第3話 その虚構、愛故に
ヴァリエの中央地区にある宿の一室。
神鋼級認定の喧騒から離れたその部屋で、アリアはテーブルに古びた地図を広げ、シルヴァは窓辺の壁に凭れかかっていた。
夜の闇が窓を覆う中、二人の間にしばしの沈黙が流れる。
先に口を開いたのはシルヴァだった。
彼の翠眼は、ギルドでの出来事を静かに反芻しているようだった。
「なあ、リア。ギルドで言ってた『神獣の試練』ってのは俺の知らない話だ。どこで見つけた?」
シルヴァの瞳は穏やかだったが、その問いには自分の力の真実に関わることへの真剣さが込められていた。
アリアは地図から視線を上げず、その白金の髪を揺らした。
「ハッタリよ。完全な」
あまりにもあっさりとしたその返答に、シルヴァは思わず間の抜けた声を漏らす。
「は……ハッタリ?」
「そうよ。あの場では獣憑きという忌まわしい言葉を打ち消すための最善の言葉が必要だった。獣憑きが証明できないなら、神獣の試練だって証明できないわ。なら、ポジティブに受け止められる言葉を浸透させる方が早いでしょ。あんな連中のせいで、あなたの評判に傷がつくなんて御免だわ」
シルヴァは一瞬呆れ顔になったが、すぐにアリアの行動が自分のためだと悟り、穏やかな笑みを浮かべた。
「まったく……詐欺師のレッテルが貼られるリスクを敢えて背負うなんて無茶するな。だが、ありがとな」
アリアは小さく息を呑むと、すぐに顔を背け、少しだけ頬を染めた。
「感謝を示すなら行動で示す! ぼけっとせずに私の役に立つことでも考えなさい!」
照れ隠しからかアリアは声を強める。そしてすぐに視線を地図に戻し、真剣な眼差しで今後の展望を語り始めた。
「神鋼級に昇格した今、ギルドのランクにもう意味はないわ。必要なのは、誰もが『極光』の名を知ること。行方知れずの郷の仲間たちにも届くよう、世界中に轟く圧倒的な名声が必要よ」
アリアは敢えて口にしなかったが、それはシルヴァの力を神獣の試練と大衆に信じさせるためにも必要なことだった。呪いと蔑まれた存在が、世界が認める功績を残す。それが出来るだけの力は、神獣の試練を乗り越え掴んだものと言っても差し支えないはずだ。
そのために彼女が次に選んだ獲物は、ギルド依頼板の片隅に追いやられて、何かのチラシと見間違えるくらい古い案件だった。
何年も前からそこにあるのか、依頼書は劣化して黄ばみ、ボロボロだ。
依頼ランクは神鋼級。受注者数に制限はなし。何組の冒険者が受注してもよく、報酬は早いもの勝ちということだ。
標的はヴァリエの北東、「嘆きの森」の奥にある古代遺跡。ギルドの情報によれば、この遺跡には「足を踏み入れた者が、極度の恐怖と高熱を発し、死に至る」という呪いがかかっているとのこと。ギルドが最も恐れているのは魔物ではなく、この呪いだった。
ヴァリエにも他の街から来たものも含めて神鋼級の冒険者は何組かいる。にも関わらず依頼が敬遠されている様子から、死に至るというのは本当なのかもしれない。
しかし、おそらく何年も、いや、何十年かもしれない期間、この依頼は達成されていないのだ。そんな遺跡を踏破できれば、力の証明としては十分だ。
翌日、二人はギルドからの情報を手に、酒場で食事をしながら作戦を練っていた。
「呪いというからには、現代の人智を超える何かがあるってこと。魔物がいるというよりは、術式や魔力の澱み、古代魔法あたりが原因でしょうね。名を上げるにもちょうどいいかも。解き明かして、世界に『極光』の名を轟かせましょ」
作戦会議中、突如として別の席からガタイの良い男たちが近づいてきた。彼らは神鋼級のプレートをつけた四人組のパーティー、“雷刃”のリーダーとその仲間たちだった。
シルヴァは即座に対応できるよう身構える。
「よう、そこのエルフの美人さん! 俺たちと組まねえか? その相棒は剣しか使えねぇみたいだが、 俺達ならあんたを満足させられる! こんな美人がいれば俺達もやる気満々! あんたもすぐに神鋼級は間違いなしだ!」
酒場でその声を聞いた者達は、みな呆れ顔だ。
それもそうだ。五年ぶりというあのイベントがあり、街中の冒険者の大半はエルフと人間の二人組である“極光”が神鋼級に上がったことを知っている。
街中がお祝いムードになっていることでその場にいなかった者達ですら知っているのだ。
それを知らないというのだから、情弱と言わざるを得ない。
ただ、誰もそれを口に出すことは出来ない。
他の街から来たとは言え、この“雷刃”もまた神鋼級だから。
アリアは男を一瞥すると、胸に下げた紫紺のプレートを見せて鼻で笑った。
「悪いけど、その話は聞く必要がないわね。それに――」
シルヴァはその声に合わせアリアを庇うように立つ。
「私のシルヴァ、あなた達の何倍も強いわよ?」
「俺の主にこれ以上近づかれては従者の名折れだ。下がれ」
「なっ!?」
「こいつらが“極光”か!?」
「獣憑きってやつか!」
その言葉にアリアのスイッチが入る。
「神獣の試練と聞かなかったかしら。無知蒙昧で情弱で、救いようのない愚かものが神鋼級って、あなたの所属ギルドが心配になるわ」
「なんだと!!」
一息に吐き出されたアリアの煽りに、青筋を浮かべながら男達は詰め寄ろうとするが、
「下がれと言ったのが聞こえなかったか? 主の機嫌をこれ以上損ねるようなら――」
先ほどまでとは打って変わって刺すような空気を纏うシルヴァに思わず怯み、後ずさる。
雷刃のリーダーは、顔を真っ赤にして仲間たちと顔を見合わせた。
「くっ……覚えてろよ、極光! 格の違いをすぐに思い知らせてやる!」
悔しさと羨望を滲ませた捨て台詞を吐き、雷刃パーティーは酒場を飛び出していった。
「あんな誘い文句で本当に仲間にできると思ってる神経がわからないわ」
「言ってやるな。神鋼級だってんなら、俺達同様、努力もしてきたはずだ。ただ、そこで満足してしまっただけなんだろう」
人は満足したら歩みを止める。
再び叩きのめされ、自身の立ち位置を心の底から理解せねば、前に進むことなく停滞するのだ。
「シルヴァはあんな奴らにもよく優しくなれるわね」
「人には人の数だけ、事情があるからな」
「世の愚か者達に聞かせてあげたいわ。さて、ここでゆっくりする気分じゃなくなったし、部屋にいきましょ」
宿に戻ると、アリアは神鋼級の証であるアダマンタイト製の紫紺のプレートを手に取った。
「遺跡の呪いは絶対に魔力が絡んでいるはずだから対策をしておくわ」
アリアはプレートに、
「アダマンタイトは頑丈なだけでなく、魔力付与の対象物としても最高よ。持っていなさい、シルヴァ。呪いの力がどれほどかわからないからお守りにしては頼りないけど、ないよりマシよ」
シルヴァは彼女の気遣いに黙って頷き、プレートを受け取る。
「リアの分は付与しないのか?」
「私は自分で障壁を纏うから不要よ。なーに、心配してくれてるの?」
アリアは悪戯な笑みを投げ掛けたが、
「当たり前だろ。死に至るって程なんだ」
と、クソ真面目な答えが返ってくるだけだった。
意図したようには伝わらず、嬉しさ半分、不満半分のアリアなのだった。
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