1日目・森林③
***
差し伸べられた男の手には、有無を言わさない、岩のような剛健さがあった。
この世界で何をすべきか、何が起きているのか、俺には何一つ分からない。だが、この無骨な手を取れば、泥沼のような現状を力ずくで打破できる――そんな確信めいた予感が、胸の奥で熱く脈打った。
けれど。
「俺は……怖いです。カルムさんも、あなたも。何もかもが、信じられない」
「……そうか。ならば、ここからは俺の独り言だと思って聞いてくれ」
痩せこけた男は、無造作に生えた髭をなぞりながら、感情の欠落した声で言った。
「本来、【能力】で参加者を殺すことはできない。それがこの【遊戯】のルールだ。しかし、あのカルムとかいう女は異常だ。奴の【髪】は、奴自身の歪んだ殺意によって、既存のルール……【能力】の概念を、【災い】として再定義している。このままでは、こちらが一方的に削り殺される」
男は表情一つ変えず、淡々と、事務的な報告のように続ける。
「要するに、何を言いたいかというと、こちらも概念を再定義する【能力】――【概念上書き】とでも呼ばれる特異な力で応戦するしかない。そこで鍵になるのが、龍王坂健くん、君だ。……自分の身体をよく見てみろ。目立った外傷はないが、小さな火傷があるはずだ」
言われて初めて気づいた。
震える手で袖をまくると、腕や腹部に、煤にまみれた小さな火傷の痕がいくつも点在している。
「それはおそらく、君自身の【能力】によるものだ。本来、自分の【能力】で自分を傷つけることはあり得ない。だが君の体にはその痕跡がある。つまり君もまた、彼女と同じ――理を捻じ曲げる【概念上書き】の適性者なんだよ」
「俺が……あの化け物と同じ……?」
吐き気がした。
今、目の前で不気味に沈黙を保つあの女と、俺が同類だというのか。そんな恐ろしいことがあってたまるか。
俺はただの一般人だ。平穏な日常を生きてきただけの男だ。なぜ、俺にそんな呪いのような力が——。
「ここまで聞いてくれて感謝する、龍王坂健くん。あとは、君が『選択』するだけだ。戦って生きるか、無様に死ぬか」
心臓を素手で掴まれるような問いかけに、俺はまた答えに窮した。
俺が、戦う?逃げることさえままならない俺が、あの殺戮者に立ち向かえと言うのか。
「俺は、俺には……っ」
無理だ、と。そう叫べ。そうすれば、誰かが助けてくれるかもしれない。……そんな甘い幻想を、俺自身が必死に否定しようとしていた。
「……さて、そろそろ準備が整ったねぇ」
俺の葛藤を嘲笑うように、カルムが低く、愉悦に満ちた声を漏らした。
「……マズイな。結界を張られたか」
「結界……?」
男の視線に促され、周囲を見渡した。絶望が喉を締め上げる。
いつの間にか、カルムの髪が周囲の木々に蔦のように絡みつき、逃げ場を完全に断つ「檻」を形成していた。
彼女が沈黙していたのは、休戦したからではない。俺たちを確実に屠るための網を張っていたのだ。
「さて、これで選択肢は一つになった。奴を殺すか、ここで果てるかだ。……別に俺はどちらでも構わんが、君は死にたくないんだろう? だったら、俺に力を貸せ」
戦う。
戦えるのか、俺に。
いや、違う。戦うんだ。
戦え、俺。ここで死ねば、答えすら手に入らない——。
「しーねっ♡」
カルムが小さく、愛らしく呟いた瞬間。
周囲を囲んでいた【髪】の檻が、一斉に礫のような鋭利な何かを吐き出した。
「なるほど、接触発動型ではなく、遠隔操作まで可能か……」
死に際だというのに、呑気に分析を続ける男に激しい苛立ちが募る。
だが、その怒りすら意識の表層に浮かぶ暇もなく。
俺の視界は、どす黒い闇の底へと叩き落とされた。
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