第12話:文化祭準備・クラスTシャツ紛争



望まぬ栄光(生贄)


放課後の教室。

黒板にはチョークで大きく「文化祭実行委員 選出」と書かれている。

西日が差し込み、気だるげな空気が漂う中、担任教師が教卓で困った顔をしている。

生徒たちは誰も目を合わせようとせず、沈黙が支配している。

美咲は自分の気配を消すため、背中を丸めて教科書の陰に隠れている。


9月。

新学期とともにやってくる最大のイベント、文化祭。

その準備の第一歩は、「誰が貧乏くじ(実行委員)を引くか」というチキンレースから始まる。


「……おい、誰もいないのか? 立候補がなければ、くじ引きにするぞ」


担任の先生の声が虚しく響く。

クラス全体が「嫌だ」「面倒くさい」「受験勉強がある」という無言のオーラを出している。


もちろん、私もだ。

私の希望ポジションは「裏方C」。

あるいは「ダンボールを切る係」。

目立たず、責任を負わず、適当に作業してフェードアウトする。

それがモブとしての正しい文化祭の楽しみ方だ。


(お願い、誰かやって。目立ちたがり屋の陽キャグループ、今こそ出番だよ……!)


私は机にへばりつき、必死に念じた。

その時。 教室の空気を読まない、大声が轟いた。


「先生! 俺は推薦します!」


剛田猛次くんが、バッと手を挙げた。

嫌な予感しかしない。


「佐藤美咲がいいと思います!」


「……はえ?」


教室中の視線が私に突き刺さる。


「佐藤はな、俺たち猛獣……あーいや、個性的なメンバーをまとめる『統率力』がある! こいつならクラス全員をゴールへ導けるはずです!」


「ちょ、ちょっと剛田くん!?」


「同意する」


間髪入れずに、氷室慧吾くんがメガネを光らせて立ち上がった。


「彼女の危機管理能力(リスクヘッジ)と、マルチタスク処理能力は、カオスな文化祭運営において最適解だ。僕が補佐(サブ)としてデータの管理を行えば、効率は最大化される」


「俺も賛成だ!」


間宮陽人まで立ち上がった。


「美咲は昔から責任感が強いんだ。……それに、俺が全力でサポートするから、美咲に重荷は背負わせねぇ!」


三人が私を囲み、キラキラした目(と歪んだ信頼)を向けてくる。


「佐藤、どうだ? 彼らがここまで言うなら……」


先生が期待の眼差しを向ける。

クラスメイトたちが「助かった」「佐藤さんなら安心だ(あの3人を抑えられるし)」という空気で一斉に拍手を始めた。


パチパチパチパチ……!


逃げ場はない。

外堀も内堀も、完全に埋められた。


「あ……う、ぅ……」


私は引きつった笑顔で、小さく頷くしかなかった。

私の「裏方希望」というささやかな願いは、彼らの巨大すぎる「善意」によって圧殺された。


悪魔のコンサルティング・再


理科準備室。

美咲が理沙に泣きついている。

理沙はフラスコを振りながら、冷静に助言を与えている。

黒板には「分割統治(ディバイド・アンド・ルール)」と書かれている。


「無理ぃぃぃ! 理沙助けてぇぇ!」


実行委員になった直後、私は理科準備室へ駆け込んだ。


「私なんかがリーダーなんて無理! あの3人をまとめるなんて絶対できない! 胃に穴が開く!」


「落ち着きたまえ、新米リーダー」


理沙は優雅にコーヒーを啜った。


「君の悩みは、彼らの『エゴ』が強すぎて制御できないことだろう? ならば策は一つ。『分割統治(ディバイド・アンド・ルール)』だ」


「ぶんかつ……?」


「彼らに『特別な役職』を与えて、お互いを干渉させないように隔離しろ。男というのは『特別』や『隊長』という肩書きに弱い生き物だ」


理沙はニヤリと笑った。


「彼らの専門分野を刺激して、君の作業スペース(聖域)を確保するんだ。……さあ、実験開始だ」


キメラTシャツと要塞化


放課後の教室。

黒板の前に美咲が立ち、剛田、氷室、陽人がそれぞれの「役職」を与えられ、満足げにしている。

その横には、完成予想図として描かれた「キメラTシャツ」の絵が貼られている。

クラスメイトたちがドン引きしている。


教室に戻った私は、理沙の助言通りに動いた。


まずは、揉めに揉めていた「クラスTシャツのデザイン」だ。

剛田くんの「虎」、氷室くんの「フラクタル図形」、陽人の「マスコットキャラ」。

これらを統合(コラージュ)する。


「……完成しました」


私が提示したのは、「無数の数式で描かれた虎が、美少女キャラを守りながら咆哮している」という、地獄のようなキメラデザインだった。


クラス中が静まり返る。

しかし。


「おお! 俺の虎の魂が生きてる!」(剛田)

「美しい……数式が生物的な躍動感を生んでいる」(氷室)

「美咲(キャラ)が守られてる! 完璧だ!」(陽人)


彼らは満足した。チョロい。


次に、役割分担だ。


「剛田くんは『施工隊長』! 力仕事の全権を任せるね!」

「おう! 任せろ! 釘を使わずに組み上げてやる!」


「氷室くんは『作戦参謀』! スケジュール管理をお願い!」

「了解した。分刻みのガントチャートを作成し、リソースを最適化する」


「陽人は『保安官(セキュリティ)』! 安全管理の責任者ね!」

「よし! 美咲に指一本触れさせねぇぞ!」


理沙の言う通りだ。

彼らは「肩書き」を与えられた途端、それぞれの持ち場へ散っていった。

これで平和に作業ができる……はずだった。


完全管理社会と孤独な王


文化祭準備中の教室。

ダンボールやペンキが置かれ、生徒たちが工場のライン作業のようにキビキビと動いている。

氷室が司令塔として指示を飛ばし、剛田が男子たちを率いて建設し、陽人が目を光らせている。

その中で、美咲だけが手持ち無沙汰で立ち尽くしている。


「B班、塗装作業の遅れが15秒発生している。リソースを2名追加投入せよ」

「了解!」


「C班、資材搬入急げ! 剛田隊長がお待ちだ!」

「イエス・サー!」


教室は、戦場のような熱気と、精密機械のような規律に包まれていた。

作戦参謀・氷室慧吾の完璧な工程管理により、クラスメイト全員が歯車として機能している。

誰もサボっていない。

誰も無駄口を叩かない。


「……す、すごい」


圧倒されている場合じゃない。

私も手伝わなきゃ。

私は近くにあったダンボールの束を持とうとした。


「あ、委員長! それ僕が運びます!」


男子生徒が飛んできて、ダンボールを奪い取った。


「えっ、でも重いし……」


「氷室くんの工程表だと、ここの運搬は僕の担当なんで! 委員長がやると計算が狂っちゃうんで、どいててください!」


「あ、はい……ごめんなさい」


邪魔者扱いされた。

気を取り直して、カッターで作業しようとすると――


「ストップ!!」


保安官・間宮陽人がスライディングで飛んできた。

そして、私の手からカッターをひったくった。


「危ねぇだろ! 美咲に刃物なんて持たせられるか! 指切ったらどうすんだ!」


「でも、みんな働いてるのに私だけ……」


「保安官命令だ! お前は安全な場所で座ってろ! それが一番の貢献だ!」


何もさせてもらえない。

私は剛田くんの方を見た。

彼なら力仕事を手伝わせてくれるかも。


「おい美咲! 近づくな!」


施工隊長・剛田猛次が、丸太のような木材を担ぎながら叫んだ。

彼の周りには男子たちがバリケードを作っている。


「ここは危険区域だ! 木屑が目に入ったらどうする! お前は高みの見物してろ!」


「……」


私は教室の真ん中で、何も持たずに立ち尽くした。

周りでは、クラスメイトたちが生き生きと働いている。


「氷室くんの指示、的確すぎ!」

「剛田くんの要塞すげー!」

「間宮くんが差し入れくれた!」


彼らは私のことなんて見ていない。

いや、見ているけれど、「そこにいて何もしないこと」を望んでいる。


(……私、いらなくない?)


実行委員長という肩書きがついているだけで、私はこの空間の「異物(バグ)」だ。

彼らは私を「助けている」つもりなんだろう。

でも、その完璧すぎるシステムが、私から役割と居場所を奪い去っていた。


悪魔のエスパー発言


再び理科準備室。

美咲が不満げな顔で理沙に訴えている。

理沙はパソコンの画面を見ながら、ニヤニヤしている。


「理沙ぁ……」


私は再び理科準備室へ戻った。


「うまくいってるけど……なんか違うの! 私、蚊帳の外っていうか、お飾りっていうか……余計に居場所がなくなった気がする!」


理沙はパソコンの画面から目を離さず、淡々と言った。


「データ上は成功だ。進捗率は120%。クラスの士気も高い。君は『君臨すれども統治せず』の王道を歩んでいる。組織運営としては理想形だよ」


「あってるけど……! でも、なんかモヤモヤするの! みんな働いてるのに私だけ……」


私は食い下がった。

寂しいとか、虚しいとか、うまく言葉にできないけれど、胸の奥が重いのだ。


すると、理沙はくるりと椅子を回転させ、私を見た。

その口元には、意地の悪い笑みが浮かんでいた。


「美咲。……私はエスパーではないのだよ?」


「え?」


「『データ上は成功しているが、感情的に満たされない』……そんな言語化できない案件(バグ)は、私には処理できない」


理沙はフッと鼻で笑い、また画面に向き直った。


「そのモヤモヤの正体は、君のナイト達に直接言ってくれ。……まあ、言えないからここに来たんだろうけどね」


「うっ……」


図星だった。

彼らは私のためにやってくれている。

善意100%だ。

「私にもやらせて」なんて言えば、「無理するな」「危ない」「効率が落ちる」と却下されるのは目に見えている。

相談相手だった理沙に突き放され、私は完全に逃げ場を失った。


夕暮れの孤独


夕暮れの廊下。

準備が終わり、生徒たちが帰った後の静かな校舎。

美咲が一人でゴミ袋を持って歩いている。

窓から見えるグラウンドでは、運動部が掛け声を出している。

美咲の表情は暗く、疲れ切っている。


「……はぁ」


理沙の部屋を出て、私は一人でゴミ捨てに向かっていた。

これくらいしか、私にできる仕事がなかったからだ。


ゴミ袋はずっしりと重い。

でも、その重さが逆に心地よかった。

「私がやった」という実感が持てるから。


『美咲は座ってていいぞ』

『君は判断だけしていればいい』

『俺たちが全部やってやるから』


彼らの言葉が、頭の中でリフレインする。

優しい言葉のはずなのに。

愛されている証拠のはずなのに。


どうしてこんなに、息苦しいんだろう。


「……私、お飾りじゃないもん」


誰に言うでもなく、呟いた。

自分の意志で動きたい。

失敗してもいいから、自分の手で何かを作りたい。

でも、今の「最強の布陣」の中に、凡人の私が入り込む隙間なんて、1ミリもなかった。


「……疲れたな」


私は窓枠に額を押し付けた。

ひんやりとしたガラスの感触だけが、熱を持った頭を冷やしてくれた。


私のパニック観察日記。

今日は「主権喪失」の日。

彼らの愛と才能が、私の「存在意義」を塗りつぶしていく。

そのことに気づいてしまった、少し寂しい夕暮れだった。

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