1日目・森林②
***
「……っ、が……」
肺に溜まった澱んだ空気を吐き出し、俺は這いつくばるようにして上体を起こした。
意識の断絶。気絶していたらしい。
泥を噛んだような口内の不快感とともに、不意にゾワリと背筋をなでるような悪寒が走った。
思い出した。そうだ。俺は——あの、おぞましい人型の化け物に、殺されかけたんだ。
震える手で、自分の身体をあちこち手繰り寄せるように確認する。欠損はない。致命的な外傷も見当たらない。安堵の溜息を吐きかけたその時、視界の隅に映る光景に息が止まった。
俺が倒れていた周囲だけが、まるで局地的な大火災に遭ったかのように、どす黒い焦土と化していた。
……なぜだ。これもあの化け物の仕業か? それとも、俺が?
「ねえねえ。これ、キミがやったのぉ?」
鼓膜にこびりつくような、粘り気のある甘ったるい声。
弾かれたように振り返ると、そこには異様な少女が立っていた。物語から抜け出してきたような、贅沢なフリルに包まれたお姫様。
二十二歳の俺よりずっと幼く見える。だが、その瞳に宿る、底の知れない「虚無」に射すくめられた。
ここは異常だ。一刻も早く誰かと合流して、この【遊戯】から抜け出さなければ。
「あの、すいません。俺、実は事情が分からなくて——」
「質問に答えるって言ってんだよ、ボケが!!」
鼓膜を劈く怒号。
可憐な貌が、一瞬で修羅のように歪んだ。人が変わった、なんてレベルじゃない。中身そのものが別の獣に入れ替わったかのような豹変。
「す、すいません! 俺には分かりません……っ。ただ、さっき、人型みたいな奴に襲われて、それで……」
膝が笑い、声が震える。醜いほどオドオドと答える俺を見て、彼女は満足げに口角を釣り上げた。今度は、ニターッという擬音が相応しい不気味な笑みだ。
「そう。よくできたねぇ。あ、自己紹介がまだだった。私はカルム・アルビダ。君は?」
カルム・アルビダ。聞き慣れない響きだ。
確か、あの不可解な【総則】には、別世界線の人間が混ざることもあると記されていた。
そんなバカな話があるかと鼻で笑った記憶が、今、冷や汗となって噴き出してくる。
「……龍王坂、健です。実は、このゲームが初めてで……」
「どけッ!!」
今度は、地を這うような野太い嗄れ声が割り込んだ。
衝撃。横合いから突き飛ばされ、俺の身体が宙を舞う。視界が回転する中で、一人の男がカルムに向かって猛然と突進していくのが見えた。
「……ジャマ、すんじゃねええよ!!」
カルムの咆哮。
次の瞬間、俺は自分の目を疑った。彼女の長く美しい髪が、意志を持つ触手のように蠢き、鋭利な刃と化して伸長したのだ。
あれが……【能力】。空想上の産物が、目の前で現実を切り裂いている。
カルムの髪が閃光となって男へ襲いかかる。対する男は、痩せこけた体躯を限界までしならせ、紙一重でその刺突を回避し続けていた。人間離れした攻防。もはや、別の生物同士の殺し合いだ。
立ち尽くす俺の頭上に、生温かい雨が降った。
……赤。
どろりとした鉄臭い液体——血だ。男の血。
「ヒャハハハ! どうだ、私の【髪】は! お前みたいな雑魚が、私に勝てるわけねぇーだろ!!」
カルムの哄笑が響き渡る。
その視線の先で。
男の身体は、胴体から真っ二つに分断され、無残に地面へ転がっていた。
「……は? な、なんで……殺したんですか?」
口から零れたのは、あまりにも場違いで無力な言葉。
「ん? そりゃあ、このゴミが私の邪魔をしたからに決まってるでしょ?」
「だからって、殺す必要なんて——!」
胃の底から熱い塊がせり上がってくる。目の前の少女は、人間じゃない。倫理も、命の重さも、俺たちの知るそれとは根本から作りが違う「化け物」だ。
「さぁて、お話の続きだけど——」
「……大丈夫だ少年。俺はまだ、死んでないよ」
絶望的な沈黙を破ったのは、死んだはずの男の声だった。
「ふぅ……。しかし、まさか概念を塗り替えるタイプの【能力】か。【総則】の三条を完全に無視しているな……」
「……え?」
見れば、男の胴体は既に繋がっていた。服の破れ目から覗く肌は、傷跡一つなく再生している。
男はゆっくりと立ち上がり、血を拭うこともせず、射抜くような視線を俺に向けた。
「少年。君の力を、俺に貸してくれないか」
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