【第32話】 秋休み、ゴブリン帝国(建国準備中)、あるいは「報告書」という名の怪文書

(視点:ドワルガ)




「――ゴブリンを領民にしただって!?」




 思わず叫んだ自分の声で、執務室の窓ガラスがビリビリと震えた。  手元にあるヴェルトランからの定期報告書。その表題はこうだ。




『件名:秋季休暇中の特記事項について』 『副題:ゴブリン集落の併合および労働力化の件』




 ……副題の破壊力が凄まじい。




■ 留守番参謀の憂鬱




 世間は秋休みだ。  




軍学校も一週間の休暇に入り、アルを筆頭に、リオ、ネーヴ、ルシアのいつものメンバーは、揃って北の領地へ「帰省」した。




「先生も来ませんか? 温泉、広くなりましたよ」




出発前、アルは無邪気に誘ってくれた。  




行きたい。死ぬほど行きたい。  




だが、現実は非情だ。




「私は留守番よ。  王都は今、干ばつ対策と宗教派の不穏な動きでピリピリしてるの。  参謀が席を空けたら、誰がこの国の舵を取るのよ」




そう言って格好良く送り出したのが、数日前。  




その結果が、これだ。




「……私が目を離すと、これだもの」




 私は頭を抱え、報告書の続きに目を落とした。




■ 事件の発端:光るニンジンの誘惑




 事の経緯はこうだ。




1.領地の畑に植えた「歌うニンジン」、順調に増殖。  


2.夜になると光ってハモるため、遠くからでも目立つ(※仕様)。  


3.ある晩、その光と匂いにつられて、野生のゴブリン集団が侵入。  


4.収穫前のニンジンを盗み食いしているところを、アルたちに見つかる。




ここまでは、よくある害獣被害だ。  




普通なら「討伐」か「追い払い」で終わる。




だが、報告書には信じがたい一行が記されていた。




『アルが声をかけた瞬間、ゴブリンは直立不動になり、こう言った。  「……ご、ごめんなさい」』




「謝ったのか……!?」




私は思わず声を漏らした。  




ゴブリンが? 




人語で? 




謝罪を?




ヴェルトランの考察(補足)が続く。




『推測:  高純度魔素を含んだ「歌うニンジン」を大量摂取したことにより、  ゴブリンの脳内魔力回路が一時的に活性化(進化)。  知能指数が爆上がりし、言語中枢と倫理観が芽生えたものと思われる』




「……ニンジンの副作用、そこまで行くの?」




■ ヴェルトラン報告(会話録抜粋)




報告書には、現地での会話記録が添付されていた。




アル:「……うまいか?」




ゴブリンA:「……うまい。でも、ごめんなさい」




アル:「謝る知能があるなら、話は早い。 食べた分、働いて返すか? それとも、ここで肥料になるか?」




ゴブリンA:「は、働く! なんでもする!」




リオ:「ちょ、アル! 会話が成立してますよ!?」




ネーヴ:「……魔力値、安定。こいつら、使える」




ルシア:「へぇ……。魔族より素直じゃない」




……完全に、労働交渉が成立している。




■ ゴブリン三兄弟と「ゴブリン帝国(仮)」




さらに読み進めると、彼らにはすでに役割と名前が与えられていた。




・ホル:ひたすら土を掘るのが得意。用水路工事のエース。


・ハコブ:怪力で資材運搬を担当。文句を言わない。


・サボル:すぐサボるが、危機察知能力が高く、見張り役として優秀。




名前が適当すぎる。  




だが、彼らは「腹一杯のニンジン」と「雨風をしのげる小屋」を与えられたことで、驚異的な忠誠心を見せているらしい。




『最初は領民や獣人たちも警戒していたが、  一緒に畑を耕し、風呂(※ゴブリン専用タイム)に入るうちに、  「あいつら、意外と可愛いげがあるな」と和解。  




現在は、ゴブリンたちが自ら「ここ、オレたちの国?」と言い出し、 一部区画が**「ゴブリン自治区(仮)」**となっている』




「勝手に自治区を作るな」




 私は天井を仰いだ。




 人間。  獣人。  魚人。  義肢の工兵隊。  そして、ゴブリン。




 ……何このラインナップ。  




魔王軍でももう少し統一感があるわよ。




「タイトル案:  『多種族ごちゃまぜ国家・再興中(※ただし住民の半分は人外)』」




 自分で言っていて、頭痛がしてきた。




■ 行けない大人と、託された未来




私は報告書を机に置き、窓の外を見た。  




王都の空は曇っている。




本当は、飛んでいきたい。  




そのカオスで、活気にあふれた「現場」を、この目で見たい。  




ゴブリンが「ごめんなさい」と言う瞬間を、録音しておきたい。




けれど、私は参謀だ。  


ここで王都の腐った政治と向き合い、あの子たちが帰ってくる場所(学校)を守らなければならない。




「……可愛い子には旅をさせろ、とはよく言ったものね」




結局、一番遠くへ、一番新しい場所へ旅しているのは、あの子たちだ。  




大人が「常識」という壁で囲っている間に、彼らは軽々とその壁を越えていく。




私は机の端に、新しいメモを書き足した。




【追加項目:対魔物政策の再考】


・ゴブリン等の低級魔物に対し、「討伐」以外の選択肢(労働力化)を検討。


・サンプル(ホル・ハコブ・サボル)の長期観察。


・担当:ヴェルトラン(現地)、アル(総括)




「……せめて、邪魔だけはさせないようにしないとね」




宗派がこれを知れば、「悪魔と通じている」と騒ぐだろう。  




その雑音を封じ込めるのが、私の仕事だ。




「好きにやりなさい、アル。  どうせ、私の想定なんて、とっくに超えているんでしょうから」




私は苦笑しながら、次の書類を手に取った。




秋休みなど、こちらにはない。  


けれど、報告書の向こうに広がる景色――  ゴブリンと人間が並んで畑を耕す、ありえない光景を想像すると、  冷めたコーヒーも、少しだけ美味しく感じられた。




 「ゴブリン帝国」か。  




……ふふ。  いつか本当に、地図に載る日が来るかもしれないわね。

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