三日目 その1 たね探しの旅法
朝の購買部には、昨日までとは違う静けさがありましたわ。
机の上には、前日にまとめた紙束――「見える化された問題」たちが整然と並んでおります。
けれど、それを前にしても皆の顔には、どこか迷いが浮かんでおりましたの。
「これ……どうやって直していけばいいんだ……?」
トネスさんのつぶやきが、薄い空気の中で溶けて消えていきます。
リズもその横で、眉根を寄せたまま紙の束を見つめておりました。
「原因を探すにしても、どこから手をつけていいのか……」
そう小さく呟いた彼女の声に、他の職員たちも同意の色を浮かべます。
わたくしは微笑み、黒板の前に歩み出ました。
「ええ、今日はそのための第一歩を踏み出しますの。“たね探しの旅”に、出かけましょう」
その言葉に、場の空気がわずかに動きました。
トネスさんが眉をひそめ、まるで聞き慣れない呪文を聞いたかのように首を傾げます。
「……たね、探し?」
「ええ。教授から教わった考え方ですの」
わたくしは頷き、帳簿の上に指先を滑らせました。
「一見、数字や手順ばかりに見えても、その中には“問題のたね”が隠れております。
それを見つけるために、実際に歩いて観察し、人の声を聞く――それが“旅法”なのですわ」
「問題の……たね、ですか」
リズが小首を傾げながら尋ねました。
「それは、“原因”とは違うものなの?」
「ええ、似ていますけれど、少し違いますの」
わたくしは微笑んで、黒板に小さな円を描きました。
「“原因”とは、すでに起きた出来事を説明するための言葉。
けれど、“たね”は――まだ芽を出していない問題の兆し、つまり“未来の原因”なのですわ」
リズの瞳が少し見開かれました。
「あっ、そうか、芽が出る前の……未来の原因……」
「そう。芽が出る前の“たね”を見つければ、手遅れになる前に対処できますの。
帳簿の上ではまだ何も起きていないように見えても、現場には必ず“兆し”がありますわ」
「兆し、か……」
トネスさんは視線を落とし、数枚の伝票を見つめました。
そして、ゆっくりとそれを閉じ、深く息を吐きます。
「なるほど。つまり――数字を追う前に、“現場を歩く”ってことか」
「ええ。歩いて、見て、聞いて――見落とされた芽を探す。
それが、わたくしたちの最初の仕事ですわ」
言葉を終えると、トネスさんの瞳がわずかに鋭さを帯びました。
それは、ただの学生の思いつきではないと理解した目。
リズもその様子を見て、静かに微笑みました。
「なんだか……本当に旅に出るみたいね」
「ええ。未知の土地を歩くようなものですもの。
地図のない場所に、秩序の道を描く――まさに、それが“たね探しの旅”ですわ」
そう告げると、部屋の空気が少しだけ明るくなりました。
誰もが“問題”ではなく、“発見”に向かう気持ちを抱いたのです。
トネスさんは最後に、帳簿を閉じて静かに立ち上がりました。
「……なるほど。旅の法、というのはそういう意味か」
言葉を反芻するように呟き、ゆっくりと頷きます。
その仕草には、確かな決意の色がありました。
――購買部の旅が、今、ほんとうに始まったのですわ。
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