第13話:文化祭当日・過密スケジュールの破綻



虚像の英雄と無責任な称賛


文化祭当日の朝、ホームルーム。

黒板には「祝・文化祭開催!」の文字。

担任教師が教卓で満足げに頷いている。

クラスメイトたちは「キメラTシャツ」を着て(一部はアレンジして)盛り上がっている。

美咲は席で縮こまっているが、周囲からの拍手に包まれ、顔を引きつらせている。


「えー、皆よくやった! 特に準備期間中、大きなトラブルがゼロだったのは奇跡に近い!」


担任の先生の声が、朝の教室に響き渡る。


「これも全て、実行委員長の佐藤の手腕だ! あの個性的な……いや、強力なメンバーをまとめ上げ、完璧な進行管理を行ったリーダーシップ! 先生は感動したぞ!」


「委員長、マジ神!」

「佐藤さんのおかげで俺ら充実してたわー」

「当日も全部任せた!」


クラスメイトたちが口笛を吹き、拍手を送る。


(ち、違います……! 私は何もしてないんです……ただ座らされてただけなんです……!)


私は心の中で叫んだ。

トラブルがゼロだったのは、氷室くんが分刻みで管理し、剛田くんが力技で解決し、陽人が過保護に監視していたからだ。

私はただ、彼らが作り上げた「完璧なシステム」の上に置かれた、お飾りの人形に過ぎない。


「当然だ。俺が見込んだ女だからな!」


剛田猛次くんが、我が事のように胸を張る。


「僕のサポートを完璧に運用した結果だ。彼女の『何もしない』という判断こそが、現場の混乱を防いだ」


氷室慧吾くんが、謎の理論で肯定する。


「美咲は昔からやればできる子なんだよ。……まあ、俺が支えてやったけどな」


間宮陽人が、保護者面で頷く。


彼らは気づいていない。

自分たちの「有能さ」が、私をどれだけ追い詰めているかに。


「よし、佐藤! 今日一日、来客対応からトラブル処理まで、現場の指揮はお前に一任する! 期待してるぞ!」


先生が私の肩をバンと叩いた。

クラス全員の「頼んだぞ(俺たちは遊ぶけど)」という視線が突き刺さる。


「あ……は、はい……がんばります……」


逃げ場はない。

分不相応な評価と、巨大すぎる責任。

私の胃袋は、開会宣言の前からキリキリと悲鳴を上げていた。


殺人スケジュール


体育館裏の静かな場所。

美咲がスマホのスケジュールアプリを見ている。

画面には分刻みで「剛田試合」「氷室発表」「陽人劇」の予定が隙間なく埋め込まれている。

美咲の顔に縦線が入る(絶望)。

背後から三人がそれぞれの衣装(ユニフォーム、白衣、執事服)で現れ、プレッシャーをかける。


少しだけ休憩しようと体育館裏へ逃げ込んだ私を、GPSでもついているのか、三人が捕捉した。


「美咲! ここにいたか!」


現れたのは、ユニフォーム姿の剛田くん、白衣の氷室くん、そしてクラスの出し物(執事喫茶)の衣装を着た陽人だ。

三人とも、主役のオーラで輝いている。

眩しい。


「確認だ。俺の招待試合は10時30分キックオフだ。最前列を確保しておけよ!」


剛田くんが鼻息荒く迫る。


「その後、11時15分から理科室で僕の研究発表がある。君の行動ログに基づいた『恋愛感情の数値化』についての論文だ。最前列で聴講し、感想を提出したまえ」


氷室くんがタブレットを突きつける。


「12時からは俺のクラスの劇だぞ! 主役の俺が姫(男役)を助けるシーン、絶対見逃すなよ! ……あ、差し入れは手作りクッキーな」


陽人がウィンクする。


(……えっと)


私は手元のスケジュール帳を見た。


10:30~11:10 剛田くんの試合


11:15~11:45 氷室くんの発表


12:00~13:00 陽人の劇


その合間に、実行委員の見回り、ゴミ回収、トラブル対応……。


「……あの、移動時間とか、お昼ご飯の時間がないんですけど……」


「甘えるな! 俺たちはこの日のために仕上げてきたんだぞ!」

「移動は走れば解決する。食事はゼリー飲料で効率化しろ」

「俺の晴れ姿、一番に見てもらいたいんだよ。……約束だぞ?」


三人の熱視線。

そこにあるのは「美咲に見てもらいたい」という純粋な好意だ。

悪意なんて1ミリもない。

だからこそ、断れない。


「……う、うん。わかった。全部行くね」


私は引きつった笑顔で頷いた。

それが、自分の首を絞める契約だとは知りながら。


限界の塩対応


校内の廊下。

人混みの中、美咲がインカムをつけ、バインダーを持って必死の形相で走っている。

髪は振り乱れ、目は血走っている。

そこへ、以前美咲を呼び出したファンクラブの幹部たち(葛城、西園寺、橘)が次々と声をかけるが、美咲は立ち止まることすらしない。


私の文化祭は、「祭り」ではなく「戦場」だった。


「委員長! 模擬店の電気が飛びました!」

「了解! 総務に連絡して!」


「佐藤先輩! 迷子が泣き止みません!」

「職員室からアメ玉持ってきて!」


次々と入るトラブル報告。

私は校舎内を走り回りながら、剛田くんの試合会場へ向かっていた。

もう時間がない。

遅れたら殺される(拗ねられる)。


「あ! ちょっと佐藤さん!」


行く手を阻んだのは、剛田ファンクラブ代表の葛城莉緒さんだ。


「猛次くんの試合、何分から!? 場所どこ!?」


以前の私なら、土下座して丁寧に案内していただろう。

でも今の私は、脳内CPUの使用率が100%を超えている。


「あー、多分そのへん! グラウンドのどっか! 人多いとこ!」


「はぁ!? 雑すぎない!?」


私は彼女を置き去りにして走り抜けた。

次は階段の踊り場で、氷室ファンクラブの西園寺麗華さんが待ち構えていた。


「ごきげんよう佐藤さん。氷室様への特製ハーブティーを差し入れしたいのですけれど……」


「そこ置いといて! 後でまとめて納品するから! 検品しとく!」


「の、納品!? わたくしの愛を物流扱い!?」


最後に、陽人親衛隊の橘優奈さんが、上目遣いで現れた。


「ねえねえ美咲ちゃん。さっき陽人くん、私のこと見てたよね? 目合ったよね?」


「見てた見てた! 超見てたよ! 穴が開くほど見てた!」


「ほんと!? ……って、絶対見てないよねその目!」


彼女たちの戸惑う声を背に、私は走り続けた。

ごめんなさい。

今の私には、あなたたちの乙女心に付き合っている余裕なんて、1バイトも残っていないの。


グランド・クロス(死のロード)


美咲の視点は揺れ、視界の端が黒く滲んでいる(疲労)。


地獄のスタンプラリーが始まった。


【STAGE 1:炎天下のグラウンド】


「うぉぉぉぉ! 美咲ぃぃぃ! 見てろぉぉぉ!」


剛田くんが咆哮と共にシュートを決めた。

観客が沸く。 彼は観客席の私をビシッと指差した。


「お前のために決めたぜ!!」


(す、すごいね剛田くん……! でも私、今、脱水症状で指先が痺れてるの……!)


私は震える手でサムズアップを返した。


【STAGE 2:密室の理科室】


「……以上の計算式より、このグラフが導き出される」


氷室くんが指示棒で黒板を叩く。

内容はチンプンカンプンだ。

でも、彼はチラチラと私を見て、「理解しているね?」とアイコンタクトを送ってくる。


(すごいね氷室くん……! でも私、今、低血糖で視界が白黒に見えてるの……!)


私は白目を剥きそうになりながら、首がもげるほど頷いた。


【STAGE 3:熱狂の体育館】


「愛している! 世界の誰よりも!」


陽人が舞台上で叫ぶ。

執事役が似合いすぎて黄色い声援が飛ぶ。

彼は客席の私を見つけ、バチコーンとウィンクを飛ばした。


(すごいね陽人……! でも私、今、立っているだけで精一杯なの……!)


私は立ち見の最後列で、棒になった足をさすりながら、幽霊のように死んだ目でペンライトを振り返した。


移動。

移動。

また移動。

彼らは輝いている。

主役だ。

ヒーローだ。

私は?

私はただ、彼らが気持ちよく輝くための「観客A」という役を与えられた、舞台装置の一部なんじゃないか。


空虚な称賛と限界突破


夕方、校舎裏のベンチ。

全てのスケジュールをこなし、ボロボロになった美咲が座り込んでいる。

そこへ、出し物を終えた三人が興奮状態で集まってくる。

彼らは達成感に満ち溢れているが、美咲の顔色の悪さには気づいていない。


全ての「任務」を終え、私は校舎裏のベンチに崩れ落ちていた。

足の感覚がない。

喉がカラカラだ。

世界が回っている。


「美咲ー!」


三人がやってきた。

汗を拭い、達成感に満ち溢れたキラキラした笑顔で。


「見たか俺のゴール! あれはお前への愛のパスだぜ!」

「僕の発表はどうだった? 君という特異点の重要性を証明できたはずだ」

「俺の演技、惚れ直しただろ? 最後のセリフ、お前に向けて言ったんだぜ」


彼らは私の周りを囲み、口々に自分の成果を誇る。


「どうだった?」

「すごかっただろ?」

「褒めてくれ」


彼らの目は、私を見ているようで、見ていない。

私の瞳に映る「かっこいい自分」を見ているだけだ。


「……うん、すごかったよ」


私の口から、乾いた音が出た。

カサカサの、中身のない言葉。


「みんな、本当にかっこよかった。……私、感動しちゃった」


「だろ!? やっぱ俺が一番だろ!」

「何を言う。客観的評価では僕が優勢だ」

「いやいや、美咲の反応を見れば俺の勝ちだろ」


また始まった。

私の感想などどうでもよくて、彼らは私の言葉を「自分の得点」として奪い合っている。


(……あ、れ?)


胸の奥で、何かが冷えていくのを感じた。

プツン、と細い糸が切れるような音。


私は、彼らのことが好きだったはずだ。

剛田くんの真っ直ぐさも、氷室くんの不器用さも、陽人の優しさも。

でも今は。


(……うるさいな)


彼らの声が、ただのノイズに聞こえる。

私の疲れも、痛みも、空腹も、何も気づかずに笑っている彼らが、ひどく遠い存在に思える。


「……ねえ、みんな」


私は声を絞り出した。


「私、もう……」


「おっと、次はフォークダンスだぞ!」


剛田くんが私の言葉を遮り、私の腕を引いた。


「実行委員長の挨拶があるだろ? 行くぞ美咲!」


「えっ……」


「最後の仕上げだ。最高のフィナーレにしようぜ!」


有無を言わさず、私は立ち上がらされた。

限界を迎えた足が悲鳴を上げる。

でも、彼らは気づかない。

彼らにとって、私は「一緒に踊るヒロイン」であり、「疲れた人間」ではないからだ。


引きずられるように歩き出す私。

その背中に、遠くから理沙の冷ややかな視線が突き刺さっているような気がした。


私のパニック観察日記。

今日は「限界突破」の日。

そして、私が「主役たちの物語」から、降りたいと願ってしまった日。

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