二日目 その3 見える化の一歩
部屋の熱気が、ようやく少しだけ落ち着きましたわ。
トネスさんを中心に繰り広げられた白熱の議論が終わり、机の上には紙束が散らばったまま。
けれど――人の心は、書類と違って簡単には片づきませんのね。
わたくしは一歩前に出て、静かに声をかけました。
「――では、一度、整理してみましょうか」
その言葉に、場の視線が再びこちらへ集まります。
怒号でも叱責でもない、落ち着いた声。
けれど、議論の熱をまとめるには、それで十分でした。
「まず、購買部に“何が期待されているか”を考えてみましょう」
黒板の前に立ち、白いチョークを指先で転がしながら尋ねました。
「先生方からは、どのようなことを望まれていると思いますか?」
トネスさんがすぐに答えます。
「正確な手配、ですね。先生たちが必要とするものを、間違いなく、期限までに届けること」
別の職員が続きます。
「学生にとっても同じです。必要な道具がなかったら、実験や実習に支障が出ますし」
年長の調達係が頷きながら言いました。
「……あと、商会の方々も。こちらの注文の仕方が悪いと、あちらにも迷惑をかける」
「ええ、どれも大切な視点ですわ」
わたくしは微笑んで頷きました。
リズが横で小さく息をつきます。
ようやく、“自分たちの仕事”として考え始めたようですわね。
昨日までは「言われたから」「ルールだから」といった他人事の言葉ばかりでしたのに。
「では、その“期待”と“現実”の間には、どのようなギャップがあるかしら?」
わたくしの問いに、部屋が一瞬静まり返ります。
やがて、一人がぽつりと呟きました。
「……納期を守れないことがあります」
「必要な在庫が見つからない」
「注文書の形式が人によって違う」
「同じミスを、何度も繰り返してる気がする」
次々と声が上がり、やがてその場に共感のうなずきが広がっていきます。
まるで、長いあいだ胸に溜まっていた澱が、ようやく流れ出したようでしたわ。
「よろしいですわ。それらを“似たもの”ごとにまとめてみましょう」
机の上に紙を配り、皆に手を動かしてもらいます。
ペンの走る音が部屋に満ち、言葉の断片が形を持ちはじめました。
リズが横で静かに呟きます。
――“見えるようにする”って、こういうことなんだ。
ええ、その通りですわ。問題が言葉になった瞬間、それは愚痴でも不満でもなく、“改善の素材”に変わるのです。
「繰り返し発生しているものは、どれかしら?」
問いかけると、トネスさんが一枚の紙を指差しました。
「在庫の所在不明、これはほぼ毎回です」
別の職員が頷きます。
「それに、“どこに何があるかわからない”という声も多いです」
わたくしは黒板に、並べるように書き出しました。
・ 職場の整理・整頓できていない
・ 注文方法が定まっていない
・ 書式が人によって異なる
・ 在庫の所在が明確ではない
チョークの白が並んだ瞬間、部屋が静まり返ります。
誰もが、その“現実”を正面から見つめていました。
「皆さんのご協力のお陰で、なんとか整理できましたわ」
チョークを置き、わたくしは全員を見回しました。
「いま挙がった問題の多くは、偶然ではなく“仕組み”に根ざしております。
けれど今日は、“なぜ”までは考えませんの。
まずは、“何が起きているのか”を正しく見つめること――それが第一歩ですわ」
声に力をこめると、皆の表情が真剣に引き締まっていきます。
わたくしは静かに頷きました。
――教授の言葉が、いまようやく形になってきた気がいたしますわ。
「それでは、本日はここまでといたしましょう」
解散の声に、皆がほっと息をつきます。
けれど、その顔には疲労よりも確かな手応えがありました。
机の上には、問題を整理した紙の束。
そこには、ようやく“自分たちの仕事の姿”が見え始めておりますわ。
リズが小さく呟きました。
「――ようやく、見えてきましたね」
わたくしは微笑んで答えます。
「ええ。明日は、この“見えた問題”のたねを探してまいりましょう」
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