友達に命を助けられた話

あ〜ちゃん

落胆され悲しまれるために生まれたのではない

 高3のとき、いじめられ精神疾患を発症し学校を辞めました。


 統合失調症でした。


 学校を辞めてからは家でのんびりひたすらYouTubeを観てました。クレヨンしんちゃんの動画をずっ観てました。しんちゃんの声を聴くと落ち着くんですよね。


 中学時代の友達のたっくんやゆっぴ、けんちゃんとも遊んでいました。公園でキャッチボールをしたり、話したりしてました。毎日病気の症状でしんどかったのですが、そのときはしんどさを忘れられて楽でした。


 でも病気は段々しんどくなってきました。


 苦痛でした。なぜ生まれてきたのかと何度も思いました。周りの友達は受験勉強をしたり、恋人を作ったり、高校生活を楽しんでいるのになんで自分だけ苦しまなくてはいけないのかと当時は思っていました。  


 しかし苦しんでいるのは自分だけではないのです。苦しんでいる僕を見ている僕の親や祖母、兄も苦しんでいるのです。苦しんでいる本人の周りの人も苦しんでいるのです。


 でも当時の僕は自分だけが苦しみこの世の不条理を味わっていると思い込んでいました。当然ですが、精神疾患の重いカテゴリーである統合失調症の苦しみは一般の方には皮膚感覚で想像することはできません。なので僕が自分だけが苦しんでいると思い込むのは仕方なかったかもしれません。(高校生ですから)


 18歳の冬。


 僕は駅に向かっていました。


 僕は駅のベンチに座り特急電車を待っていました。  


 病気の症状がしんどすぎて楽になりたいと思ったのです。


 しかしなかなか特急電車は来ません。


 僕がボーとベンチに座っていると隣にゆっぴがいました。


 中学時代の友達です。


 「元気?」と聞かれました。


 僕は「元気」と答えていました。


 そしてしばらくベンチに座り二人で話していました。


 10分ぐらい経って特急電車が目の前を通過しました。


 僕はあいかわらずゆっぴと昔話をしていました。


 端からみたら楽しそうな僕に見えたかもしれません。  


 でも僕の心は泣いていました。


 助かった。


 そう思いました。


 僕はゆっぴに助けられたのです。


 ゆっぴがあと十分遅く来ていたら僕は今、生きていないでしょう。


 僕は今、統合失調症が寛解しほぼ回復して普通の生活をおくれています。


 あの時、もし死んでいたら今でもゾッとします。


 死んでいたらもったいない。


 あそこで死んでいたら、それこそ何のために生まれてきたのかわかりません。


 最近、僕はアニメを観たり、漫画を読んだりするのが好きになりました。


 それをしている時間がものすごく幸せです。


 感動して魂が震えるんです。アニメや漫画を読んでいるとき。


 僕はその時にこれを味わうために生まれてきたのかな?と思ったりするときがあります。


 ある哲学者が言っていたことを思い出しました。


 「人は意味なく生まれ、意味なく死ぬ。しかし人間は自分が生きる意味を自分で決めることができる」


 僕が生まれてきたのには特にこれといった意味はなくて、僕が死ぬのもこれといった意味はたぶんない。


 でも僕は自分が生きる意味を決めることはできる。


 僕の生きる意味は日本のアニメや漫画の素晴らしさをしっかり解釈しそれを身近な人に伝えていくことかなと最近思っています。

 

 それにしてもあの時死ななくて良かったです。


 あの時死んでいたら、その死には意味がなかったと今なら思います。  


 死んでいたら、周りの人に落胆され悲しまれていたでしょう。


 僕は落胆され悲しまれるために生まれてきたのではありません。


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友達に命を助けられた話 あ〜ちゃん @mitsugashiwa

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