推し活殺人事件⑥
◆第6章 「光は、もう痛い」
天城 空は、壊れ方まで静かだった。
誰にも気づかれず、
誰も責められず、
音も立てずに崩れていく。
悲鳴を上げるような派手な崩落ではない。
壁に入り込む細い亀裂が、
じわじわと広がっていくような、そんな終わり方だった。
ある夜、空は
久しぶりにSNSへ長文を投稿した。
“無理しないでね”
“疲れてるのかな?”
“心配させてごめんね”
優しい言葉に見える文字が並んだ。
だけど、
空の指は震えていた。
(……違う。俺は“慰めてほしい”わけじゃない)
(心配されるのも“仕事”の一部になっていく)
そしてその投稿は、
一晩で彼の地獄を深くした。
彼女らは、その“闇”すら消費した。
《闇空くん尊い》
《この弱ってる感じがたまらない》
《空くんの闇を受け止められるのは私だけ》
空は悟った。
闇さえも、彼女らにとっては“供給”になる。
弱さは、守られる理由ではなく
“新しい萌えポイント”として扱われる。
その瞬間、
空の胸から何かがストンと落ちた。
空は、言葉を持つのをやめた。
メンバーに言えば心配をかける。
スタッフに言えば仕事が増える。
家族には迷惑をかける。
そして——
ファンに言えば“消費される”。
だから、何も言わなかった。
言えなかった。
空はSNSを開くのが怖くなった。
怖いのはアンチではない。
過剰な愛だ。
《空くん、病んでるの?》
《早く元気になって!》
《笑ってほしい!》
《弱音も全部愛してるから!》
(……弱音も愛されるのか)
胸の奥がずっとざわつく。
安心ではなく、圧迫だ。
“完璧じゃなきゃいけない”というプレッシャーから逃げたはずが、
“闇さえも求められる”という
もっと強い枷へ変わってしまっていた。
仕事場の鏡に映る自分を見た。
笑顔が固い。
目に光がない。
頬が上がっているのに、心が沈んでいる。
(……俺って、誰だっけ?)
鏡越しの顔が他人に見えた。
“天城 空”という偶像だけが鏡にいる。
自分という存在は、
とうにその後ろ側へ押し出されてしまっていた。
空は毎日矛盾を抱えていた。
・本当は気づいてほしい
・でも気づかれたら困る
・弱さを見せたい
・でも弱さを見せたら失望される
・逃げたい
・でもEVEを手放したくない
そのすべてが心の中で絡まり、
空は静かに息ができなくなっていった。
ライブの歓声の中、
空は覚えた。
たくさんの人に囲まれていても、
孤独は薄まらない。
むしろ
“求められるほど孤独は濃くなる”。
メンバーの笑い声も、
ファンの声援も、
掌を振る光も、
全部——
ガラス越しに聞こえていた。
(……どうしたら、戻れるんだろう)
その問いは、
空の心に届く前に霧散していく。
空はまだ笑っていた。
まだ仕事をしていた。
まだ“天城 空”を演じていた。
誰も気づかない。
気づけない。
空自身でさえ、
自分が“限界”を越えたことに気づいていなかった。
ただひとつ、確かなことがあった。
光を浴びるほど、
天城 空という男は死んでいった。
その影は、
もうすぐ音を立てて崩れる。
誰にも知られず、
誰にも止められず、
静かに、静かに——。
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