【第33話】 湯気と笑いと、帰る場所、あるいは「風呂は文明である」
(視点:ドワルガ)
「――文明とは、湯だ」
私は琥珀色の液体(高級ウイスキー)を揺らしながら、重々しく宣言した。 氷がカランと音を立て、芳醇な香りが鼻孔をくすぐる。
「……ねぇドワちゃん。開口一番それ? 詩人にケンカ売ってる?」
目の前で呆れ顔をしているのは、吟遊詩人にして影ギルドの長、セリナだ。 今夜も私の部屋に忍び込み、ソファを独占している。 ドレスの裾が乱れ、艶めかしい太腿が露わになっているが、本人は気にする様子もない。
机の上には、北の領地から届いた分厚い報告書と、空になった酒瓶が一本。
「事実だもの。 戦も、貧困も、差別も。 ひとまず温かい湯に肩まで浸かれば、だいたいのことは『まぁいいか』になる。 裸になって、同じ温度を共有する。それが文明の極致よ」
「はいはい、深いねぇ。 で? その文明の極致で起きたっていう**『徹夜風呂パーティ事件』**の真相は?」
セリナがニヤニヤしながら報告書を指差す。 そこには、ヴェルトランの几帳面な筆跡で、狂乱の一夜が記録されていた。
「真相: ネーヴが張り切って、浄水器の『濃縮ポーション水』を湯に入れすぎた。
結果: 全員の体力が全回復しすぎて、目がギンギンになり、誰も寝られなくなった」
「バカじゃないの!?」
セリナが爆笑する。
「で、体力が余り余った連中がどうしたかと言うと―― 『眠れないなら、せっかくだから風呂もう一個作ろうぜ!』ってなって。 朝起きたら、大浴場が三つに増えていたそうよ」
「若い……! 若さの暴走が愛おしい……!」
セリナが机をバンバン叩いて笑う。 揺れる胸元に目が行きそうになるのを、私はあえて無視してグラスを煽った。
「まあ、怪我の功名ね。 実は、予想以上に獣人の移住希望者が増えていたのよ。 あの『ニンジンスカウト作戦』の効果がテキメンで、既存の浴場じゃパンク寸前だったらしいわ」
「ああ、体が大きいもんね、あの子たち」
「そう。 だから、この徹夜工事で浴場が拡張されたのは、結果的に大助かりだったってわけ。 ……動機は不純だけど、結果は合理的よ」
私は報告書のページをめくった。 そこには、完成した大浴場のスケッチが添えられていた。
湯気の中、背中を流し合う人間とハーフ魚人。 義手や義足を外して(防水加工済み)、子供を高い高いしている元兵士。 毛づくろいに余念がない獣人たちは、なぜか「リンス」の概念を発明してサラサラになっている。 ゴブリンたちは入口で一列に整列し、体を洗ってからおずおずと湯に入っている。
「……魔王軍でも、ここまで混ざらないわよ」
「『多種族混浴実験場』ね。タイトル決まり」
セリナが覗き込んでくる。 甘い香油の匂い。
「これ、混浴?」
「種族はごちゃまぜだけど、男女は分けてるわよ。さすがにね。 ……壁一枚隔てて、声だけは筒抜けらしいけど」
「あら、いやらしい」
セリナが悪戯っぽく笑う。
「湯気で火照った肌、響く笑い声、水の音……。 壁の向こうを想像しながら入る風呂ってのも、オツなものよねぇ」
「あんたの発想はおっさんくさいのよ」
私は呆れつつも、アルが定めたという「入浴マナー六箇条」に目を落とした。
1.入る前に洗う(基本) 2.飛び込まない(獣人・魚人へのフリではない) 3.旗を持ち込まない(ゴブリン対策。なぜか旗を持ちたがる) 4.口笛禁止(魚人が音で共鳴して風呂が波立つため) 5.魔導機器は外す(ネーヴがその場で改造を始めるため) 6.挨拶は共通語で「おつかれさま」
アルの追伸には、こうあった。
『先生。 湯気の向こうで、言葉も種族も違う連中が 「ザバン・ふぅ・ペコリ」ってやってるのを見ると、 平和ってこういうことかなって思います。
みんな、いい顔してますよ。 生きるのに必死だった顔が、湯に浸かった瞬間だけ、ただの「生き物」の顔に戻るんです』
「……分かってるじゃない、あいつ」
私はグラスを傾けた。 どんな条約よりも、どんな高説よりも。 「同じ湯の温度を共有する」ことのほうが、よっぽど雄弁だ。
だが、そこでセリナがふと笑いを収め、真面目な顔で窓の外を見た。 王都の夜景。その向こうにある、教会の尖塔を見つめるように。
「……でも、派手にやりすぎたかしらね」
彼女の声が、少し低くなる。
「さすがにここまでくると、過激派も気づき始めたわね」
「ええ」
私も頷き、グラスの中の氷を鳴らした。
「『北の辺境で、異様な勢いで街ができている』。 『多種族が入り乱れ、見たこともない技術が使われている』。 ……そんな報告が、グレオスの耳に入らないわけがないわ」
「嗅ぎまわってるわよ、あいつら。 私の部下が、北へ向かう街道で何人か『掃除屋』を見かけたって」
「……チッ。目障りな」
私は舌打ちをした。 平和な湯気の向こう側で、確実に黒い影が動き出している。
「まあ、まだ手出しはできないでしょうけどね。 アルが王都にいる限り、あの子を人質に取られているようなものだから」
「逆も然り、か。 ……綱渡りねぇ」
セリナは肩をすくめ、再び報告書に視線を戻した。 そこには、楽しげな子供たちのメモ書きがある。
リオ: 『先生、ボク、前より笑うこと増えた気がします。 なんでかなって考えたら、“おかえり”って言える家が増えたからでした。 あと、風呂上がりの牛乳は正義です』
ネーヴ: 『浄水器、改良した。 ポーション濃度、調整機能つき。 “寝る前用・リラックス”と“徹夜用・カフェイン増し”、切り替え可能』
ルシア: 『……この領地、嫌いじゃないわ。 たぶん、あの子の母親も、こういう場所を見たかったんだと思う。 (追伸:ネーヴに“美肌の湯”の開発を依頼しました。肌がツルツルになります)』
「……なんかズルいわね。子供たちだけ、いい台詞持っていくんだから」
セリナが目を細める。 その表情は、慈愛に満ちていて――そして、どこか危うげだ。
「いいじゃない。 あの子たちが、私たちの“先”を行ってくれてるんだもの」
「そうね」
私は窓の外、北の空を見上げた。
本来なら、十年かけてやるつもりだった復興計画。 それがたった半年で、ここまで来た。 水が通り、作物が育ち、技術が根付き、そして―― 「帰る場所」ができた。
早すぎる。 まるで、あらかじめ定められた工程表(プログラム)をなぞるような速度で。 あるいは――何者かが仕組んだ「破滅のシナリオ」を、あの子たちの熱量が強引に書き換えているような。
「……楽しみね」
思わず、本音がこぼれる。
「アルはきっと、ここからさらに変なことをやらかすわよ。 ネーヴは機械を進化させ、リオは人と人を繋ぎ、ルシアは魔族の常識を変える。 私たちが王都で胃を痛めている間に、あいつらは世界をひっくり返すかもしれない」
「うん。その顔、覚えとく」
セリナがニヤリと笑う。
「なに?」
「ドワちゃん、今、最高に『保護者』の顔してたよ」
「……うるさい。酒が回っただけよ」
私は照れ隠しに、新しいボトルを開けた。 ポン、と軽快な音が響く。
「それじゃ、改めて」
セリナがグラスを差し出す。 月光に透ける赤い液体が、彼女の唇の色と重なる。
「滅びた領地から始まった、多種族ごちゃまぜ国家再興計画に――」
「そして、あいつらの作る『いい湯加減』の未来に」
カチン。 澄んだ音が、夜の参謀室に響いた。
その時、セリナが懐から羊皮紙を取り出し、サラサラと何かを書き始めた。
「……あら、降りてきたわ」
「何が?」
「新曲のインスピレーションよ。 『北の果て、湯気に煙る理想郷』……うん、悪くない」
彼女は満足げに頷き、芝居がかった口調で読み上げた。
「この時、都の人々はまだ知らない。 北の果て、氷の大地に湧いた熱い泉が、やがて凍てついた世界を溶かすことを。 種族の壁も、言葉の壁も、すべては湯気の中に消え―― 残るは、ただ裸の笑い声のみ。
……そんな、温かくて馬鹿げた奇跡の物語が、ここから始まるのである」
セリナはウインクをして、羊皮紙の末尾に大きくサインを書き入れた。
―― By セリナ
私は苦笑し、グラスを空けた。 ……まったく。 私もいつか、あそこの風呂に入りに行かないとね。 もちろん、仕事(視察)という名目で。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます