第2話
2章(正しい線引き)
最悪は殺してやることも止む無しとは言え、適切な着地はどこなんだろう。それは過不足のない妥当なバランスの中に存在している気がした。
こちらが死ぬことを考えさせられるくらいなんだから、障害が残るくらいならいいのか?足を圧し折って腱を切ってやるくらいならどうか。自分の未来をどのくらい消費してどのくらいまで仕返ししてやるのが自分の着地なのか。本気でそんなことを考えながら僕は校内を歩いていた。
すると隣のクラスで自由奔放に振舞っている女子を見かけた。彼女はクラスメイトの輪に好きなように入り、ケタケタ笑い、好きなことを言って、また別のクラスメイトの輪に入っていった。
羨ましかった。僕にはとてもできないことだったから。彼女の名前は咲子というらしい。僕もいつか彼女みたいになれたら。あんな風に屈託なく笑顔でみんなと上手くやれたら。
それからは時間があれば彼女をこっそり観察しに行くようになった。そうやって最初は咲子を憧れで追いかけていたのだけど、次第に違和感を持ち始めた。
掃除の時間、楽しそうに話が盛り上がっている輪に咲子は「手伝うよー」と飛び込んだ。僕は試す相手もいないのに「そうか、そうやるんだ」と見習おうとしていたぐらい鮮やかだった。
ところが「こっち間に合ってるから、あっちお願い。重いの運んでるやついるから」と断られていた。さっきまであんなに盛り上がっていたクラスメイトたちが、何故か急にどこか白けてしまっていた。
断られた咲子は咲子で、重たいものを運んでいるクラスメイトをチラ見してどこか違う方向へ行ってしまった。
咲子はあちこちの輪を自由奔放に回っていている。だけど、クラスメイトたちは受け流して、なんなら距離をとろうとしている様だった。
だから輪に飛び込んでも長続きせず、別の楽しそうに盛り上がっているグループに移動していたのだ。まるでイナゴみたいだ。
そして、そんな咲子から距離とる素振りを一番顕著に見せていたのが日菜子という女子だった。
この学年はどういうわけか、地元の子供が集まるだけの公立一般校であるのに女子生徒が少なく、このクラスの女子は咲子と日菜子の二人だけだ。ちなみに次の学年では逆に女子が多めになって、それ以降の学年ではだいたい半々に落ち着いているらしい。
だから必然的に二人が一緒にいる時間も多い様だったし、てっきり仲が良いのだと思い込んでいた。しかし、日菜子は確実に咲子が来たら手早く切り上げ他へ誘導する動きをしていた。明らかに避けていた。
よく見ていると、咲子は寂しそうな表情をみせることがあった。でも暫くすると何食わない笑顔でまた誰かのところへ向かっていた。
数日後、咲子がホームルームでイジメを告発したらしい。無視をされている。私を邪魔者扱いする。リーダーは日菜子でクラスはみんなグルだ。教育委員会にも訴えてやる。かなり一方的にまくしたてたみたいだ。それで日菜子は職員室に呼び出された。
咲子はフェアじゃないと思う。
咲子を外から見ていて、自分もやっていたかもと気付いたことがあった。空気を読まずに話に割って入ること、自己満足で周りを振り回すこと、嫌な役回りは誰かに押し付けて逃げ回ること。そうやって周りに嫌な思いをさせて迷惑をかけているなら、嫌われたり避けられたりするのは自業自得だ。
自分の自業自得には目を向けず、被害者を演じて我儘だけを押し付けるのは弱者の搾取だ。
またキン!と小さく澄んだ音がして、世界が鮮明になった気がした。なんだか自信を持って進める、直感的にそんな気がした。
日菜子は咲子の告発があってから毎日、担任と面談を義務付けられていた。こってり絞られていると言うわけでもなく、担任もおおよその背景を把握していて、でも教育委員会とか言われてしまったので体裁上の実績つくりというのが実態だ。担任は毎日変わらず「女子は二人しかいないんだから仲良くしろ」と押し付けて来た。
日菜子は上手く出来る人だった。何を言われようと咲子と仲良くする気なんてサラサラなかったらしいんだけど、担任の立場も理解できなくはないから上手くやってあげようとしたらしいんだ。はみ出しているのは咲子だって、咲子が解かってくれればいい。先生に迷惑がかからないように上手くやってあげよう。向き合ってちゃんとしたら、きっと上手くいく。みんなが上手く暮らせるように、私が何とかしてあげよう。
クラスの咲子への対応が変わった。無視はしない。避けてもいない。逆に面と向かって「それ迷惑」と、きっぱり伝えるようになった。咲子の原因に咲子が向き合い、それを解消することが妥当な進み方だ。クラス全員がそれを正しいと思っていた。
僕もそれを見て平等だと思った。嫌なことをまき散らすのだから、自分も嫌なことを受け取って相殺するのは自業自得だ。嫌なら巻き散らさなければいい。
自分もそれが出来なくて苦しい思いをしているけど、自分のかけている迷惑を棚上げして、他の人と同じ待遇を求めるのは身勝手というものだ。
みんな正義や権利みたいに「平等」をかざすけど、そもそもで生まれる前から平等じゃない。足が速いやつ、遅いやつ。金持ちの子、貧しい家の子。全員違うのにそれらを全部一緒の平等にしようとするから妥当じゃない不平等が生まれる。多様性ってそういうことでしょ?
日菜子とクラスの人たちが僕と同じ考え方の行動をしていたことが嬉しかった。それはつまり、僕はみんなと同じように上手くやれているってことでしょ?
1ヶ月が経った。僕は周りに干渉(攻撃)されなくなって穏やかに過ごしていた。登校したら隣のクラスをこっそり観察に行くか自分の席に引きこもっていたから、要は孤立ではあったんだけど、それでも僕が世の中で成立できていることが、前より上手くできている気がすることが嬉しかった。
給食はみんなと机を形だけ合わせるけど、僕は無言で平らげて丁寧に片付けて席を立つ。クラスメイトも僕に関わろうとはしない。
いつもは、それから咲子を観察に行っていたけど、勘違いしていたと気付いてからは見に行くものが無くなって困ってた。
とりあえずグラウンドの隅にある芝生で、一人座ってのんびりすることが多かった。日当たりも暖かくて気持ちいい。前は庭なんて要らないって思ってたけど、今度うちの庭でのんびりしてみるのも悪くないな。
ドサッ。
少し離れたところに何か落ちた音がして、振り返ると大きな何かがあった。よく見るとうちの制服のようだ。赤いものが僕の意識と音を吸い取りながら、ゆっくりと広がっていく。
それは咲子だったんだけど、咲子に見えたんだけど、理解が出来なくて僕は何が何だかわからなかった。
僕が叫んだから他の生徒や先生が来たらしいんだけど、あと何かゴォオオォォって大きな音が聞こえた気がするんだけど、よく覚えていない。
咲子は自殺で、遺書が残されていて、遺書にはイジメについて書かれていた。学校や警察の調査が始まって、この一カ月にどんなことが起きていたかわかってきた。
日菜子とクラスは咲子に文句を伝えるようになった。ショックを受けた咲子は私を肯定して!って感じでより激しく周りに話しかけるようになった。咲子のタイミングで。嫌気が差したクラスは「せめてこれくらいやれ」って、咲子に嫌な役回りをやらせるようになった。次にそれを上手くやれないと「使えねーやつ」というあだ名がついた。「使えねーやつ」は役に立たないんだから精々ムカついた時の腹いせでも食らえ!と嫌がらせをされるようになった。最終的にはそれが暴力にエスカレートしていた。
下駄箱で楽しそうにゴミや画びょうを咲子の靴に詰め込む姿も目撃されていた。「あいつは自業自得だからいいんだ」と笑っていたそうだ。
僕は記憶が一気に蘇った。あの重くて暗くて自分以外の全てを呪う時間を思い出した。咲子はあそこに居たんだ。なのに僕はそれを自業自得で片付けていたことを理解した。彼女も諦めずに抗っていたんだ。
咲子の遺書には僕の名前は書かれていなかったけれど、僕は日菜子たちと同じ考え方で同じ判断をして、それが出来たことを喜んでいた。
咲子の遺書には
「私は生きているだけで迷惑なゴミだからって、全部奪われた。みんなと楽しくしたかったけど、私には出来ない」
と書かれていた。
僕は自殺まで追い詰められたら、逆に相手を殺したっていいじゃないかと思っていた。殺すまではいかなくても大概なことまではやったっていいと思っていた。仕返しする側の人間、その認識が僕の強さの根底だった。
でも気が付いたら、僕も仕返しされる側の立位置だった。そんなつもりなんてなかったのに、僕は心底怖くなった。僕は恐怖から逃げるために何でもいいから理屈を考えることに必死だった。
そうやって振り返る中で、咲子がまき散らした迷惑の重さとイジメの結果の重さが釣り合っていないことに気付いた。自分の時もそうだったのだろうけど、今回も客観視する機会になって初めて気付く。
咲子は迷惑をかけていた。場を白けさせたり、疎ましかったりしていた。咲子が周りに嫌な想いをさせていたのは事実だ。でもその中で死にたいほど嫌な思いをしたやつはいたのか?自業自得という言葉に片付けられて、咲子は大きなワリを食わされていた。
相手に非があるからって何をしても良いわけじゃない。
キン!!大きな鋭い音が僕の頭を貫いて、世界が鮮明に見えた。何かを守れる気が一瞬したけど、やっぱり気のせいだと思った。
正義みたいな大義名分を持つなら妥当を越えない分別が必要だと思う。ついでに自分の都合や願望が紛れたりしていないか。
大義を集団が制御しきるのは更に難しい。もし誰かが踏み外したら、他のみんなもそれに引っ張られてしまう。
咲子はそうやって収集がつかなくなって、飲み込まれた。
これをしちゃいけないんだ。越えちゃいけないんだ。見失っちゃいけないんだ。僕は布団の中で繰り返していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます