第3話

3章(正しいこと)


僕はよく変なやつって言われることがあるけど、納得していない。だけど言い返せないこともあるんだ。それは時々、猫背の僕なのに背筋が良くなる日があるってこと。


それにはちゃんと理由がある。父さんが帰って来たんだ。




父さんの名前は歩上世慈(ほのぼりせいじ)。国際的に引っ張りだこで行列ができるアスリート用の義足技師だ。普段はお客さんのところで調整を完璧にするまで帰って来ないから、殆ど家にはいない。調整に拘って特別時間を使うスタイルだから、お客さんを店に呼べばいいと言われることが多いけど、それだと相手のことがよくわからないらしい。


そんな父さんはいつも正しく、強く、曲がらない、厳しい人だ。いつも僕に「やりたいことをやれ」と言うけど、僕はまだそのやり方がわからないし、それを父さんに聞くことができていない。


とにかく、そんな父さんが同じエリアの空の下に帰ってきたと思うと、それだけで僕は背筋が伸びてしまう。






学校で咲子の話題はあまり出なくなった。代わりの話題は来週開かれる全国陸上大会800M走の連覇を狙う康介だ。


康介は最近「練習は嘘をつかない」という言葉をキャッチフレーズにしていて、学校も「みんなの応援が必ず康介君を支える」とかやっていた。僕もその言葉には大いに同意する。世界で起こることには全て理由があって、結果は然るべく妥当なものになる。


恐ろしいことに、そんな妥当な感じで康介は全校を挙げて担がれるスーパーアイドルになっていった。僕とは康介の間には差が開いていく絶望的なシステムがあったけれど、もはや全く別の生き物だ。




そういえば前にコンビニで助けてもらったことのお礼を言えていない。礼を言うのは至極妥当なことだったから、妥当でないことをした僕を嫌っているはずだ。


と思っていたら、康介に肩をポンとされて「何か、前より柔らかくなったよな。良かった」って。疑う余地がないくらい良いやつだ。




全国大会まであと3日と迫った頃、僕は康介の練習を見に行くことにした。といっても部活の時間は応援の生徒がいっぱいだから、もう少し遅い時間。夜も康介が一人で自主練していることを僕は知っていた。


彼の力になりたいと思ったのは本当だけど、正直言うと何かできるとは思えていなくて、本音は輝いてる康介の近くに寄りたかっただけだったんだと思う。




暗いグラウンドの片隅で康介が倒れていた。僕は慌てて駆け寄った。「びょ、病院!救急車!!」とっさに叫んだ僕の足を康介が掴んで「ダメだ!!」って止められた。「へ・・・!?」予想外な展開に戸惑った。「頼む、絶対にやめてくれ。何も見なかったことにして帰れ」。康介はとにかく必死だった。


でも、顔色も青いし足の形も少し変な気がする。康介は放っておけと言っているけど、どう見たって大丈夫じゃない。下手したら死んじゃうんじゃないのか?


それを康介に聞いても「大丈夫だ」って答えるに決まってる。例え本当は死ぬことがわかってたとしても、そう答えるって確信できる迫力が伝わっている。


僕は無言で走り去り、救急車を呼んだ。




康介はオーバーワークで疲労骨折とそれからの筋断裂、さらにコンパートメント症候群って難しいやつの一歩手前だったらしい。そのまま大会出てたら数年歩けなくなってたらしいし、最悪は下肢切断もあったらしい。僕が救急車を呼んだことは噂になったけど、それを悪く言う人はいなかった。でも康介は学校に来なくなった。






後日、康介と町で偶然出会った。何て言ったらいいかわからなくて見つめていたら、康介もこちらに気付いた。その瞬間「お前さえいなければ!死んでも俺はやらなきゃいけなかったんだ!!」と掴みかかられた。


康介の欠場は僕がさせてしまったことだ。康介は「お前さえ」と言いながら、でも僕に向かって怒っている様には感じなかった。ただ途轍もない量の気持ちが津波の様で、僕は倒れてしまわない様に必死で立ってることしかできなかった。


殴られるかと思ったけど、康介はそのまま泣き崩れた。時折、何か言おうとするけど言葉にできない。


「こんなことお前に言える筋合いじゃないのは解かってるんだ。でも・・・」やっとそこまで絞り出して、また涙が溢れる。暫くして、地面を見つめたまま康介は話してくれた。




「うちさ、金がないんだわ。だから高校いけなくてさ。陸上やれなくなったら俺の全部が無くなっちまう」。


「親父がいつも褒めてくれたんだ、カッコイイぞって。それが嬉しくて、めちゃくちゃ走って、賞とったらまた喜んでくれて。そうしたら特待の話をもらえたんだ。まだ陸上できる!!って俺、めちゃくちゃ頑張れたよ」。


「それに頑張ってたらさ、学校でみんながスゲエ応援してくれるようになって。まぁ、あんなことの後だったからってのもあったんだろうけどな。嬉しかったよ。でも、あれだけ応援されたらやっぱ勝ってみんなに返さないといかんじゃん」。


「だから絶対優勝しなきゃだめだったんだ。あのまま大会に出たって勝てる訳ないと俺も思うよ。それでも勝たなきゃいけなかったし、何より俺は大会で走らなきゃいけなかったんだ。じゃやないとケジメがとれねぇんだ」。


「・・・・・・・・・勝手なこと言ってゴメン。でも俺は足が無くなっても走りたかったんだ」。




僕は康介を守るつもりで、康介の大切なものを圧し折り、酷く傷つけてしまっていた。僕はまた上手くやれなかった。少なくとも僕は康介より幸せでいてはならないと思った。






家に帰ると父さんがいた。正直、今世界で一番会いたくない人だ。父さんは僕の様を見て「ソファに座れ」と言って、僕に何があったのかを聞いてくれた。


父さんがこんなに時間を僕にくれることは初めてだった。いつも大事なことを最短でスッと差し込んで、またどこかへ行ってしまう人だった。だから僕は嬉しくて、自殺したかった頃の話から今日までの全部を父さんに話したんだ。




「そいつがどう考えようと、足を無くして幸せなやつはいないと俺は思う」。父さんが最初に言ったのはそれだった。




「知っての通り俺は子供の頃に事故で左足を無くしている。それでやってきたことで今は飯を食ってるわけだが、俺の人生の大きな枷になったのは事実だ。俺が最初にやりたいと自覚したことはその枷を外すことだった。体を失うっていうのはそういうことだし、命っていうのはもっと重い」。


「でもそれは俺が俺の人生を経験して感じている、俺の価値観だ。だから足を失ってでも走りたかったっていう康介って子を否定するつもりはない」。


「人生で大事なのは何をしたいかだ。それが何であるか、そのために何をしていけるか、どう向き合えているかで生きる価値は決まる」。


父さんは自分の左足を手を置いた。


「ただ、やりたいことを助けてやるばかりが相手にとって良いことだとも限らない。だから相手をよく知らなくちゃいけない」。




「そうやって、自分が決めろ」。


「そいつにとって何が一番いいことなのか。自分がそいつの為にやってあげたいと思えることをやれ」。




父さんはやっぱりとんでもない。伝えてくれたことが凄く大切なのはわかるけど、僕はどこまで意味がわかっているのだろう。




少なくとも僕は康介のことを何も知らずに関わっていた。選べない偶然だったかもしれないけど、僕が康介の運命を決めた。


僕はそれに相応しく在れたのだろうか。もしそれが出来ていたら康介も、僕も悔やまず前に進むことができていたかもしれない。父さんみたいに。




やるべきことをちゃんと出来るようにするために、相手を知ることの大切さを僕は知った。


キン!僕の中でまた何か音がして、世界が鮮明に見えた。見えているものの意味がわかるようになった気がして、なんだか少し優しくなれた気がした。




「おい、花太郎。今の何だ?」突然父さんが何かに反応した。僕は何か変なことしたか?ヤバい、怒られるのか?と狼狽えた。


「お前最近、なんか変な感覚を体験していないか?」いよいよさっぱり何のことだかわからない。取り敢えず何かやらかして怒られる感じじゃなさそうで安心した。


そういえば、確かに時々世界を鮮明に感じる時がある。今さっきもなったし、あれは最近まで感じたことが無い感覚だ。あれのことか?「もしかして・・・」僕は思い当たることを父さんに話した。「それはいつだ?全部教えろ」。




父さんは少し考えた後で「今から信じられないようなことを話す。でも多分お前の経験にも説明がつく話だ」と前置きした。


「信じるかどうかは任せるが、うちの家系は時々変なことが出来るやつが生まれる。実は俺やじいちゃんもそうだ。俺は微細な電気信号で人体と物体をリンクさせる能力があるらしい」。


「へ???」確かに突然信じられない話をされた。でもそれを父さんが言っている。父さんはドッキリを仕掛けてきたりしないし、嘘もつかない。混乱した僕は予想の範疇だったのかお構いなしに父さんは続ける。


「俺の義足が使いやすいと評判なのはそういうことだ。詳しくはよくわからんが、じいちゃんが俺の電気を充電?できる機械を用意してくれたから、それを使って他の人にも俺の義足を使ってもらえるようになった。充電が切れたら上手く動かなくなっちまうが、義足の耐久値もその頃に合わせてある」。


「俺にはその理解で十分だから、詳しいことはよくわからん。じいちゃんの方が詳しいからじいちゃんに聞くと良い。でも、多分お前の能力はお前の気付いたことを他の人間に共有する能力だと思う。ちゃんと自覚して理解した方がいいだろう」。






それ以上に自分にしてあげられることがなければ、自分は自分がやれるやるべきことをやる。父さんは僕を心配してくれているけど、いつもそんな考え方をする人だ。翌日、「何かあったら連絡しろ」と一声残して父さんはまた出かけた。

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