第29話 国家は彼女を殺す

 ローター音が、夜空を押し潰すように響いていた。

 

 ゼロタワーの外へ出た瞬間、その音はすでに頭上にあった。

 低く重い回転音が空気を震わせ、逃げ場を測るように円を描いている。

 瓦礫に覆われた地面を、赤い照準レーザーがなぞり、三人の足元で静止した。

 

 背後では、塔が崩れ続けている。

 外壁が剥がれ落ちるたび、鈍い衝撃が地面を伝い、足裏を震わせた。

 内部で何かが破断する音が重なり、ゼロタワーそのものが悲鳴を上げているように聞こえる。

 

 終わりではない。

 その事実だけが、はっきりしていた。

 

 カレンは、無言で一歩前に出る。

 ブレイカーⅡ型を構え、残る視界で上空の影を捉えた。

 痛めた肩を気にするそぶりは見せない。

 左から流れ込む夜風が、焼けた塔の匂いを運んでくる。

 

「……連邦正規軍ですわね」

 

 クラリスの声は静かだった。

 だが、その声音には、逃げるという選択肢が最初から存在しないことが滲んでいる。

 

 ヘルマンが短く舌打ちした。

 

「最初から包囲してやがる。この数……逃がす気は最初からねぇな」

 

 次の瞬間、無線が割り込んだ。

 

『対象F01は回収不要』

 

 感情のない声だった。

 確認でも、相談でもない。

 すでに決定された処理を読み上げているだけの調子。

 

『現地の全目標を排除せよ』

 

 その言葉が終わるより早く、装甲歩兵が動いた。

 地上に展開する部隊が一斉に散開し、対DOLL用の重火器が構えられる。

 

 クラリスの指が、わずかに震える。

 

「……国家が、自分の失敗を消しに来た、ということですわね」

 

 カレンは答えない。

 ただ、立ち位置を半歩だけ前へずらした。

 クラリスとヘルマンを、背中に収める位置。

 

「下がってください」

 

 短い言葉。

 お願いではなく、迷いのない判断。

 

 次の瞬間、銃声が夜を引き裂いた。

 

 装甲歩兵の重火器が一斉に火を吹く。

 曳光弾えいこうだんが闇を裂き、瓦礫が砕け、地面が抉られていく。

 遮蔽物として残っていたはずの瓦礫が、次々と削り取られ、粉塵が舞い上がった。

 

 カレンは右に駆け出した。

 

 ズドォォォン――!

 

 ブレイカーⅡ型の一撃が、前列を吹き飛ばす。

 装甲が歪み、人体が宙を舞い、血と破片が夜に散った。

 散弾が地面を叩き、衝撃が足元から突き上げてくる。

 

 続けて、二射、三射。

 反動を殺さず、踏み込みながら叩き込む。

 重い衝撃が空間全体を揺らし、連邦兵の隊列に明確な穴が空いた。

 

 圧倒的だった。

 正面から来る兵士たちは、次々と倒れていく。

 

 だが、数が違う。

 

 撃ち倒しても、撃ち倒しても、後続が止まらない。

 装甲車両が動き、空中からの照準が再調整される。

 

 そして、空気が変わった。

 

 レーザー照射。

 

 音より先に、光が走る。

 地面が焼け、瓦礫が溶け、夜の輪郭が歪む。

 

 一度目の照射を、カレンはかわした。

 身を翻し、焼けた軌道の外へ跳ぶ。

 

 だが――

 

 二度目。

 

 照準が、わずかに動いた。

 

 赤い線が、クラリスの頭部に重なる。

 

「――っ!」

 

 考えるより早く、カレンは駆け出していた。

 

 距離を詰め、肩でクラリスを突き飛ばす。

 身体が弾かれ、視界からクラリスが外れる。

 

 その直後だった。

 

 白。

 

 世界が、真っ白に弾けた。

 

 焼ける匂い。

 鋭い熱。

 右側から、何かが消えていく感覚。

 

 レーザーが、カレンの右眼を焼いていた。


 眼球の溶ける音。

 目じりが焼け切れ、舞い散る赤。

 

「……っ!」

 

 声にならない息が漏れる。

 視界の半分が失われ、平衡感覚が崩れる。

 

 それでも、カレンは倒れなかった。

 

 血を流しながら、片眼で前を向く。

 焼けた痛みを、ただ受け止め、踏みとどまる。

 

「……戦闘状態維持」

 

 低い声だった。

 だが、その一言に揺らぎはなかった。

 

「カレン……!」

 

 クラリスの声が、初めて切羽詰まった響きを帯びる。

 

 それでも、カレンは前に立つ。

 不安定な視界でバランスを保ちながら、なお銃を構え続ける。

 

 ヘルマンの弾倉が空になる。

 クラリスの肩を弾丸が掠め、赤い線が走った。

 

 誰も、助かるとは思っていなかった。

 それでも、

 誰一人として、その場から逃げようとはしなかった。

 

 クラリスは、反射的に前へ出ようとした。

 血を流し、片眼を失いながらも立ち続けるカレンの姿が、視界の中心に焼き付いている。

 距離も、状況も、関係なかった。

 

「っ……!」

 

 声が、詰まった。

 

 次の瞬間、腕を強く掴まれる。

 

「ダメだ!!」

 

 ヘルマンだった。

 必死に引き止める。

 

「今出たら、お前も撃たれる!!」

 

 クラリスは振りほどこうとする。

 力では敵わないと分かっていても、身体が言うことを聞かなかった。

 

「放してください!」

 

 声が、叫びに変わる。

 

「行かなきゃ……カレンが……!!」

 

 取り乱した声だった。

 令嬢としての矜持も、冷静さも、すべて吹き飛んでいる。

 

 ヘルマンは歯を食いしばり、なおも離さない。

 

「無茶だ! あいつを信じろっ……!」

 

 その視線の先で、連邦軍の隊列が、再び整えられていく。

 

 その時――

 

 カレンが、動いた。

 ふらつく身体で、なお一歩踏み出す。

 

「……まだ、終わっていません」

 

 声は低く、掠れていた。

 それでも、はっきりと届いた。

 

 その間にも、カレンは連邦軍とクラリスの射線上に身体を寄せる。


 残った視界で、敵の配置を把握する。

 数は多い。

 火力も揃っている。


 それでも――

 止まらない。


 一歩 


 さらに一歩。


 連邦軍の隊列へ、真正面から歩いていく。


 次の瞬間、カレンは走り出した。

 

 連邦正規軍の隊列へ。

 銃口が並ぶ、その中心へ。

 

 明らかに無謀。

 正気の判断ではない。

 

 誰の目にも分かった。

 ――ここまでだ。

 

 この突撃は、生き残るためのものではない。

 時間を稼ぐためでもない。

 

 終わらせるための、最後の一歩だった。

 

 ブレイカーⅡ型が火を吹く。

 

 ズドォォォン!!

 

 最前列が吹き飛ぶ。

 だが、すぐに次の銃口が向けられる。

 

 レーザー照準が、再び重なった。

 

 空気が張り詰める。

 

「……カレン!!」

 

 クラリスの叫びが、夜に裂けた。

 



 ――ドォン!!


 爆発音が、戦場の空気を内側から引き裂いた。

 地上からではない。

 衝撃は、明らかに上空から叩きつけられてきた。


 轟音とともに発生した衝撃波が、地面をなぞるように広がり、連邦軍の先頭列をまとめて吹き飛ばす。

 装甲歩兵の身体が宙を舞い、重火器が無秩序に転がった。


 ほんの一瞬前まで包囲を完成させていた陣形は、爆風ひとつで瓦解していた。


 空を見上げた者たちの視界に、影が差し込む。

 黒い輸送機が、低空を割るように進入してきていた。

 機体側面に刻まれた紋章は、アルブレア連邦軍のものではない。


 それを視認した瞬間、ヘルマンの表情がはっきりと変わった。


「……皇国だ」


 低く呟いたその声には、驚きよりも理解があった。


 輸送機のハッチが開き、重装備の兵士たちが次々と降下してくる。

 着地の衝撃を最小限に抑えた動き。

 互いの位置を一瞬で把握し、即座に陣形を組む。

 そこには無駄も、躊躇もない。


 ルーヴェン皇国軍。

 空挺部隊――


 拡声器越しの声が、戦場全体に静かに響き渡った。


「こちらは、ルーヴェン皇国軍。アルブレア連邦軍に告ぐ」


 一拍の沈黙。

 それは威圧ではなく、すでに決定事項を伝えるための間だった。


「即時、武装解除せよ。本作戦区域は、皇国による監視対象下にある」


 怒りも、感情もない。

 ただ、結論だけが提示される声。


 直後、連邦軍の通信が一斉に乱れた。

 開かれた回線から、断片的な単語がノイズ混じりに漏れ聞こえてくる。


 ――第二次DOLL計画。

 ――戦後統制構想。

 ――他国侵略準備段階。


 皇国は、知っていた。

 アストレア家の処刑も、DOLL計画の再始動も、そしてアルブレア連邦がもはや友好国として客観視できなくなっていることも。


「……介入、だと?」


 連邦側の誰かが、呻くように呟いた。


 だが、その問いに応じる声はなかった。

 答える必要が、最初からなかった。


 皇国の兵士たちが、静かに前進する。

 銃口は上がっているが、引き金に指はかかっていない。

 その圧倒的な統制と静けさに、連邦軍は初めて明確な動揺を見せた。


 その中で、一人の皇国兵がクラリスの前に立つ。


「――保護対象を確認」


 淡々とした声だった。


「対象名、クラリス・アストレア」


 その名が告げられた瞬間、クラリスは思わず息を呑んだ。


「……アストレア家の生存者」


 それは単なる確認ではない。

 

 皇国は最初から知っていた。

 誰が殺され、誰が生き残ったのかを。


「保護を開始する」


 その言葉と同時に、皇国兵たちが壁のように展開する。

 連邦軍と、クラリスたちの間に、はっきりとした境界線が引かれた。


 カレンは、そこでようやく立ち止まった。

 力が抜け、膝がわずかに揺れる。それでも、倒れることはなかった。


 皇国の兵士が、静かに言う。


「……休戦です」


 背後で、倒壊するゼロタワー。

 それに呼応するようにカレンの体が崩れ落ちた。



 ルーヴェン皇国。

 大陸西方に位置する皇制国家で、表向きは中立。

 だが、実態は「情報と外交」を武器に生き残ってきた現実主義国家だ。


 アルブレア連邦とは敵対しているわけではないが、同盟関係でもない。

 終戦後、水面下で連邦の非人道計画を把握し、動向監視していた。

 そのルーヴェン皇国が、今回の戦いに介入してきたのは、気まぐれや偶然ではなかった。



(つづく)

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