第9話 王女暗殺未遂と、少年の“領地”への目覚め

(視点:ドワルガ)

「……あの。本当に、ここでよかったのでしょうか?」


 おずおずと声を上げたのは、この国の王女殿下、エリシアその人だ。


 場所は、私の参謀室。  相変わらず本と機械部品と酒瓶が地層のように積み重なった、王城一の魔窟である。


 けれど、今日ばかりは、部屋の散らかり具合なんてどうでもよかった。  なぜなら――


「……アル。口、開いてるわよ」


「えっ、あ……すみません」


 アルが慌てて口元を拭う。  無理もないわね。


 今日の殿下は、制服でも、いつもの堅苦しいドレスでもない。  「完全プライベート」な私服姿なのだから。


 淡いピンク色のワンピース。  ふわりとしたスカートの下から、白くて華奢な足首が覗いている。  胸元には控えめなリボン。  髪もいつものアップスタイルではなく、ゆるく下ろしていて、どこか無防備な「年相応の少女」の空気を纏っている。


(……破壊力、高すぎない?)


 王女のオーラを消して、ただの「可愛い女の子」としてそこに立っている。  それが逆に、アルのような健全な男子には猛毒(ポイズン)だ。


 アルは直視できないのか、視線を泳がせまくっている。  耳まで真っ赤だ。分かりやすい。


「あ、あの……変でしょうか?  お忍びで外に出るなら、目立たない格好のほうがいいと思って、マリア(侍女)に選んでもらったんですけど……」


 エリシアが不安そうにスカートの裾を握る。  その仕草がいちいち可愛い。


「変じゃないわよ。  むしろ、そこにいる少年には刺激が強すぎて、知恵熱が出そうなくらい似合ってるわ」


「えっ?」


「なんでもないわ。座りなさい」


 私はニヤニヤしながらソファーを勧めた。  エリシアの隣に座らされたアルが、ガチガチに緊張して石像みたいになっている。  その向かいには、涼しい顔で紅茶(私が淹れた極上品)をすすっているルシア。


 昨日の今日だというのに、怪我ひとつない。  若さって素晴らしいわね。


 だが、アルの顔色だけは優れなかった。  エリシアの可愛さに照れているのを差し引いても、その瞳の奥には、暗く重い色が沈殿している。


「エリシア。堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。  今日は『王女と臣下』じゃなくて、『助けられた女の子とお礼を言いたい同級生』の会よ」


 私が言うと、エリシアはほっと息を吐き、隣の少年の方を向く。


 ふわり、と甘い香りがアルの方へ流れる。


「……アル君。そしてルシアさん。  昨日は、本当にありがとうございました」


 深々と頭を下げる王女。  アルが顔を上げた。


「……礼には及びません、殿下。  俺は、何もできませんでしたから」


「え?」


 エリシアが目を丸くする。


「そんなことないわ! アル君が一番に飛び出してくれなかったら、私は……」


「いいえ」


 アルは、頑固に首を横に振った。  膝の上で、拳を強く握りしめている。


「サンドワームを倒したのは、ルシアの魔術と、駆けつけた警備兵です。  俺は、ただ突っ込んで、時間を稼いだだけだ。


 ……もし、ルシアがいなかったら。もし、警備兵の到着が遅れていたら。  俺の『個人の力』なんて、あの巨大な暴力の前では紙切れ一枚と同じでした」


 室内の空気が、ピリリと張り詰める。  ルシアが紅茶のカップを静かに置いた。


「……アル。それは、傲慢というものよ。  一年生が単独で大型魔獣を倒せなかったからって、落ち込む必要はないわ」


「違うんだ、ルシア」


 アルは顔を上げ、私の方を真っ直ぐに見た。


「先生。俺、勘違いしてました。  鍛えて、強くなって、武器を使いこなせれば……『誰か』を守れると思ってた。  でも、今回の敵は魔獣だけじゃなかった」


 私はニヤリと口角を上げる。  気づいたか。


「……続けて?」


「ペンダントのすり替え。情報の漏洩。森への誘導。  敵は『組織』で動いていました。システムとして、殿下を殺しに来た。  それに対して、俺一人がどれだけハルバードを振り回したって、根本的な解決にはならない」


 アルの拳が、ギリリと音を立てる。


「“個”の武力じゃ、“組織”の悪意には勝てない。  本当に守りたかったら、こちらも同等かそれ以上の『基盤』を持たなきゃダメなんだ」


 その言葉に、私は背筋がゾクリとするのを感じた。  12歳の子供が吐くセリフじゃない。  これは、為政者の視点だ。


「……だから、悔しいんです」


 アルは、噛み締めるように言った。


「今の俺には、帰るべき『領地』がない。  兵もいない、金もない、情報網もない。ただの『元・領主の息子』だ。  先生やセリナさんに頼りきりで、自分では何一つ盤面を動かせない」


 彼は、エリシアとルシアを見回し、宣言するように言った。


「俺は、力が欲しい。  剣の腕だけじゃない。  人を動かし、物を運び、情報を集め、敵の『仕組み』そのものを叩き潰せるような……  そういう、**『俺たちの場所(領地)』**という力が」


 エリシアが息を呑む。  ルシアが、少しだけ目を細めて微笑む。


 (……化けたわね)


 私は、隠していたウイスキーの瓶をデスクの下で撫でた。  ただの「無鉄砲なヒーロー志望」が、今ここで死んだ。  そして、「領主」としての覚悟が産声を上げたのだ。


「いい気づきよ、アル」


 私はパン、と手を叩いて空気を変えた。


「悔しさは、全部糧にしなさい。  足りないなら作ればいい。  金も、人も、組織も――そして『最強の領地』もね。  そのために、私がいるのよ」


 アルの目に、強い光が戻る。


「……はい。  夏休み、俺は旧領に戻ります。  あそこを、ただの廃墟にはしておきません。  まずは水から。そして、人が住める『基盤』を作ります。  それが、俺の戦いの第一歩です」


 その宣言は、部屋にいる全員の胸に深く刻まれた。


 エリシアが、そっとアルの手に自分の手を重ねる。  白くて柔らかい手が、アルの拳を包み込む。


「……私も、応援するわ。アル君が作る場所、見てみたい」


 アルがハッとしてエリシアを見る。  至近距離。  今日の彼女の、無防備な可愛さが改めて目に飛び込んだのか、アルがまたカッと赤くなる。


「あ、ありがとう、ございます……!  ぜ、絶対、すごい場所にしてみせますから!」


「ふふ、楽しみね。私も一口乗ろうかしら」


 ルシアも軽口を叩くが、その目は本気だ。


 (まったく。   陰謀の事後処理だっていうのに、未来の話しかしやがらない)


 私はやれやれと肩をすくめつつ、  内心では、かつてない高揚感に震えていた。


 この少年は、やるぞ。  ただの復興じゃない。  この国を、世界をひっくり返すための「拠点」を、本気で作る気だ。


「さあ、解散! 湿っぽい話は終わり!  アルは今の言葉、忘れるんじゃないわよ。  次回のレポート課題は変更。『領地再建における初期優先順位と組織論について』、原稿用紙十枚!」


「ええーっ!? 増えてる!?」


 悲鳴を上げて逃げ出すアルと、笑う少女たち。  エリシアがスカートを翻して部屋を出る時、ふわりと甘い残り香がした。


 扉が閉まり、静寂が戻る。


 私は新しい酒瓶を開け、トクトクとグラスに注いだ。


「……あいつらの親に、乾杯」


 氷がカランと鳴る音が、  これからの激動を予感させるように、夜の静けさに溶けていった。

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