第15話:緊急事態宣言・佐藤美咲の失踪



空白の24時間(振替休日)


画面分割(スプリットスクリーン)的な描写。 左:河川敷を無意味にダッシュしながらスマホを連打する剛田。 中:自室のPCモニター前で、腕を組みながらスマホの通信状況を解析している氷室。 右:薄暗い部屋の隅で、膝を抱えてスマホを見つめ、死んだような目をしている陽人。 三者三様の「音信不通へのパニック」


文化祭の翌日。

振替休日。

世間は平日だが、昨日の祭りの余韻が残る静かな月曜日。

しかし、三人の男たちにとって、それは「地獄の始まり」だった。


【剛田猛次サイド】

「くそっ! なんで既読がつかねぇんだ!」


剛田は河川敷を走っていた。

じっとしていられないからだ。


『美咲! 足痛くねぇか?』

『マッサージ行ってやるか?』

『なんで返事しねぇんだ!』


スタンプを連打するが、画面には「既読」の文字がつかない。


「まさか……昨日の今日で寝込んでんのか? 俺が連れ回したせいで……!」


彼は自分の太ももを殴りつけた。


【氷室慧吾サイド】


「非合理的だ」


氷室は自室で、複数のモニターに囲まれていた。


「サーバーの障害情報はなし。端末のGPS信号は自宅から動いていない。バッテリー切れの可能性も、経過時間からして低い」


彼はスマホのリロードボタンを、10秒に一回のペースで正確に押し続けていた。


「……なぜだ。僕の計算では、起床時間はとっくに過ぎている。……まさか、僕を『ブロック』という非可逆的な処理で排除したのか?」


カチカチカチ。クリック音が、焦燥のリズムを刻む。


【間宮陽人サイド】


「……嫌われた」


陽人は部屋の隅で、膝を抱えていた。

脳内でリフレインするのは、昨夜のキャンプファイヤー前で、美咲に手を振り払われた感触。


『陽人の守るは、ただの拘束だよ!』

「……俺、やりすぎたのか? 3年前みたいに、また……」


スマホの着信履歴は「発信:20回」。

これ以上かけるとストーカー認定される恐怖と、声を聞きたい欲求の間で、彼のメンタルは崩壊寸前だった。


ホラーな通知と籠城準備


夜の美咲の部屋。

真っ暗な中、美咲がベッドから起き上がる。

スマホの画面をつけると、ロック画面を埋め尽くす通知の山が青白く顔を照らす。

美咲は恐怖でスマホを布団に放り投げる。

その後、泥棒のような足取りでリビングへ降り、お菓子やカップ麺を抱えられるだけ抱えて階段を登る。


私が目を覚ましたのは、日が暮れてからだった。

昨日の疲れで、泥のように眠っていたのだ。


「……ふあぁ。今何時?」


枕元のスマホを手に取る。

画面をタップした瞬間、私は悲鳴を上げそうになった。


『剛田猛次:新着メッセージ58件』

『氷室慧吾:新着メッセージ32件』

『間宮陽人:不在着信24件』


「ヒッ……!!」


ホラーだ。

呪いのビデオより怖い。

画面を埋め尽くす彼らの名前が、「逃がさない」「どこだ」「答えろ」と叫んでいるように見える。


(……無理。これ見たら死ぬ。メンタルが死ぬ)


私はスマホを、汚いものでも触るかのように布団の奥へ放り投げた。

このまま学校に行けば、間違いなく彼らに捕まり、尋問され、またあの窒息しそうな日々に逆戻りだ。


「……逃げよう」


生存本能がそう告げた。

私は決意を固め、スマホを拾い上げると、九条理沙にだけメッセージを送った。

私が生き延びるための、唯一の条件(最後通牒)を。


送信完了。

そして、電源オフ。


「よし。次は兵糧だ」


私は抜き足差し足で、親が寝静まったリビングへ降りた。

キッチンの戸棚を開ける。

カップラーメン、ポテトチップス、チョコパイ、スポーツドリンク。

あるだけの食料を両腕に抱え込み、リスのように頬張って、自室へ逃げ帰った。


「……これで、しばらくは生き延びられる」


ドアに鍵をかける。

今日からここは、誰にも侵されない「絶対防衛圏」だ。


女王不在の教室


翌朝(登校日)の教室。

美咲の席だけがぽっかりと空いている。

その机を囲む三人の男子。

彼らは明らかにやつれており、殺気立っている。

クラスメイトたちは恐怖で誰も近づかない。


2年B組の教室には、お通夜のような空気が漂っていた。


廊下側の後ろから二番目。

いつもなら、私が猫背で座っているはずの席。

そこは、ぽっかりと空席になっていた。


「……来てねぇ」


剛田猛次が、私の机を握りしめて唸った。

目の下には濃いクマができている。


「連絡もつかない。電源が切られている」


間宮陽人が、虚ろな目でスマホを握りしめている。


「……自宅待機か。あるいは、失踪か」


氷室慧吾の声にも、いつもの覇気がない。


クラスメイトたちは、「あーあ、やっぱり爆発した」「そりゃ逃げるわ」とヒソヒソ話しながら、決して彼らには近づこうとしない。


女王(被害者)のいない教室で、残された三人の騎士(加害者)たちは、限界を迎えていた。


「……行くぞ。あの女なら何か知ってるはずだ」


三人は示し合わせたように、理科準備室へと走った。


交渉人からの最後通牒


理科準備室。理沙が封筒から一枚のルーズリーフを取り出す。男子三人がそれに食いつくように身を乗り出す。紙には美咲の具体的すぎる要求が書かれている。


「九条! 美咲はどこだ!?」


理科準備室に飛び込んだ三人に、理沙は涼しい顔でコーヒーを勧めた……わけもなく、冷ややかな視線を送った。


「騒々しいな。……まあ、来ると思っていたよ」


理沙は机の引き出しから、プリントアウトされた一枚の紙を取り出した。


「昨夜、美咲からメールが届いた。……君たちへの『最後通牒』だ」


「最後通牒……!?」


三人が息を呑む。 理沙はその紙を机に広げた。


【佐藤美咲の要求リスト】


休日に関する条約


土日は完全オフとすること。

デートは平日の放課後のみとし、休日は布団の中で動画を見る権利を侵害しないこと。


食料供給に関する規制


おにぎり、およびパンのサイズは「コンビニ規定サイズ」を厳守すること。

剛田くんの手作り爆弾おにぎり(1kg)は顎が外れるので禁止。


会話内容の制限


デート中の「因数分解」および「物理法則の解説」を禁止する。

空を見上げたら「青いね」とだけ言うこと。

「レイリー散乱」とか言わないこと。


プライバシーの保護


私のスマホのパスコードを勝手に解析しないこと。


「お母さん」みたいな小言(及び健康管理)を言わないこと。


読み終えた瞬間、静寂が流れた。


「……具体的だ」


氷室がポツリと呟いた。


「……みみっちい」


陽人が呆然と呟いた。


「……おにぎり、でかすぎたのか?」


剛田が自分の手をまじまじと見た。


シリアスな失踪劇かと思いきや、突きつけられたのは「生活レベルの愚痴」の羅列だった。

しかし、理沙は真顔で告げた。


「笑い事ではないぞ。これは彼女の『生存』に関わる切実な叫びだ。彼女のキャパシティは、君たちの過剰な愛(負荷)によって限界を迎えている。……これを受け入れられないなら、彼女は二度と君たちの前には現れないだろう」


「うっ……」


三人は押し黙った。

思い当たる節がありすぎるのだ。

剛田の規格外の施し、氷室の理屈っぽい会話、陽人の過干渉。

それらが美咲を追い詰めていたという事実を、このリストによって突きつけられた。


「……飲むしかねぇな」


剛田が拳を握りしめた。


「……論理的な要求だ。受諾する」


氷室が苦渋の決断をする。


「……わかったよ。あいつのプライバシー(聖域)を認めてやるのが、男の甲斐性か」


陽人が涙目で天井を仰ぐ。


「よし。では、この条件を呑むという誓約書を作成する。……サインしたまえ」


理沙が悪魔の契約書(パート2)を取り出した。


堕落の楽園


昼下がりの美咲の部屋。

カーテンが閉め切られ、薄暗い。

ベッドの上にはポテトチップスの袋(開封済み)、カップ麺の容器、漫画が散乱している。

美咲はジャージ姿で、布団にくるまりながらタブレットで動画を見ている。

表情は至福そのもの。

「フヒヒ」とだらしない笑い声を上げている。


私は自室という名の「絶対防衛圏」で、堕落の限りを尽くしていた。


「……んふふ、この猫動画ヤバい~」


ポテトチップスをバリバリと食べながら、ベッドの上でゴロゴロ転がる。

学校? 知らない。

私は今日、重篤な「やる気欠乏症」なのだ。


誰にも監視されない。

「これ食べろ」と詰め込まれることもない。

「効率が悪い」と怒られることもない。

「スカート短い」とチェックされることもない。


(最高……! 自由って素晴らしい!)


昨日の恐怖も、罪悪感も、ポテチの塩気と共に消え去った。

今の私にあるのは、圧倒的な解放感だけだ。


「……あー、喉乾いた。コーラ飲も」


私は布団から這い出し、ぬるくなったコーラをラッパ飲みした。

行儀が悪い? 知ったことか。

ここでは私がルールだ。


「……ふぅ。一生こうしていたい」


私は再び布団に潜り込んだ。

外の世界で、三人の男たちが必死の形相で反省し、私の家の前で待ち伏せしようと計画していることなど、微塵も知らずに。


私のパニック観察日記。

今日は「停戦」にして「堕落」の日。

平和とは、ポテチとコーラと二度寝でできていることを再確認した日だった。

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