第4話 分け合うことの難しさ
三ヶ月が経った。
秋の風が畑を撫で、黄金色に実った穂が揺れている。
去年より背が高く、粒も大きい。
太陽の光を浴びて、麦の穂が輝いている。
子供たちが畑を駆け回り、笑い声が響く。
「見て見て! こんなに大きいよ!」
「わあ! ふわふわしてる!」
村の広場では、焼きたてのパンの匂いが漂っていた。
温かく、香ばしく、幸せの匂い。
老婆が麦の束を抱きしめて、静かに泣いていた。
「……生きられる。今年は、生きられる……」
その声は震え、涙が頬を伝う。
拡張術と種の選別、そして村人たちの努力の結果だった。
「……できた」
アレンは畑の中央に立ち、静かに呟いた。
収穫は予想を上回った。土壌改善の効果は想像以上で、去年の八割まで回復している。最悪の予測では五割を切ると思っていたから、これは奇跡に近い。
「アレン! 見て見て! こっちの区画もすごいよ!」
リシアが駆け寄ってくる。その手には、ずっしりとした麦の束。
「ほんとに……こんなの初めて見た」
エルナが涙を浮かべながら収穫を手伝っている。
「やったな、アレン」
バルトが力強く肩を叩いた。
「お前たちのおかげだ。俺たちだけじゃ、ここまでできなかった」
村人たちの顔には、久しぶりに笑顔が戻っていた。
収穫祭が開かれ、村の広場には集められた麦と根菜が山のように積まれた。去年の倍以上の量だ。
「これで冬を越せる……!」
「子供たちに、ちゃんとした食事を食べさせられる!」
喜びの声が響く。
ガレスが杖をついて立ち上がった。
「アレン、リシア。本当にありがとう。お前たちがいなければ、この村は今頃……」
「まだ終わっていません。これからが本番です」
アレンは冷静に答えた。
収穫は成功した。だが、問題はこれからだ。
――配分。
-----
◼︎配分会議
翌日。
アレンは村の集会場に足を踏み入れた瞬間、「今日は絶対に揉める」と確信した。
理由なんていくつも挙げられるが、まず人の表情が暗い。明るいのは窓から差し込む光だけで、肝心の住民たちは全員、顔に"足りないもの"を書き込んで座っている。
物資でも、体力でも、余裕でも……たぶん全部だ。
リシアだけは違った。彼女は緊張していても目の奥が澄んでいて、抱えている書類をぎゅっと胸に押し当てながら、前に進もうとする意志だけは誰より強かった。
「えっと……それでは、配分について意見を伺います」
リシアが切り出した瞬間。はい出ました、と言わんばかりに両手が上がる。同時に上がるあたり、協調性だけは一応あるらしい。
痩せた腕の中で赤ん坊を抱いた母親が叫ぶ。
「子どもに食べさせるパンがないんだよ!」
年老いた農夫が杖を突く。
「水が足りない! うちの畑は干上がりかけだ!」
若い狩猟隊の一人が拳を握る。
「俺たちは命がけで獲物を獲ってる。なのに配分は同じってのはおかしいだろ!」
三者三様……いや、十者十様の"正しさ"が飛び交う。全員が本気で困っているのは分かる。
ただ、その"自分の正当性"を主張する声が重なった瞬間、アレンの胸の奥で何かが刺さった。
――ああ、この空気だ。
-----
◼︎フラッシュバック
胸の奥がチリと焼ける。
視界の端が揺れる。
脳裏が急に白くなり、前世の会議室のざわめきが押し寄せてくる。
『それは君の準備不足じゃないの?』
『いやぁ、別に私の担当じゃないんだけどね……』
『まあ、責任を取ってもらうのが筋だろう』
重なる声。重なる視線。誰も助けない沈黙と、責任だけ押し付けられるあの感覚。
『アレン君、私は君の成長を期待しているんだよ。だからこそ、責任ある仕事はまだ早い。まずは私の補佐として経験を積みなさい』
上司の笑顔。だが、その裏には──
『もちろん、成果の管理は私がする。組織のルールだからね』
奪われた成果。何ヶ月もかけて作り上げた企画書が、上司の手柄になった。
『君の努力は認めているよ。でも、組織ってそういうものだから』
認めている? 認めているなら、なぜ奪う?
『不満なら辞めてもいいんだよ?』
冷たい視線。周囲の同僚たちは、誰も助けてくれなかった。むしろ、自分も同じように奪われないために、黙っていた。
努力は報われない。正しいことをしても、強い者が奪っていく。
呼吸が浅くなる。
人の声が、妙に遠い。
息が苦しい。ここは洞窟じゃないのに。
-----
◼︎倒れるアレン
「アレン……?」
隣からリシアが顔を覗き込む。彼女の瞳が揺れている。
アレンは返事をしようと口を開くが、出てきたのは呼吸とも声とも言えない空気だけだった。
世界が少し斜めに傾いた。机の角が視界の端で跳ね、次の瞬間には、リシアに抱えられるようにして座り込んでいた。
「みんな、ちょっと静かに! アレンが……!」
彼女の声が会議場を切り裂いた。意外にも、その一声で人々は口を閉じた。
普段からもっと言っていいのでは、とアレンは思ったが、状況的にそれを口にする余裕はなかった。
-----
◼︎リシアの説得
「アレンは、みんなのために動きすぎて倒れたんです!」
リシアは震える声で続けた。演説というより叫びに近かった。それが逆に、人の胸を打つ。
「誰も悪くない。足りないのも、本当に分かります」
リシアは深く息を吸った。
「でも、怒りをぶつけても食糧は増えないよ。今できるのは、みんなで最適な案を作ること」
その瞬間、後方の一人の中年男が、小さく手を挙げた。
「悪かったよ。俺……昨日、アレンが一晩倉庫にいたの、見た。水の計算してて……。あんな若いのに、俺らより働いてた」
ざわ……と空気が揺れる。
別の女性が続ける。
「私も見たよ。パン生地こねてた時、アレン、手が震えてて……何も言わずに手伝ってくれた」
三人目が言う。
「倉庫番に聞いたけど、配分を決めてるのはアレンで、不正なんてしてないって」
不満の声の主たちが、少しずつ視線を落としはじめた。
もちろん、全員ではない。
「……でも、足りないもんは足りねぇんだよ」という低い声も残る。
だが、その"抵抗"がむしろ場を落ち着かせた。完全な調和よりも、こういう"火種"がある方が現実的だ。
アレン本人は立ち上がれるほど元気ではないため反論しないが、内心では「正直その通りだ」と思っていた。
リシアは深く息を吸い、アレンの手をぎゅっと握った。
「足りないのは分かる。私だって、足りないって思う」
リシアの声には、わずかな震えがあった。
「でも、奪い合ったら終わる。だから――協力してほしい」
沈黙。
やがて、先ほどの"足りない"と言った男が、ゆっくりと頭を下げた。
「……すまねぇ。言いすぎた。俺だって、水が欲しいだけで……アレンを責めたいわけじゃなかった」
空気がほぐれ、村のあちこちで小さく「悪かった」と声が上がった。
リシアは泣きそうになりながら微笑む。
エルナが前に出た。
「私たちも手伝います。配分は、みんなで考えましょう」
バルトも拳を握った。
「そうだな。アレンだけに押し付けるのは間違ってた」
ガレスが杖をついて立ち上がった。
「家族の人数で均等に分ける。それが一番公平だろう。異論はあるか?」
誰も反対しなかった。
-----
◼︎目覚め
アレンは息を整えながら、やっと言葉を発した。
「俺は……大丈夫だよ。それより、リシアが……すごいよ。みんなをまとめられるのは……君だ」
「そんなこと……! 私は、ただ……」
リシアが否定しようとした瞬間、アレンは苦笑しながら付け加えた。
「俺は前に出るより、支える方が……性に合ってる。ただし――」
彼は息を整え、少しだけ強い声で言った。
「君を支えるのが"正しい選択"かどうかは……もう少し悩ませてほしい」
会議場に、かすかな笑いが漏れた。緊張の糸がほどけていく。
リシアは赤くなりながら、「そ、それは……悩んでくれていいけど!」と返す。
アレンは心の中で苦笑する。
(本当に悩むのは、君の方なんだけどね……)
リシアが隣で優しく笑った。
「でも、ここは違うよ。私がいる。みんながいる。奪い合うんじゃなくて、分け合う」
「……ああ」
「だから、安心して。あなたの努力は、ちゃんと報われるから」
アレンは、ほんの少しだけ笑った。
「お前、本当に……リーダーの才能あるな」
「えへへ。褒められた?」
「褒めてる」
「じゃあ、もっと褒めて!」
「調子に乗るな」
「もうっ!」
リシアが頬を膨らませる。だが、その笑顔は消えない。
アレンは窓の外を見た。秋の空は高く、雲が流れている。
――会議はまだ終わっていない。足りないものは山ほどある。
でも、今日ここで生まれた"少しの誠意"は、たぶんこの村にとって何よりの資源だ。
――まだ、終わっていない。これは、始まりに過ぎない。
だが、少なくとも今は──希望がある。
リシアが、そしてこの村が、希望を持ち続ける限り。
「さあ、行こう。まだやることは山ほどある」
「うん!」
ふたりは立ち上がり、村の未来へと歩き出した。
-----
◼︎その夜
その夜、アレンは自分の部屋で、天井を見つめていた。
窓の外からは虫の音が聞こえ、遠くで誰かが歩く足音が静かに響く。
(……三ヶ月、か)
この村に送り込まれてから、三ヶ月が経った。
最初は絶望しかなかった。痩せた土、劣化した種、争い合う村人たち。どこを見ても「終わり」しか見えなかった。
だが、今は違う。
拡張術で土は蘇り、種の選別で収穫は改善され、配分争いは対話で解決された。
村は、少しずつ変わり始めている。
(……それでも)
アレンは目を閉じた。
まだ終わっていない。課題は山積みだ。
収穫は成功した。
だが、蓄えは十分ではない。
どう分けても、冬の終わりには底をつく。
――だから次に必要なのは、新しい"食べ方"だ。
森の恵み、獣の肉、野草……
王国が教えない食糧を、自分たちで見つける。
(……眠らないと)
明日に備えて、体を休めなければ。
アレンはゆっくりと目を閉じた。
窓の外では、月が静かに村を照らしていた。
そして──次なる戦いが、始まろうとしていた。
-----
2025/11/26改稿
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます