第2話『物乞い』

「いや、それってただの『物乞い』じゃないの?」


私はスマホの画面に向かって抗議した。

さっきの『業(カルマ)の引き取り』じゃない。今回のオーダーはもっと原始的だ。


**【業務内容:指定エリアの独身男性宅を巡り、食料の施しを受けること】**


「現代日本で? 25歳の女が? 『何か食べ物ありますか』って?」

通報される。絶対に。岐阜県警のご厄介になる未来しか見えない。


**チッチッち。**

またあの安っぽいSEと共に、画面のお姉さんが人差し指を振る。


「ハルカちゃん、キミは分かってないなぁ。これは『フードロス削減』というSDGsな業務なのよ! 孤独な男性は、買いすぎる! 作りすぎる! 実家から野菜が届きすぎる! それを救済するの!」


「言い方……」


「さ、現場に着いたわよ。高リスク高リターン。信じる者は救われる、いざチャイムを!」


***


目の前には、築30年は経っていそうな鉄骨アパート。

表札には『田中』の文字。

緊張で喉が鳴る。


「……やるしかない、のか」


もし「帰れ!」と怒鳴られたらダッシュで逃げよう。私はスニーカーの紐をきつく結び直し、震える指でインターホンを押した。


ピンポーン。


「……はい」

不機嫌そうな低い声。ドアがチェーン越しに少しだけ開く。

隙間から覗くのは、眼鏡をかけた神経質そうな30代の男。


「あ、あの……!」

私は愛想笑いを貼り付け、アプリのマニュアル通りのセリフを口にした。


「し、修行中の身でして……その、お余りの食材など、**なにか食べ物はありますでしょうか……?**」


言った。言ってしまった。

死にたい。羞恥心で爆発しそうだ。

男の目が眼鏡の奥で光った。沈黙が痛い。


「……食べ物?」

「は、はい。賞味期限切れ間近とか、作りすぎたものとか……なければ結構ですので!」


逃げよう。やっぱり無理だ。

私が踵を返そうとした、その時だった。


ガチャチャッ!

ドアチェーンが乱暴に外された。


「待て!!」


「ひっ! す、すみません! もう来ませんから!」


「違う! 待ってくれ、頼む!」


男はドアを全開にし、私の腕……ではなく、私の持っていた「集荷用エコバッグ」を掴んだ。その顔は、なぜか必死で、そしてほんの少し紅潮していた。


「あるんだ……めちゃくちゃあるんだ……!」


「え?」


男は玄関の奥へダッシュし、ダンボール箱を抱えて戻ってきた。


「実家の母親が……! 頼んでもいないのに、毎月送ってくるんだ! 『あんた野菜食べてるの?』って!」


ドサッ!

私の足元に置かれたのは、泥付きのネギ、白菜、そして大量のじゃがいも。


「一人暮らしで消費できるわけないだろ! 腐らせるのも罪悪感だし、捨てるのも面倒だし……ずっと、誰かにらちって(引き取って)欲しかったんだ!」


男は私のエコバッグに、狂ったようにジャガイモを詰め込み始めた。


「これも持っていけ! お歳暮でもらった高級ハム! 切るのが面倒で放置してた!」

「あ、あの、そんなに……」

「あとこれ! 昨日作りすぎたカレー! ジップロックに入ってるから!」


気迫に押され、私はただ立ち尽くす。

ものの数分で、エコバッグはずっしりと重くなった。


「ふぅ……」

男は額の汗を拭い、清々しい顔をした。


「助かった。これで冷蔵庫にビールが入るスペースができた。……ありがとう、修行僧の人」


バタン。

ドアが閉まった。


私は廊下に一人、大量の野菜とハムとカレーと共に取り残された。


**ポロリーン♪**

スマホが軽快に鳴る。


《査定完了!》

《・実家の無農薬野菜セット:3,000円相当》

《・高級ハム(未開封):5,000円相当》

《・二日目のカレー:プライスレス(希少性ボーナス)》


《合計査定額の50%、**4,000円**があなたの報酬です! 現物はそのままあなたの夜ご飯にどうぞ!》


「……え?」


私は重たいバッグを見下ろした。

物乞いをして、感謝されて、食材が手に入って、さらにお金がもらえる?


「……くれるんだ。本当に」


次の部屋は205号室。

私はニヤリと笑い、バッグを持ち直した。

さっきより、チャイムを押す指に迷いはなかった。


「たのもー! ……あ、違った。なにか食べ物はありますでしょうかー!」


岐阜の夜。

現代のタクハツは、孤独な男たちの冷蔵庫を救い、私の胃袋と財布を満たしていく。

ただし、このあと「手作りケーキ」を渡してくる重たいおじさんに遭遇するまでは、私はこの仕事を天職だと信じて疑わなかった。

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