第25話:美桜のJCS【02月19日】

【軽井沢へ向かうアルファード車内】


俺の身体はまだ鉛のように重かった。倒れた後、低体温症になっていた俺は、丸々三日間の休養を強いられた。しかし、「美桜の可能性を見せて」という願いと、「恩を返す」という使命感、「美桜になる」という誓いが、俺を突き動かしている。


(俺は俺の意思で美桜になる)それは、俺に関わるものの願い、俺自身の願いでもある。


隣で運転する春夏冬さんは、疲れを隠せない様子だった。俺のせいで、彼女の人生を賭けた交渉の場を作らせてしまった。


「美桜さん、現場では美桜さんのシーンを避け、監督の判断で他のシーンを撮り溜めていました。ですが、今日から美桜さんのシーンが入ります。体調が優れない場合は、すぐに私に言ってください」


「はい。もう大丈夫です。ご迷惑をおかけして、本当にごめんなさい」


「いいんです」春夏冬さんの声には、憔悴と、安堵の入り混じった色があった。


「春夏冬さん……私のせいで……」


「私のしたいことをしているだけですから。美桜さんは前だけ向いて進んでください、後ろを守るのが私の仕事です」と微笑んでくれた。この休養の三日間、春夏冬さんとも話をすることも多かった。それは新たな絆に繋がったと思っている。


「春夏冬さん、私がいない間、ネットやメディアの対応は…?」


現場を去ったのは、新進気鋭の女優だ。ネットやメディアでは面白がってゴシップが出回っていたことだろう。


「美桜JCS(統合参謀本部)が責任を持って処理しました」春夏冬はきっぱりと言い切ったが、その眼は深く疲れていた。「ですが、一番功労があったのは、広報の西田くんです」


「西田さんが?」


「ええ。美桜さんの体調不良が発表された直後から、ネットには『美桜は降板か?』『熱愛で逃走?』といった憶測が溢れました。西田くんは、自分の持つネット知識とオタクのサーチ力をフル活用し、ネガティブな情報が拡散される前に、すべて水際で沈静化させていました。」西田は、広報担当として、美桜推しとしての純粋な情熱を、プロの仕事へと昇華させてたらしい…


西田という男の、美桜をオタクな目で見ていたという認識は変わることはないが、自分のために懸命に働いたという現実には感謝しかない。その献身がなければ、今頃、美桜は芸能界に残れなかったかもしれない。



【ロケ地・ドラマ撮影現場】


アルファードがロケ現場に到着した。美桜と春夏冬は、監督やプロデューサーからの厳しい詰問を覚悟していた。しかし、美桜を待ち受けていたのは、重い空気ではなかった。


監督は、美桜を一瞥するなり、「戻ったか。無理はするな。だが、やるぞ」と静かに告げただけだった。その声に、責める意図はなかった。


控え室へ向かう通路で、様々な部署のスタッフが美桜に声をかける。


「美桜ちゃん、無理すんなよ!」

「昨日いなくて寂しかった!おかえり!」

「おかえり!顔色が戻ってよかった」


「美桜ちゃん、もう良いのかい」

主人公、一ノ瀬 航役の遠野さんだ。

「はい、ご迷惑をおかけしました」

「良かった。一人二役のあの演技、君ほど上手くできる人は少ないからね。無理しないでね」

「ありがとうございます」


誰も責めなかった。

スタッフたちの安堵の空気は、春夏冬さんが自分の全てを賭けて謝罪と責任を担保し、美桜の精神的な病を隠し通してくれたことと。西田が寝ずに行った、ネットの情報誘導のおかげだった。


美桜は、その重い事実を、胸に刻み込んだ。


美桜がメイク室に向かう。そこにいたのは、衣装担当の近田さんではなく、PCを広げ、カタカタとキーボードを叩き続けている西田だった。彼の顔にはクマができ、目は血走っていたが、その指の動きには淀みない。


「西田さん…」


西田は顔を上げ、驚きと安堵で、顔をくしゃくしゃにした。


「美桜ちゃん!よ、よかった!もう、大丈夫なんですね!」


「はい、お陰様で…」美桜は言葉を詰まらせた。


「あの、僕は広報なので、美桜さんの衣装の準備は近田さんに…」西田は慌ててPCを閉じ、立ち上がろうとする。


俺は、西田がPCを閉じ、そのまま放置してある衣装管理のファイルを一瞥した。それは、広報担当の西田の仕事ではない。その時美桜はすべてを悟った。彼は、美桜がいない間も、常に美桜がいつ戻ってもいいように、自分の広報担当の役割を超えて、全ての情報を握り、現場の炎上を防ぎ、そして、美桜の夢を守っていたのだ。


この人は、美桜の光を、穢れから守ってくれていた。俺が、自責の感情に囚われて逃げ出した時、最も美桜を愛していたこの人が、プロとして俺の居場所を守っていた。


メイク室を出る西田に向かって、美桜として深々とこうべを垂れ、心からの感謝をした。


「西田さん……。ありがとう。本当に、本当にありがとう」


「自分の仕事をしただけさ。この世で最も尊い光を、汚染から守るのは、オタクの責務であり、プロの仕事です!それが美桜ちゃんの役にたったなら、どんな努力にも代えがたいという事ですよ。動画サイトで初めて見たときから俺は心を奪われたファンだったのだから」


そういうと片手を肩越しに挙げて部屋を出て行った。


西田のくせにカッコつけすぎだよ…


***


「近田さん、ご迷惑をおかけしました。」

メイクさんに、美月の顔を作ってもらいながら、衣装を用意する近田さんに謝る。」

「うん、いつもの美桜ちゃんだね」

とおでこを小突かれる。

「あの状態の、美桜に演技させたのを後悔してたんだ。もう大丈夫なんだね」

「はい」


***


メイク室を出ると、須藤さんと工藤さんが待っていた。

「もう、いいんだな?」

「はい、ご迷惑をおかけしました。」

須藤さんは、今日ここに来る予定じゃなかったはずだ。心配してきて来てくれたのだろう。

「お前が新人離れしていて忘れてたが、まだ子供だったんだよな。だが、プロの世界だ2度はないからな」

「子供時代からこの世界で活躍するやつもザラな世界だ、新人だろうと子供だろうと関係ない。落ちるやつは見捨てられる世界だ。肝に据えておけ。…だが、よく帰ってきた」工藤さんに肩を叩かれる。

ああ、まったく優しい連中だ、この人たちの信頼を俺は忘れない。


***


メイクを終え、皆に励まされた俺はカメラの前に立つ。撮影されるのは、前回NGが出たシーン。姉「咲良」を失い、悲嘆に暮れる妹「美月」の慟哭だ。


皆の目が俺を見てくれている。

自分を信じて全てを賭けてくれた春夏冬さん、須藤さん、近田さん、工藤さん、そして西田(…舐め回すように俺を見るんじゃない)、俺を支えてくれているJCSの面々。


監督がキューを出す。


美桜は目を閉じる。脳裏に浮かぶのは、雪の中で消えた「美桜」の笑顔。そして、いつも助けてくれる真帆…


「咲良お姉ちゃん…。」


(”美桜”…)


「なんで…私を置いていったの……」


(見てくれているか…)


「ずっと、一緒だって…言ったじゃない…」


(俺は、こんなに皆に支えられているよ…)


「お姉ちゃんは私の半身なんだよ…」


(”美桜”の可能性を)


「今日も、明日も、明後日も一緒に笑い、一緒に夢を見て、いつまでも幸せに…う、うううう」


(”美桜”が生きた証を、示して生きていくよ)


俺は、「美月」の悲しみを感じ取り、静かに涙を流す。それは、感情の崩壊ではない。喪失の痛みを乗り越え、託された使命を背負って、未来へと歩き出すための、決意の涙だった。


「カット!……OK!」監督の声が、張り詰めた冬の空気に響き渡った。


***


俺の聞いた話では…


このドラマは放映後、視聴率10%台を維持するヒット作となった。


また、ドラマの主題歌に使われた美桜初の持ち歌も、ストリーミング再生回数3000万回、CD売上20万枚を記録しダブルヒットとなった。



まだまだ、放送も撮影も続いていくけどね。やったよ”美桜”。喜んでくれてるか…

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