第16話:籠城戦(1)「武力」と「知力」の敗北



公認された侵入者


夕暮れの佐藤家の玄関。

美咲の母・美鈴(優しそうだが少し天然な女性)が、陽人、剛田、氷室、理沙の4人を笑顔で迎えている。

陽人は爽やかな「優等生スマイル」を浮かべている。

剛田と氷室は緊張気味。

理沙は猫被りモード。


時刻は16時30分。

放課後の佐藤家のチャイムが鳴った。


「はーい」


出てきたのは、私の母・佐藤美鈴だ。

母はドアを開けた瞬間、パァッと表情を明るくした。


「あら、陽人くん! 久しぶりねぇ~!」


「お久しぶりです、美鈴さん。……美咲が学校に来てなくて。プリントを届けに来ました」


間宮陽人が、担任教師すら騙した「聖人君子のスマイル」で挨拶する。

背後には、借りてきた猫のように大人しい剛田猛次と氷室慧吾、そして「記録係」として同行を許可された九条理沙が控えている。


「まあ、わざわざありがとう! 美咲ったら、昨日から部屋に引きこもっちゃって……。『探さないで』なんて張り紙までして、反抗期かしらねぇ」


母は困ったように笑い、そして陽人の手を取った。


「でも、陽人くんが来てくれたなら安心だわ。おばさん、これからパートだから、あの子のことお願いしてもいい?」


「はい、任せてください。……俺が責任を持って『説得』しますから」


「うふふ、頼もしいわぁ。昔から美咲のお兄ちゃん役だもんね。じゃあ、ジュース冷蔵庫にあるから適当に飲んでね~」


母は陽人を「一番安全な人物」だと信じ込み、笑顔で家を出て行った。

彼女は知らない。

自分が招き入れたのが、娘にとって「一番重たい監守」とその手下たちであることを。


バタン。

玄関のドアが閉まる。

その瞬間、陽人の表情から笑顔が消え、獲物を狩る猛獣の目に戻った。


「……よし。セキュリティ(母親)はクリアした。突入するぞ」


作戦名「天の岩戸」と知識格差


美咲の部屋の前(廊下)。

剛田、氷室、陽人、理沙が作戦会議をしている。

理沙がホワイトボード(携帯用)に作戦名を書く。

剛田はちんぷんかんぷんな顔、陽人は見当違いな納得顔、氷室は呆れ顔をしている。


2階、美咲の部屋の前。

そこには「立入禁止」「猛獣お断り」と書かれた紙がベタベタと貼られていた。


「……作戦名は『天の岩戸』だ」


理沙が静かに宣言した。


「なんだそれ? 新しいプロテインの名前か? 『岩のように硬い筋肉』的な?」


剛田が真顔で首を傾げる。


「……教養の欠如が著しいな」


氷室が深い溜息をつき、メガネを押し上げた。


「日本神話だ。太陽神アマテラスが岩戸に引きこもり、世界が闇に包まれた話だ。今の状況(美咲の失踪により俺たちの世界が暗い)と符合するだろう」


「あー、あれか! 知ってるぞ!」


陽人がポンと手を打った。


「『北風と太陽』的なやつだろ? 無理やりコートを脱がすか、暖かくして脱がすか、みたいな!」


「……ベクトルは似ているが、出典がイソップ童話だ。偏差値が知れるぞ」


氷室が冷たくツッコミを入れる。


「えっ、脱がす!?」


剛田が過剰反応した。


「わかった! つまり神話になぞらえて、俺が裸になって踊ればいいんだな!? 俺の肉体美で美咲をおびき出す、アメノウズメ役ってことだろ!?」


剛田がTシャツの裾に手をかけ、脱ごうとする。


「「「違う!!」」」


三人の声が重なった。

理沙はこめかみを押さえながら言った。


「……前途多難だね。とにかく、物理的な破壊は禁止だ。まずは『対話』で解錠を試みるんだ」


武力の暴走と拒絶


美咲の部屋(内側)。

ドアの前には学習机、ベッド、本棚が積み上げられ、完璧なバリケードが築かれている。

部屋の中央には、スーパーから買い占めた大量のスナック菓子タワーがある。

美咲はその中心で、ポテチを食べながら余裕の表情で漫画を読んでいる。

外側では剛田がドアを叩いている。


『ドンドンドン!!』


部屋のドアが激しく叩かれた。

剛田くんだ。

ノックというより打撃だ。


「美咲ィィィ!! 俺だ! 剛田だ!! 開けろ! 心配で夜も8時間しか寝れなかったぞ!」


「……うるさいなぁ」


私はポテチを齧りながら、冷めた目でドアを見た。

今の私の部屋は、難攻不落の要塞だ。

昨日、親の隙を見てリビングから略奪した大量の食料。

これだけあれば、一週間は余裕で籠城できる。


「いらない! 間に合ってます! 私はいま、一人の時間を満喫してるの!」


「強がるな! 声に覇気がないぞ! ……まさか、衰弱して動けないのか!?」


「はぁ?」


「待ってろ美咲! 今すぐ助けてやる!」


ガガガガッ! ドアノブが回され、蝶番が悲鳴を上げる音がした。


「おい剛田、何をしている!」(氷室)

「ドアを外す! ドライバー貸せ!」(剛田)


「ひぃっ!?」


私はポテチを落とした。

助ける? 違う、これは襲撃だ!


「やめて! 泥棒! 住居侵入だよ!」


「泥棒じゃねぇ! レスキューだ! そのバリケードも俺が粉砕してやる!」


本気だ。

この筋肉ダルマは、私の部屋を「被災地」と認定して、善意100%で破壊活動を行おうとしている。


「……いいかげんにしてよ!!」


私はドアに向かって叫んだ。


「剛田くんの『守る』は、圧力が強すぎるの! 私はお姫様でも遭難者でもない、ただの人間なの! 筋肉で窒息させないで!」


「……えっ?」


「剛田くんと一緒にいると、骨が折れそうなの! 心が休まらないの! ……怖いんだよ!!」


ドアの向こうで、暴れる音が止まった。

剛田くんの息遣いが聞こえる。


「……怖がらせてたのか、俺……。守りたかっただけなのに……」


「馬鹿者! それは救助ではなく制圧だ!」


陽人が剛田くんを羽交い締めにして引き剥がす音がした。

理沙の「野蛮すぎる。これでは求愛ではなく狩猟だね」という呆れた声が続く。


武力による制圧、失敗。

しかし、私の心臓は早鐘を打っていた。


知力の暴走と拒絶


美咲の部屋のドアノブ付近。

外側から氷室が聴診器を当てている。

その目は血走っており、マッドサイエンティストのよう。

陽人と理沙がドン引きして見ている。


静寂が訪れて数分後。

今度は、コソコソという気配がし始めた。


「……佐藤さん。聞こえているね」


氷室くんだ。


「剛田のような野蛮な行為はしない。僕は君の『安否』を確認したいだけだ」


「安否なら大丈夫です。ポテチ美味しいです」


「口頭報告だけでは信用性がない。……バイタルチェックを行う」


ドアに、冷たい何かが押し当てられる音がした。


「……聴診器?」


「静かに。呼吸音と心拍数を測定している。……ふむ、心拍数140。過度の興奮状態、あるいはパニック障害の初期症状か?」


「ひぃっ!?」


ドア越しに聴診器!? いや、待って。

ドアの下の隙間から、なんか細い管(ファイバースコープ?)が入ってこようとしてる!?


「視覚情報の遮断は、君の精神状態を悪化させる。僕が管理(モニタリング)することで、君の健康と安全を保障しよう。鎮静剤の投与ルートも検討中だ」


「やめて! 覗かないで! 聞かないで!」


私はタオルケットを頭から被り、叫んだ。


「私のプライバシーを解剖しないで! 私は実験動物じゃないの!」


「実験ではない! 最適化だ! 僕の管理下にあれば、君は二度と傷つかない!」


「その『管理』が私を傷つけてるの! 私はロボットじゃない! 無駄なことしたいし、ダラダラしたいし、不健康でいたいの! 私の『ダメな部分』を消さないで!」


「……ッ!?」


「完璧な私なんて、私じゃない! ……氷室くんのデータなんか大っ嫌い!」


ガタン、と何かが落ちる音がした。

氷室くんが膝をついた気配がする。


「……僕は……君自身を見ていなかったのか……? 理想の数値を愛していただけだと言うのか……?」


「お前マジで気持ち悪いぞ! それ犯罪スレスレだぞ!」


陽人が慌てて聴診器を取り上げる音がした。

理沙の「……ドン引きだ。私の実験ですら、もう少し倫理観があるよ」という冷たいツッコミが刺さる。


知力による侵入も、阻止された。


モンスターたちの敗北と、陽人の覚醒


佐藤家の廊下。

剛田は体育座りで落ち込み、氷室は壁に手をついて絶望している。

理沙は蔑むような目で二人を見ている。

陽人は、その光景を見て青ざめている。


廊下は、カオスだった。


「……俺の筋肉は、あいつを怖がらせてただけなのか……」


剛田が小さくなって震えている。


「……最適解だと思っていたものが、彼女のアイデンティティを否定していた……。計算ミスだ……」


氷室がブツブツと呟いている。


その様子を見ていた間宮陽人の背筋に、冷たいものが走った。


(……あいつら、イカれてる)


ドアを破壊しようとしたり、盗聴しようとしたり。

常軌を逸している。

でも。


(……待てよ? もしかして、美咲から見た『俺』も、こういう風に見えてたのか?)


『陽人の守るは、ただの拘束だよ!』


文化祭の夜、美咲が叫んだ言葉が蘇る。

俺は「幼馴染だから」「保護者だから」という免罪符を使って、あいつの自由を奪い、管理しようとしていた。

剛田の暴力や、氷室の狂気と、何が違う?


(俺も……あいつを追い詰めるモンスターの一匹だったんだ)


陽人は持っていたコンビニの袋を強く握りしめた。

中には、美咲の好きなプリンと、少し溶けかけたアイスが入っている。


「……理沙。あいつらはもうダメだ」


陽人は覚悟を決めた目で、ドアの前に立った。


「俺が行く。……保護者としてじゃねぇ。ただの『幼馴染』として」


静寂のノック


美咲の部屋。

バリケード(机)の上に乗ったまま、美咲が息を切らしている。

部屋の中は散らかり放題。

恐怖と疲労で座り込んでいる。


「……はぁ、はぁ……」


私は学習机の上で、荒い息を吐いていた。

撃退した。

でも、全然嬉しくない。


怖かった。

彼らの愛は、あまりにも大きすぎて、重すぎて、私を押しつぶそうとする。


「……もう、誰も来ないで」


膝を抱えたその時。

コン、コン。

と、控えめで、懐かしいノックの音がした。


「……美咲。起きてるか?」


陽人の声だった。

それは、さっきまでの二人とは違う、そしていつもの「説教臭い陽人」とも違う。

とても静かで、少し震えた、ただの男の子の声だった。


私のパニック観察日記。

今日は「籠城」の日。

愛という名の怪物を撃退した私の扉を、最後に叩いたのは、一番弱くて優しい音だった。

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