第30話 皇国の選択
輸送機の内部は、異様なほど静かだった。
機体は確かに飛行しているはずなのに、振動は最小限に抑えられ、金属が軋む音もほとんど聞こえない。
外の様子をうかがえる窓はなく、視界にあるのは、淡い白色灯に照らされた機内と、医療機器の低い作動音だけだった。
その中心に、簡易ベッドが固定されている。
カレンは、まだ意識を失っていた。
包帯とケーブルに覆われた身体は、かつて戦場で見せていた「兵器」としての輪郭を失い、ただ損傷した一人の人間の姿。
右眼は完全に覆われ、焼け落ちた組織を保護するための処置が施されていた。
クラリスは、その姿から視線を離せずにいた。
助かった――。
その事実だけは、何度確認しても変わらない。
「……容体は?」
ヘルマンが声を潜めて、問いかける。
近くに立っていた男が、静かに応じた。
「生命維持に問題はない。出血も制御している」
簡潔な報告だった。
感情を挟まない、あくまで事実だけの言葉。
男は、クラリスの視線に気づくと、軽く顎を引いた。
「カール・リヒター。ルーヴェン皇国軍の作戦統括を務めている」
それ以上の肩書きは付け加えなかった。
だが、その立ち振る舞いだけで、現場の判断を一任される立場だと分かる。
「……カレンは助かりますの?」
クラリスは不安の混じった視線をカールに向ける。
カールは、一拍だけ間を置いた。
「命の心配はないだろう」
否定も肯定もせず、そう答える。
「彼女は生きている。だが、これまでどおりに動けるかは分からない」
言葉を選んでいるわけではない。
事実を、そのまま並べているだけだ。
クラリスは、拳を強く握った。
そのやり取りを、少し離れた場所でヘルマンが聞いていた。
彼は壁際に立ち、携帯端末に視線を落としている。
表示されているのは、第二次DOLL計画に関するデータ。
ゼロタワーから持ち出したものを見返している。
「……なるほどな」
小さく、息を吐く。
「あんたらは、最初から全部分かっていたわけじゃねぇが……見逃してたわけでもない、か」
誰に言うでもない独り言だった。
輸送機は、やがて減速し、ほとんど衝撃を感じさせないまま着地した。
ハッチが開く。
外に広がっていたのは、夜でも朝でもない、
雲が低く垂れ込み、巨大な建造物群を覆っている。
軍事基地ではない。
だが、官庁とも違う。
政治と軍事、その両方を内包した、皇国の中枢拠点。
医療班が即座に動き、カレンのベッドが引き取られる。
「……!」
クラリスは、思わず一歩踏み出しかけた。
「治療が最優先です」
カールが静かに制止する。
「ここは皇国領内。命は保証します」
その言葉に、嘘は感じられなかった。
だが、安心とも違う。
ヘルマンが肩をすくめる。
「歓迎って雰囲気じゃねぇな」
「監視下ですから」
カールは、淡々と答えた。
「保護と監視は、同時に行われます」
通された会議室は、広く、整然としていた。
威圧するための装飾はなく、必要最低限の機能だけが配置されている。
そこで待っていた男が、二人の姿を見ると、ゆっくりと立ち上がった。
白髪交じりの髪。
背筋は伸び、視線は鋭いが、敵意はない。
「――エーヴァルト・フォン・シュトラウス。ルーヴェン皇国軍参謀総長を務めている」
名乗りは、それだけだった。
クラリスは、無意識に息を詰めた。
この男が、アルブレア連邦への介入を決断した人物。
国家の意思、そのもの。
「まず、あなたに伝えておくべきことがある」
エーヴァルトは、前置きなく切り出した。
「アストレア家の処刑は、連邦の統治行為ではない」
一拍。
「恐怖に追われた結果であり、失敗だ」
断定だった。
感情ではなく、ルーヴェン皇国としての評価。
「我々は把握していた。第二次DOLL計画の再始動も、連邦中枢と黒系派の接続も」
ヘルマンが、わずかに目を細める。
「だが、介入の決定打は別にある」
エーヴァルトの視線が、クラリスに向けられる。
「処刑だ。内政の失敗を、外への暴力で覆い隠そうとした。その瞬間、連邦国家は危険域に入った」
それが、皇国の結論だった。
「我々は正義を執行したわけではない。遅れて、踏み込んだだけだ」
言葉に、後悔に近い響きが混じる。
その後、カレンが運ばれた医療区画に案内された。
カレンは意識が戻ったのは、処置が一段落してからだった。
最初に感じたのは、音の違和感。
距離感が掴めない。
声の方向を無意識に探し、途中で止める。
瞼を開く。
――左側だけ。
視界が、半分しかない。
身体を起こそうとして、ふらつく。
「……!」
すぐに、腕を取られた。
「無理をなさらないで」
クラリスが腕を支える。
カレンは、反射的に言う。
「……問題ありません」
それが嘘だと、全員が分かっていた。
距離感が狂い、重心が定まらない。
だが、彼女はそれを認めようとしない。
ヘルマンが、苦笑混じりに言う。
「問題あるって言ったら、おとなしくなるのか?」
場を和らげる言葉だったが、視線は真剣だった。
そこへ、エーヴァルトとカールが入ってくる。
「あなたは、生きている」
エーヴァルトは、カレンに向けてそう言った。
「だが、連邦にとっては“生かしてはならない存在”だ」
宣告のような言葉。
「同時に、我々にとっても、扱いを誤れない存在でもある」
三人の立場が、明確に言語化される。
・大戦時最凶と呼ばれたDOLL、F01――カレン
・アストレア家の生存者――クラリス
・DOLL計画の元監督者――ヘルマン
「現在、あなた方は全員、皇国の監視対象だ。重要度はS級」
保護ではない。
拘束でもない。
「自由な行動は保証するが……」
エーヴァルトは、続ける。
「アルブレア連邦への介入には、正当性が必要だ。そのため、あなた方の知る全ての情報開示への協力を求める」
ヘルマンが、肩をすくめた。
「……結局は大人の論理ってわけか」
「否定はしない」
エーヴァルトは、即答した。
「だからこそ、選択肢を与えることにした」
クラリスが、静かに問いかける。
「……カレンは、どうなりますか」
エーヴァルトは答えた。
「特に拘束するつもりもない」
兵器としてではない。
国家の道具としてでもない。
「どうするかは、それぞれの選択だ。ゆえに、彼女にも行動の事由は保証する」
それは、初めてカレンに向けて与えられた“猶予”だった。
カレンは、片眼の視界でクラリスを見た。
まだ、答えは出さない。
エーヴァルトは、カレンを見た。
しばらくの沈黙。
それは、言葉を選ぶためではなかった。
「皇国は、あなたを正義の象徴にはしない」
それだけ言って、視線を外す。
「生き残った者が、何を選ぶかは、国家が決めることではない」
その言葉は、方針の宣言だった。
世界は、すぐには変わらない。
だが――
同じ地獄を繰り返させないための線は、確かに引かれた。
第3章 了
(最終章 第31話へつづく)
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