第5話 それぞれの戦場へ

配分会議から三日後。


アレンは村の畑を見渡しながら、深く息をついた。


身体はまだ重い。昨日の疲労が抜けきっていない。


(……倒れた。みんなの前で)


自分の限界を、村人たちに見せてしまった。


恥ずかしさと、情けなさと、そして――


(一人じゃ、駄目なんだ)


その事実を、ようやく受け入れられた。


遠くから、村人たちの声が聞こえる。


会議の準備をしているのだろう。


声が重なる瞬間、胸が一瞬だけ締め付けられた。


(……あの時と、同じだ)


前世の会議室。責められ、追い詰められ、逃げた。


――違う。ここは違う。


あの時は、誰も助けてくれなかった。


だが、ここには――


息を整える。胸の奥で何かが軋む音がした気がしたが、それでも前を向く。


リシアがいる。バルトがいる。エルナがいる。


(一人じゃない)


「……俺一人じゃ、限界だな」


呟きは誰にも聞かれていないはずだったが、背後から声がした。


「そうだね。だから、みんなに任せるんだよ」


振り返ると、リシアが立っていた。


「いつからいた?」


「さっきから。あなた、考え事してる時は気配に鈍くなるよね」


「……気をつける」


リシアが隣に並ぶ。


「で、誰に何を任せるの?」


アレンは畑の向こうに目をやった。そこでは、エルナが子供たちに農作業を教えている。丁寧で、優しく、そして的確だった。


「エルナに、農業の統括を任せようと思ってる」


「いい考えだと思うよ。彼女、すごく真面目だし、村の人たちからも信頼されてる」


「ああ。それに……俺が全部やろうとするのは、間違ってた」


アレンは自嘲気味に笑った。


「前世でも同じだった。全部自分で抱え込んで、結局潰れた」


「でも、気づいたんでしょ? それなら大丈夫」


リシアが優しく肩を叩く。


その時、リシアの表情が少しだけ曇った。


視線が泳ぎ、言葉を探すように唇を噛む。


「……私も」


「ん?」


「私も、何かしたい」


リシアの声は、いつもより低かった。


「昨日、アレンが倒れたのが怖かった」


「……リシア」


「一人で背負いすぎて、倒れちゃうのが」


リシアは拳を握った。


「私、いつも笑ってるだけで……何もできてない気がして」


「そんなことない。お前の笑顔が――」


「それだけじゃ足りないの」


リシアの声が震えた。


「希望を示すだけじゃなくて、動きたい。支える側になりたい」


アレンは黙ってリシアを見た。


彼女の目には、確かな覚悟があった。


だが、その奥には不安もある。


「……分かった」


「本当?」


「ああ。お前の役割も、一緒に考えよう」


リシアの顔がぱっと明るくなった。


「うん! ありがとう、アレン!」


「じゃあ、明日の会議で発表しよう」


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◼︎農業方針会議


翌朝。


村の集会所に静かなざわめきが広がっていた。朝の冷たい空気が残る中、人々の表情には緊張と期待が入り混じっている。


アレンは前に立ち、深く息を吸った。


(……大丈夫だ。ここは違う)


「……まず、農耕班の責任者を決めようと思う。今回は、エルナに任せたい」


言葉が落ちた瞬間、空気がわずかに揺れた。


エルナは驚いたように目を瞬かせた。


「わ、私が……? そんな、大役を……」


その時、後ろから声が上がった。


「ちょっと待ってくれ。エルナは確かに真面目だが……農業の統括となると、もっと経験のある者が……」


中年の男の声だった。


空気が少し重くなる。


ガレスが杖をついて立ち上がった。


「確かに経験は大事だ。だが、今この村で畑を最も愛しているのはエルナだ」


「でも……」


「わしの孫が死んだ年、エルナは自分の食事を削って、わしに分けてくれた」


ガレスの声が震えた。


「経験は後からついてくる。だが、村を思う心は、誰にでも持てるものじゃない」


エルナは唇を噛み、涙を拭った。


しばらくの沈黙の後、小さく頷いた。


「……やります。子供たちのために。村のために」


その声には、震えと覚悟が混じっていた。


「頑張ります……!」


最後の"頑張ります"に村の人々から小さな拍手がこぼれ、張り詰めていた空気が緩んだ。


ただ、アレンとしては「そこは言い切ってほしかった」という気持ちがほんの少しあったのも事実だ。

## 農業の具体方針


次に、農耕の具体方針へ移る。


「まず、来年の作付けです」


エルナが緊張した面持ちで説明を始めた。


「今年は麦と根菜だけでしたが、来年は豆か野菜も試したいと思います」


「種はどうするんだ?」


村人の一人が質問した。


その時、集会所の扉が軋んだ。


風が吹き込み、誰かの書類が床に散った。


「あっ……」


リシアが慌てて拾いに行く。


些細な中断だったが、村人たちの緊張が一瞬だけほぐれた。


エルナが続ける。


「アレンさんが、都市部から種を手に入れる方法を考えてくれています」


アレンは頷いた。


「王国のルートは使えないが、密輸商人との接触を試みてる。成功すれば、豆や野菜の種が手に入る」


「密輸商人って……大丈夫なのか?」


「リスクはある。だが、このまま王国に依存していても未来はない」


アレンの冷徹な判断に、村人たちは黙った。


エルナが説明を続ける。


「次に、土壌管理です。輪作で土を長持ちさせます。畑をいくつかの区画に分けて、順番に違う作物を育てる――」


リシアが書記を務めながら、軽く眉をひそめた。


「ねぇアレン、これ……畑の場所、もう少しまとめられない? 分散しすぎてるよ」


「いや、モンスターの侵入経路を分けるためには、少し離す方が安全だ」


「なるほどね。……でも畑の移動で私、絶対足パンパンになるよ?」


「そこは我慢しよう。いや、ほんとに」


軽口を交わす二人を見て、村の空気がさらに落ち着いていく。


アレンは意図的に会話を挟んでいた。真面目な話が続くと、人は話の大事さを"理解する前に疲れてしまう"のだ。


とはいえ、リシアの軽口はときどき本気で話を脱線させるので、アレンとしては「助かってはいるが、もう少しだけ手加減を……」と思っていた。


「それから、堆肥づくりも強化します。森から落ち葉を集めて、家畜の糞と混ぜて、良い土を作ります」


エルナが続けた。


「森は危険だぞ」


「分かってます。だから、狩猟隊に護衛をお願いします」


その言葉に、会議場の後ろに立っていたバルトが頷いた。


「任せろ。俺たちが守る」


エルナは深く頭を下げた。


「ありがとうございます。皆さんの力を借りて、この村の農業を守りたいと思います」


拍手が起こった。


-----


◼︎バルトからの相談


話が一段落した頃、バルトが腕を組んだまま口を開く。


「……アレン。森の方、最近なんか変だ」


空気がわずかに冷たく沈んだ。


「影が妙に多いし、普段出ない獣の痕も見た。ちょっと嫌な気配だ」


アレンも同じことを感じていた。森の奥に、何か"違うもの"がいる。


「わかった。狩猟班は近いうちに偵察へ行く。無理はさせないけど……状況次第では踏み込む」


リシアが小声で囁く。


「ねぇ、本当に大丈夫なの? あの森、前より……暗いよ」


「……行くしかないさ。この村で生きると決めた以上は」


言ってしまってから、アレンは自分でも驚いた。今の言葉は、誰よりも"覚悟"を示していたのは自分だった。


バルトは真剣な顔で続けた。


「先手を打つ。こっちから狩りに行く」


「危険だな」


「分かってる。だが、待ってても状況は悪くなる一方だ」


バルトの目は真剣だった。


リシアが口を挟む。


「私も行く」


「リシア、お前は……」


「行くよ。私だって、村を守りたい」


アレンは少し考えてから、頷いた。


「……俺も行く」


「本気か?」


「ああ。拡張術が役に立つかもしれない」


バルトは驚いたような顔をしたが、すぐに笑った。


「頼もしいな。じゃあ、明日の朝、出発する。準備しといてくれ」


「分かった」


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◼︎会議の終わりと決意


会議が終わり、村人たちが散っていく。外に出れば、雲の切れ間から陽光がのぞき、土の匂いが優しく漂っていた。


エルナは胸に手を当て、そっと呟く。


「……よし。やるしかない、ね」


彼女の横顔には迷いと決意が同居している。アレンはその表情を横目に見ながら、小さく頷いた。


この村は、きっと変わる。いや、変えなければならない。


だがその前に──森の影が何かを企んでいる。静かな風の裏に潜む冷気が、次の一歩を急かしてくる。


-----


◼︎出発前夜


その夜。


アレンは自分の部屋で、武器の手入れをしていた。


簡素な短剣と、狩猟用の弓。


どちらも使い古されているが、これが村で手に入る最良の武器だった。


扉がノックされた。


「入って」


リシアが入ってくる。


「準備、してるんだ」


「ああ」


「……怖い?」


「怖い」


アレンは正直に答えた。


「でも、行かないといけない」


「……うん」


リシアは隣に座った。


「私も怖い。でも、アレンがいるから大丈夫」


「根拠のない自信だな」


「根拠はあるよ。だって、アレンは今まで全部何とかしてきたから」


「……保証はできない」


アレンは短剣を見つめた。


(本当は、自信なんてない)


(前世でも、結局何も守れなかった)


(それでも、逃げたくない)


「また反論してる」


リシアが笑う。


その時、扉がまたノックされた。


「アレン、いるか?」


バルトの声だ。


「入って」


バルトが険しい顔で入ってくる。


「さっき、もう一度森の様子を見てきた」


「どうだった?」


「足跡を見つけた。見たことない形の」


バルトが地面に指で描く。


三本爪、だが獣のものではない。


何か、別の――


「魔物か?」


「分からない。だが……」


バルトは言葉を選ぶように間を置いた。


「足跡の周りの空気が……息が重かった。説明できんが、嫌な気配だ」


バルトの顔が、わずかに強張っていた。


沈黙。


アレンの胸の奥で、何かが軋んだ。


(……この感覚)


前世の記憶が、薄く浮かぶ。


――会議室の空気。重く、息苦しく、逃げ場のない圧迫感。


――だが、それとは違う。もっと根源的な、何か――


「……明日、行くしかないな」


「ああ。俺たちが動かないと、村が危ない」


バルトは拳を握った。


「じゃあ、明日の朝。日が昇ったらすぐに出発する」


「分かった」


バルトが部屋を出ていく。

リシアが不安そうにアレンを見た。


「……大丈夫だよね?」


「分からない。でも、やるしかない」


アレンは短剣を鞘に収めた。


「早く寝よう。明日に備えて」


「……うん」


リシアが立ち上がる。


「おやすみ、アレン」


「ああ。おやすみ」


リシアが部屋を出ていく。


アレンは一人、窓の外を見た。


月が、静かに村を照らしている。


森は、暗く、静かに、そこにある。


何かが、待っている。


(……行くしかない)


アレンは深く息をついた。


この村を守る――みんなと一緒に。


もう一人では抱えない。


それが、俺の新しい役割だ。


月明かりが、静かに部屋を照らしていた。


-----


◼︎出発の朝


翌朝。


冷たい朝の空気が、村を包んでいた。


アレンは武器を身につけ、村の入口に向かった。


すでにバルトとリシアが待っている。


「おはよう、アレン。準備はいいか?」


「ああ」


エルナが、子供たちを連れて見送りに来ていた。


「気をつけて! 必ず帰ってきてください!」


「お姉ちゃん、お兄ちゃん、いってらっしゃい!」


リシアは笑顔で手を振り返した。


「行ってきます! 絶対、帰ってくるから!」


アレンは振り返って頷いた。


――必ず、帰ってくる。


一行が森へ向かおうとした、その時。


風が、逆に吹いた。


村から森へ。


いつもとは、逆の方向に。


アレンは立ち止まった。


(……何だ、今の)


バルトも同じように立ち止まっている。


「……気のせいか?」


「いや。俺も感じた」


リシアが不安そうに二人を見る。


「どうしたの?」


「……何でもない。行こう」


アレンは歩き出した。


だが、胸の奥の不安は消えなかった。


一行は森へと向かった。


静かな村を後にして。


物語は確実に前へ進んでいる。ゆっくりではあるが、確実に。


そして今、新たな戦いが始まる。


-----


2025/11/27改稿

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