第13話「国境の街と医師の『診断』」
【前回までのあらすじ】
カイラスは過呼吸を起こしたリセラに、【処方箋】ではなく呼吸法という「技術」で寄り添った。レオンを一時的に撒いた二人は、国境へと辿り着く。カルミナは自分が与えた権能を使わずに治療を行ったカイラスに嫉妬をする。
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国境の街”ザルツァ”は、人間の欲望を煮詰めたような場所だった。
帝国と王国の緩衝地帯。法は機能せず、金と暴力だけが共通言語。
通りには香辛料の刺激臭と、排泄物の臭気、そして何より——
“獲物”を探す粘ついた視線が充満していた。
「……カイラス、怖い」
リセラが俺の袖を掴む。
フードを目深に被っているが、その下で顔面蒼白になっているのが分かる。
人混み、騒音、敵意ある視線。
強迫症(OCD)を抱える彼女にとって、この環境は精神的な毒でしかない。
「大丈夫だ。今日は休もう」
俺たちは、メインストリートから一本入った路地裏にある、馬小屋同然の安宿に潜り込んだ。
ゴルガ戦の勝利で支配人から巻き上げた銀貨を数枚投げ渡し、一番奥の部屋を取る。
部屋に入るなり、リセラは膝を抱えて隅にうずくまった。
森でのパニック発作は収まったが、彼女の心はまだ「あの笑顔」に囚われている。
「リセラ」
「……来る。あいつが、来る」
「レオンのことか」
彼女の肩が大きく跳ねた。
「あいつは……私が負けた時、笑ってた。私の絶望を見て、心底嬉しそうに!」
「ああ。だが、それはお前が思うような『悪意』じゃない」
俺は硬いベッドに腰を下ろし、安心感を与えやすいと言われる、やや低い落ち着いたトーンで話し始めた。
「レオンは病気なんだ」
リセラがおずおずと顔を上げる。
「……病気?」
「ああ。俺たちとは、物事の感じ方が決定的に違う。
あいつには『他人の感情』を読み取る機能が欠落しているんだ」
「感情が……読めない?」
「そうだ。お前が『怖い』と思っている時、
あいつには『姉弟子が震えている』という事実しか見えていない。
『寒いのか?』とは思うかもしれないが、
『自分が原因で怯えている』という発想には至らない」
俺は、前世で診てきた患者たちの顔を思い出しながら続けた。
「あいつの世界は単純な『ルール』でできている。おそらく、
『師匠は絶対』
『姉弟子は家族』
『強いことは正しい』。
それだけだ」
「あの日、あいつはお前に勝った。
あいつの中のルールでは
『勝つ=強くなる=姉弟子に褒められる=正しいこと』だ。
だからあいつは、ルールを達成した喜びに浸って、無邪気に笑った」
「……っ」
「そこにお前の『絶望』や『屈辱』が入り込む余地はない。
あいつは残酷なんじゃない。ただ、悲しいほどに『ズレて』いるだけだ」
リセラが息を呑む。
「レオンは怪物じゃない。お前と同じ、治療が必要な『壊れかけた人間』だ」
「……治療」
リセラがその言葉を咀嚼するように呟く。
彼女の瞳から、得体の知れない恐怖の色が少しだけ薄れ、
「理解不能な他者」への戸惑いに変わっていくのが見えた。
(よし、まずは認知の修正からだ。時間はかかるが、やるしかない)
俺は内心でカルテを更新する。
彼女も、そしてあの追跡者(レオン)も、俺の手が必要な患者だ。
「少し、頭を冷やしてくる。水と食料も必要だ」
「一人で大丈夫か?」
「ああ、すぐに戻る。お前は鍵をかけて休んでいろ」
俺はリセラを休ませるため、一人で部屋を出た。
◇
黄昏時のザルツァは、昼間以上に異様な熱気を帯びていた。
俺はフードを目深に被り、足早に通りを歩く。
だが、背中に突き刺さる視線は減るどころか増えている気がした。
(チッ、この顔面偏差値(ステータス)が恨めしいな)
女神カルミナの「転生ボーナス」のおかげで、俺の顔は無駄に目立つ。
汚い路地裏でも、この美貌は蛍光灯のように俺の居場所を主張してしまう。
「おや、迷子かな? お嬢ちゃん」
角を曲がったところで、行く手を塞がれた。
ニヤついた顔の男が三人。
腰には短剣、腕には刺青。典型的なゴロツキだ。
「どいてくれ。俺は男だ」
低い声で牽制する。 だが、男たちはさらにニヤニヤと距離を詰めてきた。
「へえ、男? むしろ好都合。俺はどっちもいける口だぜ」
リーダー格の男が、俺の顎に手を伸ばしてくる。
「上玉だなぁ。どこかの貴族の囲われ者か? おじさんたちが遊んでやろうか」
(またこれか……)
俺は内心で深いため息をついた。
この世界に来てから、何度このパターンを繰り返せばいいんだ。
「顔面偏差値全振り」なんてふざけたボーナスを与えたあの女神を、今すぐ殴りに行きたい気分だ。
俺は懐で、密かに銃の形を作る。
ここで騒ぎを起こしたくないが、絡まれるよりはマシだ。
その時。 通りの向こうから、鋭い視線を感じた。
ゴロツキたちではない。もっと冷たく、計算高い視線。
一瞬だけ見えたのは、濁った黄色い瞳を持つ爬虫類人(リザードマン)の姿。
(誰だ?)
だが、ゴロツキの一人が俺の肩を掴んだことで、思考が中断された。
「おいおい、無視すんなよ、お嬢ちゃん!」
「触るな!」
俺は男の手を振り払い、人混みに紛れて駆け出した。
「あ、おい! 待ちやがれ!」
背後で男たちの罵声が聞こえるが、追ってくる気配はない。
ただのからかいだったようだ。 俺は息を切らせて、宿の前まで戻ってきた。
(危なかった。やはり、一人で出歩くのはリスクが高すぎる)
あのゴロツキたちも、あの爬虫類人の視線も。
全部、この目立ちすぎる「顔」のせいだ。
早くこの街を出ないと、本当に厄介なことになる。
俺は宿の扉を潜り、鍵を閉めた。
外の喧騒が遮断され、静寂が戻る。
ここなら安全だ。
部屋に戻ると、リセラが不安そうに顔を上げた。
「カイラス……?」
「ああ、ただの買い出しだ。変な奴に絡まれたが、撒いてきた」
「大変だったねえ、お客さん」
タイミングを見計らったように、扉がノックされた。
「サービスだよ。美男美女のお客さんには特別さ」
宿の主人が、湯気の立つ盆を持って入ってきた。
香辛料の効いた肉のシチューと、安いワイン。
主人は人の良さそうな笑みを浮かべている。
(外は危険だが、ここはマシか)
さっきのゴロツキたちに比べれば、この主人は随分と親切に見えた。
俺は警戒を解き、礼を言ってシチューを受け取った。
この時の俺は、まだ気づいていなかった。
外のゴロツキたちの視線が「衝動」なら、この主人の笑顔は「計画」だったということに。
俺たちは無言でスプーンを動かした。
異変が起きたのは、食べ終わって数分後のことだった。
カシャン。
リセラの手から、スプーンが滑り落ちた。
「あ……れ……?」
リセラが自分の手を見つめている。
「指が……動かな、い……」
「リセラ?」
俺は駆け寄ろうとして——
膝から崩れ落ちた。
(なっ!?)
足に力が入らない。いや、感覚はある。
熱さも冷たさも感じる。だが、筋肉への命令が遮断されている。
意識は驚くほどクリアなのに、指一本動かせない。
(睡眠薬じゃない。これは、筋弛緩剤(マッスル・リラクサント)か……!?)
前の世界にあった植物性の毒——クラーレのような神経毒か。
香辛料の強い香りで、味を誤魔化したのか。
さっき「外で絡まれた」ことで気が緩み、食事への警戒がおろそかになっていた。
「……リセラ、剣を……!」
「だめ……立て、ない……」
リセラが必死に腰の剣に手を伸ばそうとするが、腕が痙攣するように震えるだけで持ち上がらない。
恐怖に目を見開いたまま、彼女は床に伏した。
ガチャリ。
鍵をかけたはずの扉が、外から開かれた。
「効きが早えな。さすがは特製の『痺れ薬』だ」
入ってきたのは、さっきの主人だ。
だが、その顔からは人の良さそうな笑みは消え、下卑た欲望の色だけが浮かんでいる。
背後には、武装した男たちが数人。
その中には——
さっき路地裏で見かけた、あの爬虫類人(リザードマン)もいた。
(あいつは、さっきの……!)
「てめえ……」
俺は睨みつけるが、声がうまく出ない。
舌の筋肉まで麻痺し始めている。
「残念だったな、『眠りの美神(アドニス)』」
主人が俺の顔を爪先で小突く。
「外でゴロツキに絡まれて、宿に逃げ込めば安全だと思ったか? 甘い、甘い」
主人が嗤う。
「お前らが街に入った瞬間から、俺たちの網にかかってたんだよ」
「それに『白銀の狂姫』。闘技場を脱走した賞金首が、こんなところに転がり込んでくるとはな。ツキが回ってきたぜ」
(顔のせいだけじゃない。俺たちの『正体』を知ってて、最初から……!)
「安心しな。殺しはしねえ。この顔と、その体だ。西の貴族どもに高く売れる」
男たちが部屋に入ってくる。
リセラが、動かない体で必死に男たちを睨みつける。
その目からは涙がこぼれていた。
「処方……箋……」
俺はなんとか指を動かそうとする。
だが、親指と人差し指を合わせる「形」すら作れない。
権能の発動条件(トリガー)が満たせない。
(クソ……! 完全に、詰んだ……!)
「おっと、妙な術を使われちゃ敵わねえ」
主人が目配せをする。
爬虫類人の男が、俺の頭を乱暴に掴んだ。
別の男が、鼻をつく刺激臭の染み込んだ布を、俺の鼻と口に強く押し付ける。
「んぐっ……!」
強制的な思考停止と、強烈な麻酔作用。
意識が、今度こそ強制的にシャットダウンされていく。
薄れゆく視界の中で、リセラが男たちに担ぎ上げられるのが見えた。
(すまん、リセラ……)
俺は医師として、自分の体が機能停止する瞬間を、ただ無力に見送ることしかできなかった。
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