第14話:昴の焦り【11月4日】
― ツヴァイ-昴-SIDE(3人称)―
昴は、最近の美桜の様子に、言葉にできない違和感を覚えていた。
修学旅行の夜、鴨川のほとりで見た美桜の横顔。あのときの彼女は、何かを抱えているように見えた。
それは、昴が知っている“寿 美桜”とは少し違っていた。
告白の返事はまだもらっていない。
それは仕方ないと思っていた。急ぎすぎたかもしれない。
でも、あのときの美桜の表情は、嬉しさでも戸惑いでもなく――何かを“隠している”ように見えた。
昴は、スマホを開いて、例の動画をもう一度再生した。
ボートの上で、美桜が真帆に抱きしめられて泣いていた場面。
あれは、昴の知らない美桜だった。
そして、その美桜は、昴の知らない“誰か”に見えた。
「……遠くへ行っちゃうのかな」
昴は、誰にともなく呟いた。
***
昴が、美桜を初めてみたのは、入学試験の時だ。
姿を見た瞬間、目を奪われた。
(こんな綺麗な人が居るのか…)
まだ中学生だった美桜は、あどけなさが残るものの、人を引き付ける何かを持っていた。昴は、一目で好きになっていた。試験前に何を、という感じだが。好きになったものは仕方がない。中学生の昴に踏んで止まるようなブレーキはついていないのだ。
そんな状態でも無事に合格した昴は、俺を褒めて欲しいと思った。
入学すると、同じクラスに美桜は居なかった。まさか違う学校に?…と一瞬血の気が引いたが、入学式で見かけることが出来た。真帆と並んでパイプ椅子に座っていた。
クラスが違っても同じ高校なら、接点ができると思い一旦静観することにした。
この頃から気が気ではなかったのが、今の性急な告白に影響していると思う。
美桜と一緒にいた真帆とは、選択授業で昴と同じ美術を選んでいたことで、交流することができた。話しやすくアニメやコミックの話で直ぐに仲良くなれた。名前呼びなのはこのせいだ。
その折、真帆から美桜についても色々と聞くことが出来た。
そして、2年生になり、昴は美桜と真帆と同じクラスになることが出来た。
しかも、座席が隣というベストポジション。昴は勢い込んで、中学、高校とやっていたサッカーを、辞めてしまった。
ただ、直ぐには行動に移せなかった。とにかくライバルが多いのだ。抜け駆けけん制と、結構ドロドロしていた。また、一部抜け駆けしたものは、例外なく玉砕しており、成功率が低い賭けとなっていた。この賭けと言うのは文字通り賭けも行われていたりする。
昴は成功率を上げるため、先ずは知り合い、お友達から始める必要があると思いそれに費やした。保健室にお姫様抱っこで行くなど、このまま順調にいけばという気持ちがあったが…体育祭で美桜がバズったために、歯車が狂い悠長なことはしていられなくなった。
居ても立ってもいられず昴は告白をした。だが…間が悪いのか、その直後から美桜が芸能界に入るという噂が立ちはじめた。
***
放課後、昴は意を決して返事を聞こうと美桜に声をかけた。
「寿さん、ちょっといい?」
美桜は、少し驚いたように振り返った。
その目に、一瞬だけ恐れを見た気がした。
「俺のこと……忘れたの?」
昴の声は、思ったよりも震えていた。
美桜は、何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。
「……そんなこと、ないよ」
でも、その声は、昴が知っている美桜の声じゃなかった。
「俺、なんか嫌われるようなことをした?」
「ううん、桐生くんは何も…悪くない」
優しくて、遠くて、まるで“別れ”を告げるような声だった。
「じゃあ、なんで…」
昴は、胸の奥がざわつくのを感じた。
何かが、確実に変わっている。
それは、美桜の気持ちなのか。
それとも――世界そのものなのか。
「ごめん、これからレッスンで、遅れると怒られるから。」
美桜はそう言うと、校門で待っていた黒いアルファードに乗り込んでいった。
***
昴は、真帆にも話を聞こうとした。
彼女なら、美桜の変化に気づいているかもしれない。
でも、真帆は昴の問いかけに、どこかぎこちない笑顔で答えた。
「美桜ちゃんは……今、頑張ってるんだよ。芸能のこととか、いろいろ」
「それはわかってる。でも、俺のこと、避けてる気がするんだ」
「……昴くんのこと、嫌いになったわけじゃないと思うよ」
「じゃあ、なんで……」
昴の声が荒くなる。
真帆は少しだけ目を伏せた。
「俺の告白のこと、忘れたのかって聞いたんだ。あんなに真剣に言ったのに……」
「昴くん……」
「真帆だって、知ってるだろ。美桜は、俺のこと……」
「……昴くん、やめて」
真帆の声が震えていた。
昴は、言葉を飲み込んだ。
真帆の目に、涙が浮かんでいた。
その涙は、美桜のためのものなのか。
それとも――昴のためのものなのか。
昴は、何も言えずにその場を離れた。
背中に、真帆の視線が突き刺さるように感じた。
***
その夜、昴は一人でスマホを見つめていた。
SNSには、美桜の撮影風景が少しずつ流れ始めていた。
「儚さと強さを併せ持つ新人」――そう紹介されていた。
昴は、画面の中の美桜を見て、胸が締め付けられた。
彼女は、遠くへ行こうとしている。
自分の知らない場所へ。
自分の届かない場所へ。
「俺は……何も知らないんだな」
昴は、静かに呟いた。
その言葉は、誰にも届かない。
でも、昴の心の奥には、確かに“何かが終わり始めている”感覚が残った。
***
― 美桜SIDE―
時間は少し戻る。
春夏冬さんの駆るアルファードに乗った俺は、校門に佇むツヴァイ-昴-を見ていた。
「どうしたの、美桜さん。何かあった?」
「いえ、何も…今日はお迎えありがとうございます。」
「なにかあったら言ってね。渉外部門もあるから。」
「はい、そのときは宜しくお願いします。」
「会社まで、飛ばすわよ、シートベルトはちゃんとしてね。」
と、春夏冬さんは言っているが、法定速度だし、後ろに渋滞が出来ている。
(…)ま、安全でいいか…?でも遅れて怒られるのはいやだな…
ツヴァイ-昴-のことを考える。目が必死だった、切羽詰まってるというべきか…
そりゃそうだろう。告白の回答待ちなのに、俺が逃げて芸能界に入ってしまったのだから。
俺の美桜への気持ちは抑えることが出来ない。理由は解らないがそうなのだ…まるで魂が引き合うような、離れてはいられないような気持ちになる。
横にいてくれればそれだけで安心するし、離れれば不安でしょうがない。
果たして、ツヴァイ-昴-は大丈夫だろうかと心配になる。
「あ、春夏冬さんここで高速乗っちゃて良いんですか?」
甲州街道下を走っている時に、春夏冬さんは高速へと舵を切っていた…本来乗らずに山手通りを南に行くのではと思い声を掛ける。
「え、嘘…あー高速乗っちゃったー」
「春夏冬さん?」
「だ、大丈夫!、まだ時間あるから…」
「…」
…だが、ツヴァイ-昴-と美桜を守るためには、離れなきゃいけない。
“美桜”がそう言ったからじゃない。
俺自身が、そう感じてしまっているからだ。
ツヴァイ-昴-の声が、耳に残る。
俺は、振り返れなかった。
振り返ったら、情に流されるから。それは、傷を舐めあうようなものだ。
(ごめん、ツヴァイ-昴-。俺は、美桜を守るために……おまえから逃げる)
結局レッスンに遅刻して怒られた、なんで湾岸線まで行くかな…
「アイソレーション!」
木下さんの指示が飛ぶ。ターゲットは胸。胸を固定したまま、左右にスライドさせる動きだ。
(くそ、胸だけ動かせって言われても…)
昴は意識を集中するが、胸を動かそうとすると、無意識に肩や腰も連動して動いてしまう。まるで自分の身体が、意志の通じないフライバイワイヤーのようだ。
「駄目!美桜!あなたの身体はそんなに固くないはずよ!」
厳しくも的確な指摘が飛ぶ。
「身体が動くのを、あなたが邪魔してる。力を抜きなさい。あなた、普段からそんなに全身に力が入ってるの?」
(力って言うか理屈を理解できないから、身体もついてこない感じだ…)
「はい、じゃあ次。振り入れよ」
木下さんが見せたのは、跳ねるようなアイドルポップの振付。可愛らしく、そして股関節を大きく使うポーズが随所に織り込まれている。
「ここ、腰をグッと前に突き出して、目線は上目遣いで可愛く!」
(な、なんだそのポーズは!恥ずかしすぎるだろ!)
俺は全力で抵抗したが、美桜の身体は、木下さんの指導を理解したかのように、滑らかにそのポーズをとってしまった。
「いいわね、美桜。その表情!」
「……」
鏡に映るのは、プロのアイドル然とした笑顔でポーズを決めている美桜。その可愛らしさは、俺にとって最大の敵だった。
羞恥心で顔が熱い。だが、身体は疲労と緊張で悲鳴を上げている。
「寿美桜!」
木下さんが初めて大きな声を上げた。
「動きが汚いわ!腰が引けてる!美桜は人を魅了する身体を持っているのに、その腰の引け方は “恥” を感じている証拠よ!ここは、貴方が全てを曝け出す場所。もし、プライドが邪魔をしているなら、いますぐやめなさい!」
昴の胸に刺さったのは、恥を捨てろという言葉。
(――プロって、こんなに容赦ないのか)
疲労困憊の身体で、昴は初めて、「芸能界」という別の世界で生きる覚悟を決めざるを得ないことを悟った。
…おかげで、ツヴァイ-昴-のことも忘れることが出来たのが救いだ…薄情…かな?
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