始まりの中学校編

第1話 さよなら

風が心地いい。

なのに、胸の奥がやけに静かで、少しさびしい。

体が軽くなって、羽みたいにふわりと浮く感覚。

ゆっくりと、走馬灯のように記憶がよみがえる。


俺は、佐藤晃大。

藤本南部シニアの二塁手だ。


あの頃は、確かにちやほやされていた。

毎日が輝いていて、野球がすべてだった。

――でも、母がいなくなってからだ。

楽しみなんて、どこかへ消えた。


最後に笑ったのは、いつだっただろう。

泣いている自分の顔なら、もう見飽きた。


あの日、母は急に具合が悪くなって、何度も吐いていた。

人は、こんなにも一瞬で変わってしまうんだと、

そのとき初めて思い知った。


苦笑いを浮かべながら、俺はどこかで諦めていた。

――この人生に。


……?、


目を覚ますと、見慣れた天井があった。

自分の家だ。しかも、いつもの朝。


夢、だったのか?


勢いに任せて洗面所へ向かう。

ユニホームが、石鹸水につけられている。

昨日の汚れが、じんわりと滲んでいた。


……これ、俺のだよな。


そう言い聞かせながらユニホームを干し、

しばらく、ぼうっと立ち尽くす。


体が悲鳴を上げるまで練習して、

記憶がところどころ曖昧だ。

なんで今、あんな感覚を思い出したんだ?


わからない。


気づけば俺は庭に出ていた。

いつもの癖だ。


ボールを握り、壁に当てる。

それが毎日の日課。最低でも三十分。

素振りは……今日はチューブトレーニングにする。


これをやらないと、心が保てない。

やらない、という選択肢はなかった。


そのときだった。

視界の端で、何かが開いた。


――ウィンド?


思わず息をのむ。

同時に、腰がこれまでにないほど軽く伸びた感覚があった。




【ステータス】

佐藤 晃大

技術:58

筋力:30

知能:30


【能力値】

弾道:1

ミート:12

パワー:12

走力:12

肩力:12

守備力:12

捕球:12




……なんだよ、これ。


目の前に浮かぶステータスウィンドを見て、

一瞬、絶望しかけた。

けれど――


いや、違う。

これは、むしろ救いだ。


これを、モノにする。




あれから五日。

俺はステータスについて、少しずつ検証していた。


【デイリークエスト】

・素振り1000回

・壁当て30分


いつもと比べれば簡単な練習なのに、

ポイントが手に入る。

さらに負荷をかけると、獲得量も増えることがわかった。


今は12ポイント。

どこに振るか――。


ポイントを使えば、能力値を直接伸ばせるらしい。

技術が58で、筋力と知能が30。

この違いに意味はあるんだろうが、今は考えない。


……とりあえず、走力だ。




【通知】

走力が12上昇しました

走力:12 → 24(+12)




おお……。


足が、明らかに軽い。

こんなにもすぐ実感できるなんて。


シニアの練習に行く気は、まだ起きない。

それでも――

なぜか、少しだけ安心している自分がいた。

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