第3話**警察官だ。**

「げっ……!!」


エコバッグの持ち手が指に食い込む感触に耐えながら、次の獲物(マンション)へ向かおうとした矢先だった。

角を曲がった瞬間に鉢合わせたのは、紺色の制服。腰には警棒。そして鋭い眼光。


**警察官だ。**


(やば! 別に悪いことしてない! ……してないよね!?)


反射神経が悲鳴を上げる。

私は瞬時に踵(きびす)を返し、競歩の選手も真っ青の速度でUターンを決めた。

逃げるが勝ち。いや、戦略的撤退だ。


「あ! ちょっと君! 待ちなさい!」


背後から野太い声。

そして、ドタドタと迫りくる安全靴の足音。


(なんで追ってくるのよ! ただネギとハムを持った女よ!?)


だが、悲しいかな。

私の手には数キロのジャガイモと、液漏れが心配なジップロック入りカレー(2日目)。

逃げ足が鈍る。


「はぁ、はぁ……くそっ!」


ガシッ!

肩を掴まれた。ゲームオーバー。


「逃げるとは怪しいな。この辺りで不審者の通報があってね」


若い巡査だった。懐中電灯の光が、私の顔と、パンパンに膨らんだエコバッグを交互に照らす。


「君、どこの子? その荷物、まさか空き巣の……」

「ち、違います!!」


私は首をブンブン振った。

ネギの頭がエコバッグから飛び出し、巡査の顎をかすめる。


「これは……その、頂いたんです!」

「頂いた? この深夜に、大量の芋とカレーを?」


巡査の目が「コイツやべぇ」と語っている。

どうする。どう言い訳する?

「アプリの指令で」なんて言ったら、余計に署まで連行されそうだ。


私は覚悟を決めた。

背筋を伸ばし、あくまで真顔で、あのセリフを口にする。


「あの、**修行中の身**でして!」


「……はい?」


巡査がポカンとした。

私は畳み掛ける。


「『タクハツ』です。家々を回り、施しを受けて己の業(カルマ)を見つめ直す……そう、現代の修行僧なんです!」


「修行……僧?」


巡査は私の頭(茶髪・ボブ)から足元(スニーカー)までをじろじろと見た。

そして、私の左腕に巻かれた、あのインチキくさい黄色い腕章『精神衛生管理・委託業者』に目を留める。


「……精神の、修行?」

「そうです! 現代社会の荒波に揉まれ、己を無にするために……こうして皆様の『余り物』を頂戴し、感謝して食すのです!」


苦しい。我ながら苦しすぎる言い訳だ。

冷や汗が背中を伝う。

巡査はしばらく黙り込み、そして、深くため息をついた。


「……最近は、変わった宗教も多いからなぁ」


(えっ、信じた?)


「まあ、空き巣にしては盗品がショボすぎるし、君みたいな子が……ふうん」


巡査は同情に満ちた目で私を見た。

どうやら「怪しい新興宗教にハマって、こんな夜中にボロアパートを回らされている可哀想な女性」というレッテルを貼られたらしい。

それはそれで不名誉だが、逮捕されるよりマシだ。


「……君も大変だね。親御さんは知ってるの?」

「い、いえ、これは私個人の……求道(ぐどう)の心ですので」


「そうか。まあ、通報があった以上、あまり騒がしくしないように。あと、職質かけたお詫びじゃないけど……」


巡査はポケットをゴソゴソと探ると、一つの小さな物体を差し出した。


「これ、夜食に食おうと思ってたんだけど。あげるよ」


私の掌に乗せられたのは、個包装された**『あんぱん』**だった。


「……え?」


「施し、なんだろ? 修行、頑張んなさいよ」


巡査は軽く手を振ると、パトロールに戻っていった。


私は呆然と立ち尽くす。

右手にずっしりとした芋とカレー。左手にあんぱん。


**ポロリーン♪**


《査定完了!》

《・公僕のあんぱん:120円相当》

《・レア度:S(権力機関からの施しボーナス!)》


《システム管理者より:やるじゃんハルカちゃん! まさかケーサツまで攻略するなんて! その調子で交番巡りもしちゃう?》


「……するかッ!!」


私はあんぱんの袋を破り、やけ食いしながら夜道を歩き出した。

アンコの甘さが、妙に沁みた。

岐阜の夜は、まだ長い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る