第4話 雨の日の午後
朝からしとしとと雨が降っていた。窓の外は灰色の雲に覆われ、庭の桜の木も濡れた枝を静かに揺らしている。米田ひかりは、まだ眠そうな目をこすりながらキッチンに入った。昨日は大学の課題に追われて夜更かしをしてしまったのだ。
「おはよう」
エプロン姿の塩見晴が、コーヒーを淹れながら声をかけてきた。彼はいつも朝が早い。会社に行く前に必ず豆を挽いてコーヒーを淹れるのが習慣らしい。キッチンに漂う香ばしい匂いが、ひかりの眠気を少しずつ溶かしていく。
「おはようございます……」
まだぼんやりした声で返すと、晴は笑って、
「眠そうだな。今日は授業?」
と尋ねる。
「午後からです」
「じゃあ午前中はゆっくりできるな」
そこへ葉山美咲が、派手な柄のパーカーを羽織って現れた。手にはコンビニの袋をぶら下げている。
「おはよー!雨の日はパンでしょ。ほら、クロワッサン買ってきた」
袋をテーブルに置くと、バターの香りがふわりと広がった。
「朝からコンビニか」
崇が眼鏡を直しながらリビングから顔を出す。大学院生の彼は、昨夜も遅くまで研究室にいたらしく、少し疲れた顔をしていた。
「だって雨だし。パン食べながら動画でも見ようよ」
美咲が笑う。
4人はテーブルを囲み、クロワッサンとコーヒーで簡単な朝食をとった。特別な料理ではない。ただのパンとコーヒー。でも、誰かと一緒に食べるだけで少し楽しくなる。ひかりはそんな当たり前のことに気づいて、心が温かくなった。
---
午前中はそれぞれが自分の時間を過ごした。晴はスーツに着替えて会社へ向かい、美咲はソファに寝転んでスマホをいじり、崇はノートパソコンを開いて論文を書いていた。ひかりは自室で課題を片付けようとしたが、雨音が心地よくてついウトウトしてしまう。
昼近くになって、美咲が「お腹すいたー」と声を上げた。
「何か作る?」
ひかりがキッチンに顔を出す。
「いや、今日は簡単にインスタントラーメンでいいや」
美咲が笑う。
「ラーメンか……」
崇が眼鏡を押し上げて、
「栄養バランス的には野菜を入れるべきだな」
と真面目に言う。
「じゃあネギくらい入れようか」
ひかりが冷蔵庫を開けると、昨日の残りのネギがあった。
鍋に湯を沸かし、袋麺を入れる。スープの香りが広がり、雨の日の午後にぴったりの匂いが漂う。ネギを刻んで加えると、彩りが少し良くなった。3人で分け合って食べるラーメンは、決して豪華ではないけれど、妙に美味しく感じられた。
「やっぱり雨の日はラーメンだな」
美咲が満足そうに言う。
「簡単でも、誰かと食べると美味しいんだよ」
ひかりが笑う。
「その通りだ」
崇が頷いた。
---
午後、ひかりは大学へ出かけ、残った二人はそれぞれの時間を過ごした。夕方になると晴が帰宅し、キッチンに立った。冷蔵庫の中を見て「今日は雨だし、シチューでも作るか」と呟く。玉ねぎ、人参、じゃがいも、鶏肉。材料を切って鍋に入れ、牛乳を加える。湯気とともに優しい香りが広がり、家の中が一気に温かくなった。
夜、4人が再びテーブルを囲む。白いシチューを口に運ぶと、体の芯まで温まるようだった。ひかりは「こういう普通の日もいいですね」と呟いた。晴は「特別な料理じゃなくても、みんなで食べれば十分だ」と笑う。美咲は「写真撮ろう!『雨の日シチュー』ってタイトルで」とスマホを構える。崇は「乳製品の栄養価は――」と言いかけて、みんなに笑われた。
---
その夜、雨はまだ降り続いていた。窓の外は静かで、シェアハウスの中だけが温かい灯りに包まれている。ひかりは布団に入り、今日一日のことを思い返した。朝のクロワッサン、昼のラーメン、夜のシチュー。どれも特別な料理ではない。でも、みんなと一緒に食べたからこそ、心に残る一日になった。
「こういう日常が続いていくのも悪くないな」
そう思いながら、ひかりは静かに目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます