第19話 宴のあと、妹のデレ(崇拝)

 ファッションショーという戦場から帰還した俺たちを乗せたタクシーは、夜の東京を走っていた。心地よい疲労感。そして窓の外を流れるネオンの光。だが、車内の空気は「余韻」に浸るような静かなものではなかった。


「フハハハハ!見たか兄よ!あの観衆のどよめきを!私の『虚無の瞳』が彼らの魂を射抜いた瞬間を!」


 後部座席の中央で妹・叶羽(とわ)が高笑いしている。衣装こそ私服(ゴスロリ)に着替えているが、メイクはショーのままだ。目の周りを黒く縁取った「堕天使メイク」のまま笑う姿は、正直かなり怖い。


「……うるさいぞ、叶羽。運転手さんがビビってるだろ」


 助手席の俺――御影悠真は、隣で困惑する運転手さんに会釈した。


「だって悠真くん、すごかったもん!叶羽ちゃん、本当にかっこよかったよぉ!」


 叶羽の左隣で灯乃ゆらが目を輝かせている。彼女の手には会場で配られたパンフレットが握りしめられていた。


「私、感動しちゃった。衣装がボロボロなのに、それが逆に強そうに見えて……まるで傷ついても戦うヒロインみたいだった!」


「フッ、当然だゆらよ。あれぞ『敗北を知りて尚、天を睨む者』の姿。創造主(兄)の演出意図を完璧に体現した結果だ」


 叶羽は右隣に座る早乙女玲良の肩をバシバシと叩いた。


「なぁ玲良!お前も感じただろう?私と背中合わせになった時、闇の魔力が共鳴するのを!」


「……ええ、まあ。確かに会場の空気が変わったのは感じました」


 玲良は疲れたように苦笑した。彼女も今日は大変だったはずだ。自分の出番だけでなく、トラブル対応、そして叶羽の介護(?)までこなしたのだから。


「でも、悔しいですけど……あのアドリブは悪くなかったです。御影さんの『リメイク』も」


 玲良がバックミラー越しに俺と目を合わせた。


「とっさの判断で『グランジ(汚し)』を選択するなんて。……やっぱりあなた、ただ者じゃないですね」


「い、いや……漫画でよくある表現を真似ただけだよ」


「漫画……。そういえば、あなたがお好きな『ブレイブ・ソウル』にも、似たような衣装のキャラがいましたね」


 ドキリとした。鋭い。確かに今日の叶羽のスタイリングは、『ブレソル』の魔王軍幹部・セレンの拘束衣を参考にしている。


「ま、まあな!偶然だよ、偶然!」


 俺が冷や汗を拭っていると、叶羽が「ククク……」と意味深に笑った。バレてはいけない。ここで「実は俺が作者で、あれはセルフオマージュだ」なんて言ったら、玲良の俺を見る目が「変態」から「崇拝」に変わってしまうかもしれない(それはそれで面倒だ)。


 タクシーはそれぞれの家を回り、ゆらと玲良を送り届けた。最後に残ったのは俺と叶羽。二人きりになった車内で叶羽はふと静かになった。


「……兄よ」


「ん?」


「……礼を言う」


 叶羽は窓の外を見たままで言った。街灯の光が、彼女の横顔を照らす。


「貴様がいなければ……私は今日、ただの『汚れたピエロ』で終わっていた。あの絶望の淵から私を引き上げ、翼を与えてくれたのは……間違いなく、兄だ」


「……よせよ。俺はお前を焚きつけただけだ」


「謙遜するな。……やはり、貴様は私の神だ」


 叶羽がボソリと呟いた。その言葉にはいつもの芝居がかった響きはなく、純粋な信頼だけが込められていた。俺は少し照れくさくなって鼻をかいた。


「……ま、お前が楽しめたなら、それが一番だよ」


「楽しめた?フッ、愚問だな」


 叶羽はニヤリと笑い、俺の方を向いた。


「最高だったぞ。……これなら、アニメの『監修』も完璧にこなせそうだ」


「……お前、まだその話に乗る気なのか」


「当然だ!私の『堕天使体験』をカイくんの演出にフィードバックせねばならん! 忙しくなるぞ、先生!」


 タクシーが御影家に到着する。俺たちの祭りは終わったが、新たな戦い(アニメ化)の幕開けはすぐそこまで迫っていた。



 帰宅後。リビングでは、既に「宴」の準備が整っていた。


「おかえりなさーい!二人とも!」


 母・美桜がクラッカーを鳴らして出迎えてくれた。テーブルには寿司や唐揚げ、ケーキが所狭しと並んでいる。


「ただいま。……母さん、これ全部作ったのか?」


「ううん、お父さんがデリバリー頼んでくれたのよ。今日は『堕天使記念日』だからね!」


 ソファにはビール片手に上機嫌な父・剣一の姿があった。


「おう、帰ったか。……叶羽、見たぞ。配信でな」


 父さんはタブレットを掲げた。画面にはショーのアーカイブ映像が流れている。


「……悪くなかった。特にあの『蔑むような目線』……あれは俺が昔ハマっていた格ゲーの悪役キャラに通じるものがある」


「父上!分かるか!あれは『無関心の波動』なのだ!」


「うむ。だが、ターンの時の足運びが甘い。重心がブレているぞ」


「むっ、それはこれからの課題だ……」


 叶羽は嬉しそうに父さんの隣に座り、自分の映像を見ながら反省会を始めた。この親子、オタクとしての波長が合いすぎている。俺は苦笑しつつ、自室へ荷物を置きに行った。


 部屋に入りベッドに倒れ込む。どっと疲れが出た。この一週間、スランプの妹を励まし、エロゲをプレイさせられ、締め切りと戦い、最後は衣装リメイク職人になった。 漫画家なのか何でも屋なのか分からない。


 ブーッ。スマホが震えた。LINEの通知。相手は……編集者の笹倉真尋だ。


『先生、本日はお疲れ様でした。妹さんのステージ、圧巻でしたね』


『ありがとうございます。……で、本題は?』


 俺は即レスした。あの人がただの労いで連絡してくるとは思えない。


『ふふ、察しが良いですね。例の“アニメ化”の件ですが……来週の水曜日、編集部で初回の顔合わせがあります』


『来週!?早くないですか?』


『善は急げです。それに先生の妹さんも「監修役」として呼びたいのですが……大丈夫ですよね?』


『……あいつ、やる気満々ですよ』


『それは重畳。では水曜に。……あ、それと』


 真尋さんからのメッセージが続く。


『今日の先生の“神対応”、ゆらちゃんも見ていましたよね。……彼女、かなり先生に“落ちて”いるんじゃないですか?』


『は?まさか。あの子は天然なだけですよ』


『どうでしょうね。女の勘を侮らない方がいいですよ?それでは、おやすみなさい』


 意味深な言葉を残して会話は終了した。ゆらが俺に落ちている?ありえない。あの子にとって俺は「エロゲ友達」か「元スパイの先輩」という謎のポジションだ。恋愛対象として見られているとは到底思えない。俺はスマホを投げ出し、天井を仰いだ。


「……ちょっとだけ、寝よう」


 今日はもう何も考えたくない。俺は泥のように眠りについた。



 一方その頃。都内某所のマンション。灯乃ゆらの部屋。


 淡いピンク色を基調とした可愛らしい部屋で、ゆらはベッドに寝転がり、スマホの写真を見つめていた。画面に映っているのは今日の楽屋裏で撮った集合写真。中央でポーズを決める叶羽と玲良。その後ろで苦笑いする悠真。そして悠真の隣で満面の笑みを浮かべる自分。


「……悠真くん」


 ゆらは指先で画面の中の悠真の顔をなぞった。


 今日の彼はすごかった。絶望的な状況の中で、誰も思いつかないようなアイデアを出し、叶羽ちゃんを救った。ハサミを入れる時の真剣な眼差し。インクで汚れた手。 そして、叶羽ちゃんを送り出す時の、力強い言葉。


『お前はただのモデルじゃない。俺の妹だろ?』


 その声が、耳から離れない。


「……かっこよかったなぁ」


 ゆらは枕に顔を埋めた。心臓が、トクトクと音を立てている。これは何だろう。今まで感じたことのない、胸の奥がキュッとなるような感覚。


 最初はただの「面白い同級生」だった。エロゲを買っているところを目撃して、「魔導書仲間」になった。 ちょっと頼りないけど、優しくて、妹想いで。でも、今日見た彼は……「頼りない」なんて言葉じゃ片付けられないくらい、頼もしかった。


「魔法使いみたいだった……」


 ゆらは起き上がり、机の引き出しを開けた。そこには悠真と叶羽と一緒に「研究」するために買ったノートが入っている。『愛の研究ノート』と書かれた表紙。ページをめくると、叶羽の解説や、エロゲの感想がびっしりと書き込まれている。


『結合=魂の契約』


『痛みは愛の深さ』


『ピンチの時に助けに来てくれるのが、運命の人』


 ゆらの目が最後の一行に止まった。これはゲームの中のヒロイン・セレスティアの台詞をメモしたものだ。魔物に襲われた時、主人公が助けに来てくれたシーン。


『――私、分かったの。お兄ちゃんは私のヒーローなんだって』


 今日の悠真はまさにヒーローだった。叶羽ちゃんにとっての、そして……。


「……私にとっても?」


 ゆらは呟いて、顔を赤くした。違う違う。私はただの「第一正妃(仮)」で、悠真くんは「魔王(仮)」で……。でも、もしあのゲームの設定が、ただのゲームじゃなかったら?もし悠真くんが本当に……私のことを「特別」だと思ってくれていたら?


「……うぅ」


 ゆらはベッドの上でゴロゴロと転がった。分からない。恋愛経験の少ない彼女には、この感情の名前が分からなかった。ただ一つ分かるのは……。


「……また、会いたいな」


 明日も、明後日も、悠真くんに会いたい。一緒にエロゲの話をして、ご飯を食べて、あの困ったような笑顔を見たい。


 ゆらはスマホを手に取りLINEを開いた。悠真とのトーク画面。『今日はありがとう!』と送ろうとして、指が止まる。なんだか急に恥ずかしくなってきた。


「……おやすみなさい、悠真くん」


 結局、スタンプ一つだけを送ってゆらは布団を被った。その夜、彼女は夢を見た。 真っ黒なドレスを着た自分が、悠真に手を引かれてランウェイを歩く夢を。それは「悪夢」ではなく、とても甘くて、ドキドキする夢だった。



 翌日。月曜日。大学のキャンパスは、いつもの日常に戻っていた。……と、言いたいところだが。


「おーい!悠真!」


 講義室へ向かう俺の背後から大声が飛んできた。友人・白石蓮だ。彼はスマホを片手に興奮気味に駆け寄ってきた。


「見たぞお前!昨日のファッションショー!」


「……は?」


「とぼけんなよ!SNSでバズりまくってるぞ!『堕天使モデル』ってやつ!」


 蓮が俺に見せてきたスマホ画面。そこにはボロボロのドレスでポーズを決める叶羽の写真と、数万件の「いいね」が表示されていた。


「これ、お前の妹だろ!?すげぇな!あんな可愛い子が妹だったなんて、俺聞いてねぇぞ!」


「いや、言っただろ。前に」


「聞いてねぇよ!こんなカリスマモデルなら紹介しろよ!合コン組んでくれ!」


「お断りだ。お前のSAN値(正気度)が削れるぞ」


 俺は蓮をあしらいつつ、内心冷や汗をかいていた。叶羽の正体がバレるのはいい。問題はそこから俺への飛び火だ。もし蓮が「この衣装、誰がリメイクしたんだ?」とか興味を持ち始めたら、俺の「漫画家スキル」が疑われる可能性がある。


「……あ、おはよう、悠真くん!」


 前方から、ゆらが歩いてきた。今日の彼女は、いつもより少し顔が赤い気がする。


「お、おはよう灯乃さん」


「おはよう、灯乃さん!」


 蓮が割り込む。


「灯乃さんも見た?悠真の妹のショー!」


「うん!見たよ!すごくかっこよかった!」


 ゆらはニコニコと答えたが、俺と目が合うと、急にサッと視線を逸らした。


「……あ、あのね、悠真くん」


「ん?」


「昨日の……インク、落ちた?」


 ゆらが俺の手をチラリと見る。俺は手のひらを見せた。


「ああ。風呂でゴシゴシ洗ったらなんとかなったよ。灯乃さんは?」


「私は……ちょっと残ってるかも」


 ゆらは自分の指先を恥ずかしそうに見せた。親指の先に、うっすらと白いペンキの跡が残っている。


「……お揃いだね」


 ゆらがボソリと呟いた。


「え?」


「あ、ううん!なんでもない!講義遅れちゃうから、行くね!」


 ゆらは顔を真っ赤にして、逃げるように走り去ってしまった。


「……なんだあれ?」


 俺は首を傾げた。いつもの「天然全開」な感じがない。なんだか、よそよそしいというか……挙動不審だ。


「おい悠真」


 蓮がニヤニヤしながら俺の肩を組んできた。


「お前ら……なんか『あった』だろ?」


「は?何がだよ」


「あの空気感だよ!『お揃いだね』ってなんだよ!指先にインク?どんなプレイだよ!」


「プレイじゃねえよ!図画工作だよ!」


「図画工作で女子大生と指を汚し合うのか?深いな……深すぎるぞ御影悠真!」


「うるさい!授業行くぞ!」


 俺は蓮を振り払って歩き出した。だが、背中に感じる視線は蓮のものだけではなかった。周囲の学生たちもひそひそと噂している。


「御影があの灯乃ゆらと仲良いらしいぞ」


「妹が美人モデルらしい」


「謎の組織から逃げてるって噂は本当か?」


 カオスだ。俺の平穏な大学生活は、ファッションショーを経てさらに混迷を極めていた。



 そして、水曜日。放課後。俺と叶羽は講談社の高層ビルを見上げていた。


「……高いな」


「フッ、ここが魔界の総本山か。悪くない」


 叶羽は制服姿だが、眼帯(ダテ)をつけて「邪気眼モード」に入っている。今日はいよいよアニメ化企画の打ち合わせだ。


「行くぞ、叶羽。……余計なこと言うなよ?」


「分かっている。私は『監修』として作品の質を高めるために全力を尽くすだけだ」


 俺たちは受付を済ませ、エレベーターで編集部へと向かった。通された会議室には笹倉真尋さんと数名のスタッフが待っていた。


「お待ちしていましたよ、先生。そして、監修の叶羽ちゃん」


 真尋さんが笑顔で迎えてくれる。その隣には少し強面の男性と、派手な髪色の女性が座っていた。


「ご紹介します。今回のアニメ化で脚本を担当していただく、脚本家の虚淵(うろぶち)先生と、プロデューサーの田中さんです」


「……う、虚淵……!?」


 俺は硬直した。有名すぎる名前だ。数々の鬱展開と衝撃的なシナリオで知られる、あの大御所脚本家だ。なぜ少年漫画のアニメ化にこの人が?


「初めまして、御影先生。原作、読ませていただきました」


 脚本家の先生が、低い声で言った。


「特に最近の展開……主人公のエゴと狂気がむき出しになる描写。あれは素晴らしい。あそこをもっと『深掘り』したいと思いましてね」


「ふ、深掘り……?」


「ええ。単なる王道バトルではなく、人間の業をえぐるような……視聴者の心に爪痕を残す作品にしましょう」


 先生の目がギラリと光った。まずい。これは「鬱展開」への片道切符だ。


「素晴らしい!」


 ドン!と机を叩いたのは、叶羽だった。


「その言葉、待っておりました!さすがは『虚淵』の名を持つ者!私の求めていた解釈と一致します!」


「おい叶羽!?」


「兄よ、遠慮はいらん!アニメでは原作で描ききれなかった『バッドエンドルート』の可能性も示唆すべきだ!例えばヒロインが闇落ちして主人公を刺すとか!」


「それ違うゲームの話だろ!?」


「ほう……お嬢さん、面白いことを言いますね」


 脚本家の先生が身を乗り出した。


「確かにヒロインの闇落ちはカタルシスがある。……採用しましょうか」


「えええええ!?」


 俺の悲鳴が会議室に響く。真尋さんは「ふふ、面白くなりそうですね」と笑ってメモを取っている。


 かくして、俺のアニメ化企画は、中二病の妹と鬱脚本家の化学反応によって、とんでもない方向へと転がり始めたのだった。これが「伝説」の始まりになるとは、この時の俺はまだ知る由もなかった。


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エロゲ買ったら妹が覚醒したんだが?―俺の平穏が秒でオワタヾ(´∀`)ノ― ペンタ @kazu4kimura4

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