二 ★に願いを
敵を知り、己を知れば百戦危うからず。
私はプライドを畳の下の古新聞と一緒に押し込み、まずはランキング上位の作品を読み漁ることにしました。
総合ランキング一位。
『レベル1だけど、ユニークスキル【呼吸】で最強です~呼吸するたびに経験値が入って、気づけば神を超えてました~』
……めまいがしました。
呼吸。
生きているだけで最強になれる?
ふざけるな。
私は呼吸をするたびに、酸素と共に恥を吸い込み、二酸化炭素と共に溜息を吐き出しているというのに。生きているだけで罪悪感が積み重なり、気づけば人間失格になっていた私への当てつけですか?
ランキング二位。
『追放されたので、隣国の聖女とスローライフします。あ、元のパーティーに戻ってくれと言われてももう遅いですよ?』
……頭痛がしてきました。
追放。それは、故郷を追われ、家族に見放された私にとって、最も痛ましい言葉です。
それを、彼らはなんと軽々しく扱うのでしょうか。
それに「スローライフ」という言葉。許せません。
何もしないで生きていける? 畑を耕せばSランクの野菜ができる?
馬鹿を言いなさい。土を触ったことがありますか。百姓の苦労を知っていますか。私は知っていますよ、実家が津軽の大地主でしたからね! 小作人たちがどれほど泥にまみれ、霜焼けの手で土を弄っていたか! 農業とは、自然との血みどろの闘争なのです。それを「ポチッとな」で収穫? 文学への冒涜です。
しかし、怒ってはいけません。
これは「商品」なのだ。芸術ではない。
読者は、現実の辛さを忘れるために、ここに来ているのだ。ならば、私が提供すべきは「阿片」だ。
極上の、脳が溶けるような甘い阿片を、太宰治の極彩色の文体で包んで食わせてやればいい。
私は震える手で、「新しい小説を作成」のボタンをクリックしました。
タイトル入力欄。
ここで読者の心を掴まねばなりません。
私は、流行りの単語をパッチワークのように繋ぎ合わせました。
『異世界転生してチート能力をもらったが、恥の多い生涯を送ってしまったので、ステータス画面を見ずに生きていく。』
……長い。長すぎる。
まるで蛇が自分の尾を噛んでいるような醜悪さです。
しかし、これが「マナー」らしいのです。
キャッチコピーには、私の偽らざる本音を添えました。
『待ってくれ、殺すなら★を入れてからにしてくれ。』
さあ、執筆開始です。
主人公は、現代社会に疲れたサラリーマン(モデル:私)。
トラックに撥ねられるシーンから始まります。
本来なら、鎌倉の海に入水するシーンにしたかったのですが、それでは「暗すぎる」とK君に言われそうなので、泣く泣くトラックにしました。
――執筆中――
『トラックが迫ってくる。
私は逃げなかった。なぜなら、昨晩の酒が残っていて、足がもつれたからだ。
衝撃。
痛みは一瞬だった。
次に目を覚ますと、そこは白い空間だった。
目の前には、女神と名乗る、妙に露出度の高い女が浮いていた。
「あなたを異世界へ招待します。特別なスキルを一つ授けましょう」
私は俯いて答えた。
「お金をください」
「え?」
「生活費です。あと、酒代。働かなくても、毎月十万円が振り込まれるスキルをください」
女神は呆れたように私を見た。その冷ややかな視線は、かつて私を見限って去っていった、銀座のホステスの目と同じだった。
「……あなたは、勇者失格ですね」
「はい。人間としても、失格です」』
……筆が止まりません。
おかしい。私は「俺TUEE(俺って強い)」を書こうとしているのに、主人公がどんどん卑屈になっていく。
モンスターと戦うシーンもそうです。
スライム一匹殺すのに、私は原稿用紙三枚分の葛藤を費やしてしまいました。
『このスライムにも親がいるのではないか。私が剣を振るうことは、エゴイズムの極致ではないか。ああ、いっそ私がスライムに食われて、彼らの養分になったほうが、生態系のためには良いのではないか。殺したくない。けれど、レベルを上げなければ、私はこの世界でも生きられない。許してくれ、スライム君』
書き上げた第一話は、冒険の始まりというよりは、遺書に近いものになっていました。
読み返すと、胃液が込み上げてきます。
暗い。重い。じめじめしている。
爽快感の欠片もありません。
しかし、もう直している時間はありません。電気停止の期日は、刻一刻と迫っています。
「ええい、ままよ!」
私は破滅的な気分で、「公開」ボタンをクリックしました。
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