第5話 鍋の湯気に包まれて
冷たい風が吹き抜ける夕方。シェアハウスの窓ガラスには白い曇りが広がり、外の庭には落ち葉が積もっていた。米田ひかりは大学から帰ってきて、手をこすり合わせながら玄関を開けた。指先が冷たく、息が白くなる。
「おかえり」
リビングから声をかけてきたのは塩見晴だった。スーツ姿の彼は仕事帰りで、ネクタイを緩めながら新聞を広げている。
「寒かっただろ。今日は鍋にしようと思ってる」
その言葉にひかりの顔がぱっと明るくなった。鍋――それは冬の定番であり、みんなで囲む料理だ。
「鍋!いいですね!」
「俺も賛成!」
葉山美咲がソファから飛び起きる。派手なパーカーを着て、スマホをいじっていた彼は、食べ物の話になるとすぐに元気になる。
「鍋は栄養バランスがいい。野菜も肉も魚も入れられる」
茶谷崇が真面目に言う。大学院生の彼は、いつも理屈っぽいが、鍋の話になると少し熱がこもる。
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4人は買い物袋を抱えてキッチンに集まった。白菜、長ネギ、しいたけ、えのき、豆腐、鶏肉、そして地元の魚屋で買った新鮮なアラ。冬の鍋に欠かせない食材が並ぶ。
「俺は野菜を切る」
晴が包丁を手に取る。
「俺は盛り付け担当!映えを意識して並べるから」
美咲が笑う。
「俺は出汁を作る。昆布と鰹節で基本を整える」
崇が真面目に準備を始める。
「じゃあ僕は……手伝います!」
ひかりは慌てて声を上げた。
白菜をざくざくと切る音、ネギを斜めに刻む音、しいたけの傘に飾り包丁を入れる音。キッチンはにぎやかで、まるで小さな祭りのようだった。
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鍋に水を張り、昆布を入れて火にかける。やがてふわりと香りが広がり、鰹節を加えるとさらに深い匂いが漂った。崇は真剣な顔で「旨味成分のグルタミン酸とイノシン酸が相乗効果を――」と語り始め、美咲が「はいはい、難しい話はあとで!」と笑って遮る。
鶏肉を入れると、じゅわっと音を立てて白い泡が浮かび上がる。野菜や豆腐を次々と加えると、鍋の中は色とりどりの景色になった。白菜の白と緑、しいたけの茶色、豆腐の白、ネギの鮮やかな緑。湯気が立ちのぼり、キッチン全体が温かさに包まれる。
「いい匂い……」
ひかりが思わず呟いた。
「鍋はみんなで囲むから美味しいんだ」
晴が笑う。
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テーブルの中央に鍋を置き、4人が囲む。湯気が顔にかかり、頬がほんのり赤くなる。
「いただきます!」
4人の声が重なった。
ひかりが箸を伸ばし、豆腐をすくう。口に入れると、出汁の旨味がじんわり広がり、体の芯まで温まる。白菜は柔らかく、鶏肉はほろりと崩れる。しいたけの香りがアクセントになり、ネギの甘みが全体をまとめていた。
「美味しい……!」
ひかりの声が自然に漏れる。
「でしょ?寒い日はこれに限る」
晴が頷く。
「写真撮ろう!『冬の鍋パーティー』ってタイトルで」
美咲がスマホを構える。
「栄養バランス的にも完璧だ」
崇が真面目に評価する。
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食卓は笑い声で満ちていた。美咲が「次は雑炊にしよう!」と提案し、晴が「最後にご飯を入れて卵でとじるんだ」と説明する。崇は「米のデンプンが出汁を吸収して――」と語り始め、ひかりは笑いながら「もう理屈はいいです!」と突っ込んだ。
鍋の締めに雑炊を作る。ご飯を入れると、出汁を吸ってふっくらと膨らみ、卵を流し入れると黄色い花が咲いたように広がった。湯気の中で、4人の顔がさらにほころぶ。
「これがあるから鍋はやめられない」
晴が満足そうに言う。
「ほんと、幸せだな」
ひかりは心の奥でそう思った。
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夜、雨は止み、外には冷たい星空が広がっていた。窓から見える庭の桜の枝はすっかり葉を落とし、冬の訪れを告げている。ひかりは布団に入り、今日のことを思い返した。鍋を囲んで笑い合った時間、雑炊の温かさ、みんなの声。どれも鮮やかに心に残っている。
「こういう日常が続いていくのも悪くないな」
そう思いながら、ひかりは静かに目を閉じた。
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