世界は僕を許すのか。僕は世界を許せるのか―Walker's Dream―
歩上花太郎
第1話
歩上花太郎(ほのぼりはなたろう)、それが僕の名前だ。これは僕の日記で、死にたくなかった記憶で、沢山の人を不幸にした記録で、諦めず前に進んだ記念だ。
全ての歪みはあの夜の音から始まった。
1章(捨てられない希望)
中学校の下駄箱、僕は一人でいた。
僕はみんなより要領が悪い。今日もちょっとした探し物をしていたら、教室に残っていたのは僕だけだった。机とロッカーと教室内を何回も往復して、トイレも見に行って、でも探し物は僕の制服のポケットの中から出て来た。
こんなことばかりしているから「気を付けろ」っていつも言われるけど、どこに気を付けたらいいのかが僕にはわからない。気付かないうちに通りすぎてしまうんだ。
子供の頃はそんなこと気にもせずに楽しくやれていた。でも段々と上手くできなくなってきて、僕はその解決ができないまま今日を過ごしている。
僕の靴にはくしゃくしゃに丸められた紙がいくつも押し込まれていた。それぞれに「クズ」「消えろ」「ボケ」色々書かれていた。書かれている言葉が幼稚であるほど屈辱的で、それが余計に僕を削った。確かに僕は要領が悪いけど、お前らほど頭が悪いわけじゃない。
「誰だ、こんなくだらないことしやがったのは」。独り言を吐いてみたけど、気が紛れるどころか余計に悔しさと怒りと情けなさに包まれた。僕は足枷でも着けているように重く歩きだした。
帰り道でコンビニに寄ったら、中からクラスメイトの下野が出て来た。下駄箱の「嫌がらせ」をやったかもしれないやつの一人だ。もっともコイツらにとっては「悪戯」なんだろうけど。
見た瞬間で機嫌が悪いのがわかった。うわっ、こっち来んな!って顔を僕がしていたから下野はこっちに来た気がする。
「てめぇ、今日のアレなんだよ」体育のサッカーで僕がオウンゴールしちゃった件だろう。僕は要領も悪ければ運動神経も悪い。球技は特に絶望的だ。まぁ、確かにオウンゴールは自分でも「なんだよ」だと思う.
だから「えっ・・・」って返しようがなくて困っているうちに足を思いっきり蹴られて、そのまま「グズがよー」って胸倉を掴まれた。
マズい。完全にリズムが追いついていない。思考がどんどん遅くなって下野と僕の差が拡がっていく。
2~3発やられそうって時に「やめとけって」って声がして、下野は舌打ちして止まった。
声をかけたのはクラスメイトの康介だった。康介は陸上800M走のエースで、明るくて、優しくて、前向きで、校内トップクラスの有名人で、人気者だ。カーストという言葉を使うなら疑う余地のない最上クラスで、そういった理由で誰であろうとコイツと揉めるのは覚悟がいる。勿論、実際に喧嘩をしても強いのだろう。
上手くできない僕は一緒にいる人に迷惑をかけるから、自業自得で敵が増えて、もっとやりにくくなる。逆に上手くやれる康介は皆に何かしてあげることができて、もっと人気者になることで、もっと色んなことが上手くやれるようになる。わかり易くて絶望的なシステムが僕と康介の間にある。
下野は鬱陶しそうに「消えろよてめぇ」と僕に吐き捨ててどこかへ行った。僕は助けられたことが悔しくて、ありがとうも言わずに立ち去った。なんで僕は上手くできないんだって、僕と他との差に苛立っていた。一人残された康介は戸惑った苦笑いをしてコンビニに入っていった。
周りの家より新しくてちょっと立派な家が僕の家だ。僕は家に庭なんて必要ないと思うけど、うちには来た人からはステキとよく言われる庭がある。庭なんて通路と変わらない。それより僕は自分のベッドに早く行きたい。
帰ったら母と祖母がテレビを見ていた。当時はまだよくわかっていなかったけど、今にして思えば母はマイペースなズレた人で、祖母は僕を溺愛して全てを誉めてくれるから体験の機会を奪う人だった。要はこの二人が要領の悪い僕の製造元だ。って言うと悪く言い過ぎなので訂正する。僕を大事に育ててくれた大切な人たちだ。
ちなみに父はアスリート向け人気義足技師で、納品と調整のためにほぼ家にいない。祖父は祖母と一緒に近くの別の家に住んでいるけど、まず出歩くことがない。だからか祖母は毎日うちに入り浸っている。母と気が合うのか、いつも本当の母娘みたいに、ていうか確実に本物より仲良しだ。
ばあちゃんが夕食できているから何時に食べるか聞いてきたけど、返事をすると気持ちが声に漏れ出てしまいそうだから、「あぁ」と小さくて声にならない声で誤魔化して、自分の部屋に逃げ込んだ。
今思えば、人を頼ればまだ何か違ったかもしれないけど、変に高いプライドがそれを許さなかった。頼れる人はいたのに、それを頼りたくない人とカテゴライズして蓋をしていた。当時の僕は自分の情けなさと向き合うことができなかった。
ベッドに救いを求めて辿り着いたけど、気分は最低から1mmもマシにならなかった。「上手くやれない自分の自業自得だ」そう言い聞かせるけど、何も楽にならない。どうやったら抜け出せるのかわからない僕の世界は暗くて狭くて色が無かった。
僕は表面張力で溢れそうなグラスみたいになっていた。もう限界だ。苦しくて溢れてしまいたかった。つまりは「死」という逃げ場だ。
勿論、死ぬのは怖い。本当に死んでいいのか覚悟がなかなか決まらない。でも死なないと決められないぐらいに終わりにしたかった。スッとやれば終わるイメージはできるけど、その通りに体を動かし始めることができなかった。僕は結局決めることができなくて、来週まで様子を見ることにした。
そうやって今日を取り敢えず先送りにできたけれど、多分来週は予定通りにやってくる予感があったから、せめて苦しまないやり方を探しとこうと思ってスマホを手に取った。
近くの町で同い年の生徒が自殺したニュースが届いていた。いじめた奴らを告発する遺書を残して自宅の裏庭で首を吊っていたのだそうだ。
「・・・・・これか」。僕は偶然にも自分の計画を外から見ることになった。
「バカじゃないの」出てきた言葉は自分でも意外だった。そしたらそれを皮切りにどんどん気持ちが溢れて来た。
なんで死ななきゃいけないんだ。今は苦しくて仕方ない。でも大人になったら楽しいことがあるかもしれないじゃないか。ステキな奥さんと結婚して、可愛い子供も生まれて、自分の好きなものに囲まれた家で暮らして、そんな希望や夢まで奪われて、なんで自分だけ終わらなきゃいけないんだ。
遺書で告発だってあり得ない。正直、僕も安易にそんな復讐を考えていた。でもその結果は自分の目で確認できないし、他人任せで不確実じゃないか。どうせなら・・・!!
自分の手で皆殺しにしてやればいい。
どのみち自分を殺すくらいなら、死ぬ気で殺しにいってやれば反撃されようが絶対いけるはずだ。その方が一人で死ぬよりずっとマシじゃないか。
そう思った瞬間にキン!という音がして、八方塞がりで狭く閉じられていた世界が解かれて「選べる」と思えるようになった。何でも出来ると思えた。なんだか世界が鮮明に見えるようになった気がした。
気付いたら、もう死のうっていう気は全く無くなっていた。
ニュースの自殺した生徒が自分の代わりに死んでくれたのだと思った。さっきはバカって罵ったけど、心の底からありがとうを言った。
翌朝、登校中にまた下野に会った。下野も昨日のニュースを見たのか、僕に向かって「お前“は”死ぬなよ」って言ったんだ。ニュースの子をバカにされた気がして腹が立ったのと、僕が自殺したら自分もヤバいってビビってたのが透けて見えた。
「大丈夫、死なない」と答えたら安心したのか、またいつもの調子で「ホントかよテメェー」って絡んできた。「自分を殺すくらいなら先にお前殺すから」とキッチリ目を見て言ってやった。下野は「はぁ!?」とキレた態度を見せたけど、バカじゃねぇの?って目で眺めてたらそのままどっかに行っちゃった。
でも流石に僕も殺したいわけじゃない。皆殺しは最低の一個手前だ。下野を一人殺すのもそのほんの少し手前だ。やつらの未来と一緒に僕の未来も捨てなきゃいけない。その点は自殺とそう変わらない。もうちょっと妥当な着地を探したい。僕は生きて楽しみたいんだ。
それから下野が僕に干渉してくることは無くなった。下野以外にも僕を攻撃して来た奴らは沢山いたけど、下野が何か伝えたのか、今思えばこの辺りから僕への干渉は減っていった。確かにあの日ばかりは本当に殺しそうな覚悟と勢いがあったから、その言葉にも凄みがあったのかもしれない。
とにかく僕は知らないうちにクラスで穏やかな孤独を手に入れることが出来ていたんだ。それに気付くのはもう少し後になるのだけれど、それを差し引いても、僕にとって世界は既に違うものになっていた。
――ただ、あの夜の音が”歪み”の始まりだったことにも、僕は気付いていなかった。
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