第6話 朝のトーストと小さな会話
朝の光がカーテンの隙間から差し込み、シェアハウスのキッチンを柔らかく照らしていた。米田ひかりはまだ眠そうな目をこすりながら、パンの袋を抱えてキッチンに入った。昨日スーパーで買った食パン。特別なものではない、どこにでもある6枚切りだ。
「おはよう」
塩見晴がコーヒーメーカーの前に立ち、豆を挽いていた。彼はいつも朝が早い。会社に行く前に必ずコーヒーを淹れるのが習慣らしい。キッチンに漂う香ばしい匂いが、ひかりの眠気を少しずつ溶かしていく。
「パン焼く?」晴
が声をかける。
「はい。トースト食べたいです」
ひかりは頷き、食パンをトースターに入れた。
そこへ葉山美咲が派手なパーカー姿で現れた。手にはジャムの瓶を持っている。
「おはよー!今日はイチゴジャムだよ。映えるからね」
「映えって朝から……」
ひかりは苦笑する。
茶谷崇も眼鏡を直しながらリビングから顔を出した。
「トーストは炭水化物の供給源として優秀だ。ジャムを塗れば糖分も補給できる」
「朝から理屈はいいです!」
美咲が笑いながらジャムをスプーンですくった。
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トースターの中でパンがじわじわと色づいていく。香ばしい匂いが広がり、やがて「チン」と音が鳴った。ひかりがパンを取り出すと、表面はこんがりときつね色に焼けていた。バターを塗ると、熱でじゅっと溶けて艶やかに広がる。
「この瞬間が好きなんだよな」
晴が呟く。
「写真撮ろう!バターが溶けてるところ!」
美咲がスマホを構える。
「栄養的には脂質が――」
崇が言いかけて、みんなに笑われた。
ひかりは一口かじった。外はカリッと、中はふんわり。バターの塩気とパンの甘みが混ざり合い、シンプルなのに心が満たされる味だった。
「美味しい……」
思わず声が漏れる。
「トーストって、なんか安心するよな」
晴が頷く。
「俺はジャム派!」
美咲がパンにたっぷりイチゴジャムを塗ってかじる。赤い色が鮮やかで、朝の食卓を少し華やかにした。
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食卓は笑い声で満ちていた。特別な料理ではない。ただのトーストとコーヒー。でも、みんなで食べるだけで少し楽しくなる。ひかりはそんな当たり前のことに気づいて、心が温かくなった。
「俺、小さい頃は母さんがよくトーストに砂糖を振ってくれたんだ」
晴が懐かしそうに語る。
「俺はチーズトーストが好きだった。焦げ目がつくくらい焼いてさ」
美咲が笑う。
「トーストは調理法がシンプルだからこそ、バリエーションが多い」
崇が真面目に言う。
ひかりは黙って聞いていたが、心の奥で思った。――ここでの暮らしは、特別な料理だけじゃなく、こういう日常の食べ物でも十分に物語になるんだ。
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その日の午後、ひかりは大学へ向かい、残った三人はそれぞれの時間を過ごした。夜になり、また食卓に集まったとき、誰かが「明日の朝もトーストにしよう」と言った。みんなが笑って頷いた。
パンの袋はまだ半分残っている。明日の朝も、きっと同じように焼けるだろう。香ばしい匂いと、バターの艶、ジャムの赤。何気ない日常が、少しずつひかりの心に積み重なっていく。
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