推し活殺人事件⑦

◆第7章 「助けたいのに、届かない」




神崎 航は、

あの日のステージで確信した。


空の笑顔は、すでに“役目”になっている。

歌声は完璧でも、魂がどこにもいない。


その夜、楽屋の鏡で空が

一瞬だけ眉を動かした。

“痛み”を隠すように、ほんのわずかに。


その小さな揺れが、航には耐えられなかった。


(……もう限界なんだろ、空)

(気づいてないふりなんて、できるか)


航はリーダーとしての責任より、

“仲間として”空を止めようと決めた。



収録が終わった帰り、

航は勇気を振り絞って空を呼び止めた。


「空、ちょっと話せるか?」


空は一瞬、ピタリと固まった。

振り返ると、ゆっくり微笑む。


「どうしたの? 大丈夫だよ、俺は。」


その一言が、逆に痛かった。


(その“俺は大丈夫”が一番大丈夫じゃないんだよ…)


航は呼吸を整えて言う。


「最近、無理してるだろ。

 一回でいい。話してくれ。」


空の喉が、ぎゅっと動いた。


「……無理なんて、してないよ」


目は優しいのに、

声がどこか遠い。


大丈夫なふりをしていることが分かる。

でも、その奥に“助けて”が微かに見える。



空の頭の中は、混乱していた。


(言いたい。言いたい。言いたい。

助けてほしい。誰かに受け止めてほしい。)


でも——


(言ったら迷惑になる。

そんなこと言ったらEVEが壊れる。)


胸が苦しい。

呼吸が浅い。


それでも口に出る言葉は、

今日も“完璧な空の答え”。


「心配してくれてありがとう。

でも、本当に大丈夫だから。」

「リーダーが不安になると、みんなに伝染するでしょ?」


航は言葉を失った。


空は…

“自分の弱さより、他人の気持ちを守ってしまう”。



航は思わず言った。


「空、俺はEVEよりお前が大事だ。」


空の肩が震えた。


(そんなこと言わないでよ航……

そんなこと言われたら、泣いちゃうのに。)


空は顔を逸らす。


「俺は平気。

どんな状態でも、ステージに立てる。

みんなに迷惑なんてかけないよ。」


その言葉はまるで

“助けを拒むための呪文”のようだった。



この時、空は気づいていた。


・限界を超えていること

・航が気づいていること

・助けてくれようとしていること

・自分が何を言うべきか

・言えなければ、壊れること


全部分かっているのに、

言葉にならない。


言った瞬間、

完璧な“天城 空”が崩れるのがわかっていたから。


「……ごめんね、航。

こんなんで、リーダーに気を遣わせて。」


気を遣っているのは空のほうだった。



最後に航は言った。


「空。

もし苦しくなったら…誰でもいい。

俺たちに言ってくれ。

な?」


空は笑った。

微笑んだ。

でもその笑顔は、航が見たどの笑顔よりも脆かった。


「……うん。ありがとう。」


航の胸に残ったのは、

“言ってくれる日は来ない”という確信だった。


そして航は後悔する。


(倒れる前に気づいたのに。

なのに、手を掴めなかった。)


その時、空の心では

“ある決断”が少しずつ生まれていた。


助けを求めることではない。

逃げることでもない。


“誰にも迷惑をかけずに終わらせる”という、

最悪の選択肢が。



その翌日。

空は初めて——

“帰らなかった”。


誰にも言わず、どこへも寄らず、

ひとりで街の闇に消えた。

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