第17話:籠城戦(2)「感情」の訴えとドア越しの謝罪
幼馴染という名の「地下室」
美咲の部屋の前。
陽人がドアに額を押し付け、優しく語りかけている。
その手にはコンビニ袋。
剛田と氷室は少し離れて「あいつなら何とかするかも」と期待している。
理沙は腕を組んで観察している。
廊下の電気は薄暗く、陽人の影がドアに濃く落ちている。
「……美咲。俺だ、陽人だ」
優しく、懐かしい声がした。
私はバリケードの隙間から、ドアを見つめた。
剛田くんの暴力的なノックでも、氷室くんの不気味なピッキングでもない。
私が知っている、昔のままの陽人の声。
「怖かったよな。あいつら、デリカシーねぇから」
「……うん」
思わず返事をしてしまった。
陽人は「だよな」と笑う気配を見せた。
「プリン、買ってきたぞ。あと、お前が好きな『期間限定・焼き芋アイス』もな」
「……!」
私の心が揺らいだ。
あのアイスは、隣町のコンビニまで行かないと売っていないレア物だ。
私の好みを熟知している。
さすが幼馴染。
(陽人なら……話が通じるかも?)
私はバリケードを少し解こうと、学習机に手をかけた。
しかし、次の瞬間。陽人の声のトーンが、じっとりと湿度を帯びて変わった。
「なぁ、美咲。俺、考えたんだ」
「え?」
「お前が部屋から出たくないなら、出なくていい」
「……え?」
「俺がお前の手足になる。学校のノートも俺が取るし、食事も俺が運ぶ。下の世話だって、俺なら恥ずかしくないだろ? お前はただ、この部屋で息をしててくれればいいんだ」
ドアの下から、一枚の図面が差し込まれた。
それは、私の家の見取り図に、赤ペンで書き加えられた『改装計画書』だった。
重力崩壊(ドン引き)
廊下。
陽人が差し出した「図面」を、剛田と氷室が覗き込んで凍りついている。
図面には「俺の部屋から美咲の部屋への地下トンネル」「監視カメラ(見守り用)」「鉄格子(防犯用)」などが書き込まれている。
理沙ですら「うわぁ……」という顔で一歩引いている。
「なんだこれ……?」
剛田が横から図面を覗き込み、悲鳴を上げた。
「『陽人宅と美咲宅を繋ぐ地下通路』!? 『24時間見守りカメラ』!? 『鉄格子』!?」
氷室が青ざめてメガネを落としそうになった。
「異常だ……。これは保護ではない。完全なる『隔離飼育』の設計図だ。プライバシーという概念が欠落している」
陽人は恍惚とした表情でドアを撫でていた。
「安心しろ美咲。俺は学校も辞めて、フリーターになってお前を一生養う覚悟を決めた。俺の人生の全てをお前に捧げる。だから……」
彼はドアノブを、愛おしそうに、しかし強い力で握りしめた。
「一生、俺だけの籠の中(部屋)にいろよ」
「ひぃぃぃぃぃ!!!」
私は部屋の奥へ飛び退いた。
怖い! 剛田くんより氷室くんより、何倍も怖い! 物理的暴力でも論理的支配でもない、これは「人生ごとの心中」だ!
「お、おい間宮! さすがにそれは……!」
剛田が陽人の肩を掴む。
「離せ! 俺は美咲と一つになるんだ!」
「物理的に一つになろうとするな! 怖いよお前!」
「非合理的だ! 共倒れになる未来しか見えない!」
氷室も加勢して陽人を引き剥がす。
「……これはひどい」
理沙が心底嫌そうな顔で呟いた。
「剛田の暴力、氷室の狂気、そして陽人の『依存』……。見事なまでの地獄絵図(トリプルコンボ)だね」
陽人は二人に羽交い締めにされながら、「美咲ぃぃ! 俺の愛を受け取れぇぇ!」と叫び続けていた。
幼馴染という安全地帯は、一番深い沼だったのだ。
黒幕の敗北
廊下。
カオス状態の男子三人を見かねて、理沙が前に出る。
ドアに向かって冷静に語りかけるが、美咲の鋭い指摘を受け、痛いところを突かれた顔をする。
美咲は部屋の中で腕を組み、勝ち誇った顔をしている。
「……全員、下がれ」
理沙が冷徹な声で一喝した。
三人の男たちはビクッとして動きを止めた。
理沙はドアの前に立ち、コンコンと軽くノックした。
「美咲。私だ、九条だ」
「……帰って。理沙もグルなんでしょ」
「誤解だ。私は彼らの暴走を止めに来ただけだ。……見ての通り、彼らは君を愛するあまり理性を失っている。だが、根は悪い奴らじゃない」
理沙は、いつもの「もっともらしい論理」を展開し始めた。
「君がドアを開ければ、私が責任を持って彼らを制御しよう。新しい協定を結んでもいい。君の平穏な日常を、私がコーディネートしてあげるよ」
完璧な提案。
以前の私なら、泣きついてドアを開けていただろう。
でも、今の私は「籠城のプロ」だ。
「……嘘だ」
「何?」
「理沙、楽しんでるでしょ?」
ドアの向こうで、理沙の息が止まる気配がした。
「制御なんてする気ないくせに。彼らが暴走して、私がパニックになって、右往左往するのを……『面白いデータ』として観察したいだけでしょ!?」
「……っ」
「私がドアを開けたら、また新しい実験を始める気だ! 知ってるんだから! ……もう理沙のモルモットにはならない! 私はこの部屋で、一生ポテチ食べて暮らすのよ!」
「……」
理沙は数秒間沈黙した後、フッと自嘲気味に笑った。
「……やれやれ。被験者に実験の意図を見抜かれるとはね。研究者失格か」
理沙は肩をすくめ、男子たちに向かって首を振った。
「私の負けだ。彼女の猜疑心は、私の話術を超えている」
黒幕、陥落。
私の完全勝利だ。
祭りの後の静寂
廊下。
四人全員が策尽き、ドアの前に力なく座り込んでいる。
剛田は膝を抱え、氷室は天井を仰ぎ、陽人は燃え尽きている。
静寂。部屋の中の美咲も、ドアに背中を預けて座り込んでいる。
騒ぎが止んだ。
暴力も、論理も、重い愛も、策略も。
すべてが弾き返され、廊下には重苦しい沈黙だけが残った。
「……あーあ。嫌われちまったな」
剛田の、弱々しい声が響いた。
「……ああ。完全に拒絶された」
氷室の声にも、いつもの覇気がない。
「……俺、何言ってたんだろ。美咲を監禁とか……最低だ」
陽人が頭を抱えている。
私は部屋の中で、ドアに背中を預けて座り込んでいた。
勝ったはずなのに。
胸がチクリと痛む。
(……静かだ)
彼らの「武器」がすべて剥がれ落ちた後。
そこに残っていたのは、ただの「後悔」だった。
素顔の少年たち
剛田、氷室、陽人の表情。
格好つけず、飾らず、ただの高校生としての素顔。
彼らはドアに向かってではなく、独り言のようにポツリポツリと語り出す。
その言葉はドアの薄い板を通して、美咲の心に染み込んでいく。
「……俺さ」
剛田くんが、ポツリと言った。
「ただ、美咲に『すげぇ』って言われたかっただけなんだよな。……サッカーでゴール決めて、お前が喜んでくれたら、俺、兄貴にも勝てる気がして……。でも、お前を怖がらせてちゃ、意味ねぇよな」
「……僕もだ」
氷室くんが続いた。
「僕は、正解を出したかった。君という予測不能な存在を理解すれば、僕は完璧になれると思った。……だが、君の心を無視した計算式に、解などあるはずがなかったんだ」
「……俺は、怖かったんだ」
陽人の声が震えていた。
「3年前みたいに、また美咲が離れていくのが怖くて……。だから、鎖で繋いででも、側に置きたかった。……でも、それが一番、お前を苦しめてたんだな」
誰に向けたわけでもない、独白。
鎧を脱ぎ捨てた、彼らの等身大の本音。
(……なんだ)
私は膝に顔を埋めた。
彼らは、モンスターなんかじゃなかった。
ただ、自分のコンプレックスや不安を抱えて、不器用に空回りしていただけの、普通の男の子たちだったんだ。
「……ごめんな、美咲」
「すまなかった」
「……ごめん」
三人の謝罪が、重なった。
それは、協定書へのサインなんかよりずっと重く、そして温かい言葉だった。
葛藤と選択
美咲の部屋。美咲がバリケード(学習机)の前に立ち、ドアノブを見つめている。
手には食べかけのポテチ。
部屋は薄暗く、静まり返っている。
美咲の表情には迷いがある。
私は、バリケードの前に立ち尽くしていた。
(……このまま無視すれば、私は勝者だ)
一生、この部屋で平和に暮らせる。
怖い思いもしない。
ポテチも独り占めできる。
静かで、安全で、誰にも邪魔されない楽園。
でも。
(……本当にそれでいいの?)
私の胸に手を当てる。
静寂が、冷たい。
彼らの騒がしい声がなくなって、世界はこんなにも色がなかったっけ。
『ごめんな、美咲』
さっきの言葉がリフレインする。
あれは演技じゃない。
不器用で、独りよがりで、でも必死だった彼らの本音。
(……モンスターだと思ってたけど、ただのバカだったんだ)
バカで、愛すべき、私の友達(と呼んでいいのかな)。
私は深呼吸をした。
もう一度だけ、信じてみようか。
もしまた暴走したら、その時は……今度こそ地下トンネルを掘って逃げればいい。
私はゆっくりと、学習机を動かした。
停戦協定とドアの隙間
カチャリと鍵が開く音がして、三人が顔を上げる。
ドアが数センチだけ開き、チェーン越しに美咲の目が覗く。
廊下の三人は驚き、そして安堵の表情を浮かべる。
その背後、暗がりで理沙が誰にも見えないようにガッツポーズをしている。
静寂の中に、鍵が開く音が響いた。
「「「ッ!?」」」
三人が顔を上げる。
ドアが、数センチだけ開いた。 チェーンはかかったままだ。
その隙間から、私は彼らを見た。
やつれて、落ち込んで、まるで捨てられた子犬みたいな三人の顔。
「……プッ」
思わず、笑いが漏れた。
あんなに怖かった猛獣たちが、今はこんなに小さく見える。
「……条件、追加します」
私はドアの隙間から言った。
「え?」
「週休4日制。おやつは300円まで。あと……」
私は少しだけ顔を赤くして、告げた。
「……私のこと、トロフィーじゃなくて、『佐藤美咲』として見てくれること。……それなら、考えてあげます」
三人が顔を見合わせた。
そして、今日一番の、情けなくて、最高に嬉しそうな顔で笑った。
「……おう!!」
「了解した!」
「当たり前だ!」
その光景を、少し離れた物陰から見つめる影があった。
九条理沙だ。
彼女は三人に背を向け、誰にも見えない角度で、小さく、しかし力強くガッツポーズをした。
(……被験者たちの『感情による言語化不能な和解』。貴重なデータが取れた。……計画通りだ)
私のパニック観察日記。
今日は「和解」の日。
怖いモンスターたちが、ただの「愛すべきバカ」に変わった、記念すべき夜だった。
次の更新予定
凡人少女のパニック観察日記 〜天才友人の「合理的」な助言により、彼氏が3人になりました〜 トムさんとナナ @TomAndNana
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