反応する球体が違うんだ。で、研究者のネームプレートが剥がれて放置されてる球体があって」
「球体? 身体が動かなくなるやつ?」
「そう。その球体が反応するヤツを見つけたら、俺を実験体じゃなくて世話係にしてやるから探せって」
「それがあなた。おかげでアキは世話係。だから研究員になれたわ。
どうする? 事情も話しちゃったし、研究所に連れて行っちゃう?」
「そうしなきゃダメ? かわいそうだけど」
「い、いやだ!」
── 何だよ、実験体って?? 怖すぎる!?
背筋が凍りつき、慌てて帰ろうとした。
キュイーン。
身体がまた鉛のように重くなり、動けなくなる。
「研究所には連絡したわ。あと5分で着くって」
「いやだー!」
思い切り叫んだ。
するとアキが布を持ってきて、俺の口の中に詰めだした。
「勘弁してな」
「んー、んー!」
声は出るけど誰にも届かない。
職員らしき人たちが、無言で部屋に入ってくる。
「じゃあ、お願いします」
そして連行された。
俺は、完全に逃げ場のない現実に連れ出された。
◇◇
施設の服に着替えさせられ、鉄格子の檻に放り込まれた。
──いやだ、わけがわからない。帰りたい。
その夜、檻の格子越しに見える天井の光を眺めて、一晩中泣いた。
鼻が乾き、声が擦り切れても、涙だけは止まらなかった。
◇◇
翌日。
アキが来て、驚いていた。
「えっ、お前、まだ意識あるの?
早くなくしてあげた方が、辛くなくてすむのに……」
「い、いやだ! 帰せ!」
「ホントは、もっと外で遊ばせてからにしようと思ったんだけどな」
「ふざけんな! 今すぐ帰せ!」
アキの背中越しに見える檻の中では、人々が何の抵抗もなく座っている。
表情のない顔。目だけが死んでいる。
「見るな。早めに済ませるから」
「いやだー!」
キュイーン。
高い音が鳴る。
身体が、また氷のように固まった。
「や、やめろー!」
思い切り叫ぶ。
プシュー。
何か、スプレーを吹きかけられた。
急に意識が朦朧としてくる。
職員が数人来て、引きずられるように台の上に乗せられる。
白いライト。消毒の匂い。冷たい金属──
針先の冷たさが皮膚を刺し、薬剤が血管を流れ込むと、世界がゆっくり溶け始めた。
遠くで聞こえる雨音みたいに、雑音が薄れていく。
そして、身体の端から感覚が消えていった。
指先、唇、耳鳴り──
思考の輪郭がぼやけ、恐怖さえ温度を失っていく。
──いやだ、いやだ、帰りたい。
言葉は遠くなり、やがて自分の名前すら曖昧になった。
世界が白く溶け、最後に残ったのは、抜け殻のような静けさだった。
◇◇
「わかるー?」
声がする。……頷く。
「座れる?」
──座る。ペタン。
「よくできたじゃん」
体に感覚が伝わる。もたれる。
「こら、体重かけすぎー」
……体重? よくわからない。
「こいつで何の実験するの?」
「この子の研究者、誰だっけ?」
「ネームプレート剥がされてて、わからない子」
「じゃあ檻で待機かな」
「檻、行く?」
わからない。……首を横にふる。
「え、嫌なの?」
わからない。……なんとなく首を縦にふる。
「でも、他に入れる場所ないよ?」
「待機ですよね。もう、こいつ何もわからないし、研究室で飼おうかな」
「あなたが世話係だから、それでいいならいいけど……」
──どこかに着いた。
「お前は、何の実験のためのモルモットなんだろうね?」
わからないから、首を横にふる。
「そうだよね。俺もわからん」
わからないから、首を縦にふる。
「そうか。お前もわからんかー」
頭をぐるぐるされる。
「さて、どーしよーな」
◇◇
「その子、どうするの?」
「お、美咲。いま考え中」
「研究者がいなくなって、ネームプレート外されたなら、解放しちゃえばよかったのに」
「そうなると俺が実験体から卒業できないから、コイツには感謝してるよ」
「聞いたけど、その子、今までのデータもないって」
「じゃあ、どうなるの?」
「洗脳テストが終わってもデータがないなら、他の実験に回されるか……」
「それって、本来の実験より良くなる?」
「いえ……悪くなるわね」
「……追加の薬物投与しなければ、まだ植物にはならない?」
「まあ、まだ一回目だし……どうするの?」
「研究者が見つかるまで、もう少し遊んでやろうかな」
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