走れカクヨム ある文豪の乱入記

森崇寿乃

一 六畳一間の承認欲求

 恥の多い生涯を送って来ました。

 自分には、現代の「ウェブ小説」というものの作法が、どうにも見当つかないのです。

 東京、三鷹。

 駅から徒歩二十分、築四十年を数える木造アパート「斜陽荘」の二階角部屋。

 六畳の畳はささくれ立ち、歩くたびに私の頼りない人生のように軋んだ音を立てます。窓の外には、鉛色の空が垂れ込め、私の憂鬱をそのまま映し出しているようでした。

 机の上には、昨晩飲み干したワンカップ大関の空き瓶が三本、彼岸花のように転がっています。そして、その横には、スーパーの半額シールが貼られた豆苗の残骸。

 これが、かつて文壇の寵児と呼ばれた男の成れの果てです。

 私は、薄汚れた綿入れ半纏はんてんをかき合わせ、寒さに震えながら、五年落ちのノートパソコンと睨み合っていました。

 液晶画面の右下、バッテリー残量の表示が「10%」と赤く点滅しています。

 これは警告です。

 パソコンのバッテリーではありません。私の人生の残量です。

 電気代の支払期限は、昨日でした。いつ、部屋の明かりがフツリと消え、この文明の利器がただのプラスチックの板に変わるか、分かったものではありません。

 ピロン。

 情け容赦ない電子音が、スマホから響きました。LINEの通知音です。

 送り主は、編集者のK君。

 彼は、私の債権者であり、同時に唯一の理解者(と本人は自称していますが、私に言わせれば看守)でもあります。

『先生、まさかとは思いますが、昼間から飲んでませんよね?』

『長編コンテストの締め切り、刻一刻と迫っていますよ。大賞賞金一千万円。これさえあれば、先生の溜まりに溜まった借金、一括返済です』

 私は既読をつけぬよう、画面を伏せました。

 一千万円。

 ああ、なんと甘美で、そして暴力的な響きでしょうか。

 しかし、応募要項の「十万文字以上」という条件が、私を絶望の淵へと突き落とします。

 十万文字。

 原稿用紙にして二百五十枚。

 正気ですか。

 人間が一生のうちに吐き出せる真実の言葉など、千文字にも満たないというのに、それを十万回も積み上げろと言うのですか。そんなことをすれば、私は完成と同時に吐血し、キーボードの上で野垂れ死ぬことでしょう。

 それに、今の私の体力と精神力では、十万文字を書くためのカロリーすら捻出できません。餓死が先か、発狂が先か。

 私は逃げるように、ブラウザの「お気に入り」から、とあるサイトを開きました。

 小説投稿サイト「カクヨム」。

 現代の文士たちが、己の魂を削ってPV(閲覧数)という名の銭を稼ぐ、鉄火場です。

 そこで、見つけたのです。一筋の蜘蛛の糸を。

『カクヨム短編小説コンテスト』

 募集要項:一万文字以内。

 テーマ:自由。

 短編賞・賞金:十万円。

 十万円。

 一千万円に比べれば、ゴミのような額です。銀座のバーで飲めば、瞬きする間に消えてなくなるでしょう。

 しかし、今の私にとっては、まさに起死回生の救命ボートです。

 十万円あれば、滞納した家賃を払い、電気を繋ぎ止め、そして久兵衛でなくとも、駅前の赤提灯でなら、焼き鳥を腹一杯食い、熱燗を五合は飲める。

 それに、一万文字です。

 私の代表作『走れメロス』をご存知か。あれも短編だ。

 私はかつて、熱海での放蕩のつけを払うために、友人を人質に差し出してまで走り……いや、書いて走り回った男です。

 一万文字など、私の才能をもってすれば、鼻歌交じりに二時間で終わる余興に過ぎません。

「よし、やるか」

 私はワンカップの残りを喉に流し込み、乾いた唇を舐めました。

 純文学? 私小説?

 いいえ、今のトレンドは「異世界」だそうです。

 所詮は子供騙し。私の筆力で、このサイトのランキングを蹂躙してやりましょう。

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