第三章 3
細木の薄暗い部屋で、泉は隠れ暮らした。細木はほとんど外へ出ない生活をしているらしく、表へ出るのは食べ物を買いに出かける時だけのようだった。
泉は身体の傷を治しながら、細木の買ってくるおにぎりやパンを食べて日々をやり過ごした。
「僕に知り得ないことなんてないよ」
細木が豪語する通り、彼がキーボードを叩くと、街のあらゆる情報が画面に映し出された。都庁の機密事項、宮内庁の雅楽係の演奏する決まった時間、隣の家の金庫の暗証番号など、大小さまざまなことを彼は指先の動き一つで調べて見せた。
「お前、ふだんどうやって暮らしてるんだ」
「僕は情報屋だよ。色々なことを知りたい人間が僕にお金を払って、ものを聞いてくる。
秘密厳守、迅速対応」
その言葉を裏づけるかのように、たまに細木の携帯が鳴ると彼はキーボードを叩き、なにかを調べ始める。そして瞬く間に情報を手に入れると、誰かへそれを送る。金はその日のうちに入金される、という仕組みだ。
「あんた、猫の扱いうまいね。僕の猫たちがなつくなんて初めて」
「うちに仔猫がいるんだ」
泉は銀次郎を思い出した。殺し屋たちは、きっと自分の家までやってきただろう。銀次郎は無事だろうか。
「へえ、どうりで」
「うちの前の防犯カメラ、見られないか」
「見られるよ」
「ちょっと映してくれ」
「いいけど、有料だよ」
「払うよ」
細木がカタカタとキーボードを叩くと、画面に見慣れた建物が映し出された。
「ここだ」
バーの前の道で、橙子が掃き掃除をしている。そのエプロンから、黒猫がぴょこんと顔を出した。
「銀次郎だ」
橙子は銀次郎にむかってなにかを話しかけ、その頭をなでている。
「よかった。無事なんだな」
橙子が連れ出してくれたのなら安心だ。
「あれあんたの彼女?」
「違う」
「まあどうでもいいけど」
ずきん、と背中が痛んで、泉はソファに座ることにした。思っていたよりも傷が深い。 本来ならば、縫わなければならないところだろう。それをコンビニの消毒用エタノールでなんとかしようとしているのだから、痛いに決まっている。
「それより、これからどうすんの」
「劉の弱点を探し出す」
「滅多に外にも出ないから、どんな顔かもわからないよ。さすがの僕もお手上げ」
「なんとかして、探ってくれないか。金は払うから」
「やってみるけどね」
「なんでもいいんだ。血縁関係、銀行の残高、取引の相手、愛人の動向、ちょっとしたことが引き金になって、劉の弱みになる。それさえわかればいい」
相手は新宿を取り仕切る中国人マフィアのボスだから、守りも堅固だ。それに、探る情報も膨大ときている。
調査には、長い時間がかかった。
「劉燕峰、三十三歳。独身。親兄弟はいない。親類もなし。銀行の残高は問題なし、愛人との遊び方もきれい、取引相手は一見みんな堅気で、健全な商売をしているようだよ」
「もっとなんかないのか、家に隠し金庫があるとか、プールの底にミサイルが仕込まれてるとか」
「ハリウッド映画の見過ぎ」
「三十三歳でマフィアのボスとは、ずいぶん若いな。先代とはどういう交代の仕方をしたんだ」
「それがね、先代は穏やかな商売をする昔気質のマフィアだったんだけど、四年前劉がやってきてからはやり方がどんどん変わっていって、先代が死んでからは頭角を表してあっという間にボスの座に収まって、誰もそれに文句を言えなくて、言った奴は片っ端から始末してったらしいよ」
「恐怖支配か。四年前というと、俺がここに来る少し前だな」
「でも死体が見つからなくて、結局なあなあになっちゃった」
「そうか。殺人で弱みを握れると思ったけど、さすがにそうはいかないか」
画面を見つめていた細木が、首を傾げた。
「うーん?」
「なんだ。どうした」
「週に一回、海外と遠距離通話をしてるね。どこだろう……香港だ」
「住所がわかるか」
「わかるよ」
細木はカタカタとキーボードを叩くと、その住所をプリントアウトした。
それをじっと見て、泉は彼に言った。
「もう一つ、頼みがある」
泉は細木に言って偽造パスポートと新しい服を用意させると、秘かに飛行機のチケットを買い、朝早く街を抜け出した。
細木の家に籠もること実に三週間近く、その間泉の姿は影も形も見えなかったから、彼を探す殺し屋たちも鳴りを潜めたようだった。
刀だけを持ち、飛行機に乗り込むと、泉は一路香港に向かった。
そして空港でタクシーに乗ると、細木が調べた住所を運転手に見せてここに行きたいと告げた。
車で二時間も走ると、そこは都会のど真ん中の高級住宅街だった。時々道を行く人に場所を聞きながらその住所を訪ねると、そこは一軒の家だった。
ただの家ではない、荘厳な拵えの門も重々しい、立派な設えの大邸宅である。
泉は呼び鈴を鳴らさずに、そっと門を開けてなかに入った。警備の人間などは、いない。
劉が毎週電話をかけている人間の住む家にしては、無防備だ。
玄関に入って、益々驚いた。
なんだここ。俺の家のリビングくらい広い。
分厚い絨毯の敷かれた廊下を歩いていると、いかにも使用人でございますといった制服を着た女がむこうに歩いていくのが見えた。それをやり過ごして、ここの主人はどこにいるのかなと考えた。多分、上の階だろう。
階段を上って、手当たり次第に部屋の扉を開けていった。
そして五つ目の部屋に入った時、泉は目を瞠った。
「……君は……」
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