2日目・庭園②

​***


「キュルルルルルル……」


 ​その音は、絶望を羽ばたかせる不吉な調べだった。


 前方、先を塞ぐように三体の【蝗】が蠢いている。

 そして背後には、壁から這い出したばかりの一体が、逃げ道を断つように立ちふさがっていた。


​「香澄さん……どう、しますか……?」


 ​隣で息を切らすアルジェの震える声。


 どうする。どうすればいい。

 私は必死に、生存への方程式を組み立てた。深手を負ったアルジェを抱え、この包囲網を突破できるのか。

 そのとき、頭のなかに澱のように溜まっていた「悪魔の選択肢」が浮上した。


 ​――アルジェを囮にすれば、私だけは助かる。

 背後の一体なら、私一人であれば強引に突破できるはずだ。

 【迷宮】の奥に進んでしまうことになるが、生きてさえいれば、どうにでもなる。


 生きる道は、そこにある。

「……香澄さん?」

 絶望の淵で、アルジェが縋るような、微かな希望を湛えた瞳を私に向けてくる。

 私は一度、見捨てた。


 ムダミラを見捨てたあの日。これ以上罪を重ねれば、私はあの連中や、あの母親と同じ、救いようのない怪物になってしまう。

 だから――。

「君は、特別だ」

 【神】の言葉が、私の脳内に響いた。

 そうだ、私は、特別だったんだ。


「……え?」

 その言葉を最後に、私はアルジェの体を後方の【蝗】へと叩きつけた。

 私は走った。


 ただ一心不乱に、地面を蹴り、風を切った。


​「待って……待ってよ、香澄さん!!」


 ​背後から、アルジェの肉を【蝗】の顎が咀嚼する、不快な湿った音が響いてくる。


 それほどの苦痛に晒されながら、アルジェは悲鳴すら上げなかった。ただ、狂ったように私の名を呼び続ける。

「冗談……冗談だよね、香澄さんっ!」

 喉を引き裂くような叫びが背中に突き刺さる。


 私はその声から逃げるように、耳を塞ぐように、ただひたすらに前だけを見て走った。

 グジュ……グジュッ。


 肉が、骨が、蹂躙される音。

「香澄……さん……」

 

 グジュグジュ。

 グジュグジュ。


 ​粘つくような声。

 それでも、アルジェは悲鳴すら、あげずに、私の名を呼び続ける。


 グジュグジュ。

 グジュグジュ。

「香澄、さ、ん」


 グジュグジュ。

 グジュグジュ。


「僕は……ただ、認められたかった……だけ、なのに……」

 グジュグジュ。

 グジュグジュ。


 グジュグジュ。


 やがて、咀嚼音も、叫びも、すべてが遠ざかり、静寂が訪れた。


 ​私は、逃げ切ったのだ。

 巨大な空洞があった。

 冷たい空気が集まっていた。


 肺に流れ込む空気は冷たく、驚くほど美味い。

 胸の奥から湧き上がるのは、これまで感じたこともないような、あまりに清々しい解放感だった。

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