第10話 裏ボス(保護者)たちの密談「あの子、世界をひっくり返す気よ」
「はぁ!? ……なんですって?」
その報告を聞いた瞬間、私は優雅に揺らしていたグラスを危うく取り落としそうになった。
普段、どんな裏情報を持ってきても眉ひとつ動かさないセリナが、珍しく呆れと感心が入り混じったような、複雑な顔をしている。
月明かりだけが光源の、深夜の参謀室。 長い銀髪を夜風に遊ばせ、暗い翡翠の瞳を細める美女――セリナが、ソファに深く沈み込みながら言った。
組んだ足の隙間から覗く白い肌が、闇の中で艶めかしく光る。
「だからね、ドワちゃん。聞き間違いじゃないわよ」
彼女は楽しそうに、けれどどこか信じられないという風に、喉の奥でクスクスと笑う。
「アルくんが、ルシアちゃんに言ったのよ。『魔族と戦うだけじゃなく、和平の道を探ってる』って」
私は短く息を吐き、琥珀色の液体を一気に喉へ流し込んだ。 カッと熱くなる食道。その熱さで、ようやく頭が追いつく。
「……あの子、本当に……そっちへ舵を切ったのね」
「らしいわよ。 私、ルシアちゃんに会いに行った時、てっきり『なんで魔族だってバラしたのよ!』って怒鳴られるかと思ってたのに。 開口一番、頬を染めてモジモジしながら相談されたわ。『彼、本気でしょうか?』って」
「あら、可愛い」
「でしょ? 青春よねぇ」
セリナは天井を仰ぎ、豊満な胸元を強調するように伸びをした。
「だまされたわ……いや、いい意味でね。 まさか『和平』だの『別の道』だのを口にするなんて。両親を魔族に殺されているのに」
私はグラスをテーブルに置いた。 コトリ、と硬い音が静寂に響く。
「それが、あの子の強さよ。 昨日の反省会で、あの子は言ったわ。『個人の力じゃ守れない』って」
「へぇ?」
「ただ強くなって復讐するんじゃない。組織を作り、基盤を作り、敵を利用してでも生き残る。 あの『もったいない精神』と『合理性』の塊みたいな思考回路……良くも悪くも、私の教育の賜物かしらね」
「いや、血筋でしょ。あの馬鹿正直なご両親の」
「……否定はしないわ」
私たちは顔を見合わせて、小さく笑った。 戦争も陰謀も遠のく、静かな夜。 この部屋だけが、世界の裏側の安息所だ。
だが、甘い話ばかりではない。 セリナが急に真顔に戻り、まとっていた空気を引き締めた。
彼女が身を乗り出す。 甘い香油の香りが、ふわりと鼻をくすぐる。
「……で、本題よ、ドワちゃん」
「ええ、聞きましょう」
私も酔いを意識的に遠ざけ、参謀の顔に戻る。
「王女を襲った連中。口を割る前に自害したわ。完全にプロの手口ね」
「どこの手の者か、割れた?」
「実行犯はただの雇われ。でも、資金の流れと装備の出処は……臭うわよ」
セリナがテーブルに数枚の写真を広げる。 サンドワームの腹から出てきた偽のペンダント。そして、襲撃犯が持っていた短剣の紋章。
「教会、とくに過激派の影が濃厚ね。 王女のペンダントをすり替え、魔獣に飲ませて『餌』にするなんて、狂信者か悪魔の所業よ」
「あべこべね」
私は吐き捨てるように言った。
「王女の『最大支持層』を自称する連中が、王女暗殺を企むなんて」
「崇拝と支配は紙一重よ。 『自分たちの思い通りにならない聖女』なら、いっそ殉教させて神輿にしたい……そんなところでしょうね」
セリナは不快そうに眉をひそめ、ルージュの引かれた唇を歪めた。
「一方で――宗教本山の偏屈坊主どもが、『学校に異端の思想を持つ問題児がいる』って騒ぎ始めてるわ」
「……アルのこと?」
「ええ。 『魔族に情けをかける軟弱者』か、あるいは『王女をたぶらかす不届き者』か。 どちらにせよ、目を付けられたわね。 ……あいつら、自分たちのシナリオから外れる人間を『バグ』みたいに嫌うから」
私は冷ややかに笑った。
「上等じゃない。 あの子を消そうなんて、一〇〇年早いわよ」
「あら、自信満々」
「ええ。昨日のあの子を見たでしょう? 『力が欲しい』って言った時の目を。 あの子はもう、ただ守られるだけの子供じゃない。自分の足で、自分の領地(城)を築こうとしてる」
私は新しいボトルを開け、セリナのグラスにも注いでやった。
「それに、今のあの子には最強の味方がいるわ」
「ルシアちゃんのこと?」
「そう。人間と魔族、光と影。 本来なら敵対するはずの二人が、背中を預け合ってる。 ……教会連中の想定外(エラー)でしょうね。自分たちが排斥しようとした『異物』同士が手を組むなんて」
セリナが目を細め、愛おしそうにワインを揺らす。
「まったく……。 青春を見守る保護者ってのも、楽じゃないわね。火の粉払いだけで過労死しそう」
「あら、楽しいでしょう? 誰かの『はぁ!?』から始まる物語って、案外悪くないわよ」
「吟遊詩人にそう言われると、期待しちゃうわね」
セリナは一口飲み干すと、いたずらっぽく微笑んだ。 そして、私の耳元に顔を寄せ、内緒話をするように囁いた。
「そういえば、アルくんから伝言。 『夏休み、旧領に戻って地盤固めをしてきます。先生も、もちろん来ますよね?』だって」
「……あいつ、私を便利な道具か何かだと思ってるのかしら」
「『最高顧問兼、最強の用心棒』だと思ってるんじゃない?」
「言い方!」
私はため息をつきつつ、手帳を開いてスケジュールを確認した。 ……真っ黒だ。 だが、全部キャンセルだ。知ったことか。
「いいわよ、行ってやるわ。 『滅びた領地の再建』。 ……私たちの七年越しの悲願、いよいよ本番ってわけね」
「引率の先生?」
「いいえ、技術顧問よ。 泥だらけになって働くわよ。セリナ、あなたも道連れだからね」
「ええ〜!? 私は優雅に詩を書いてたいんだけど!」
「却下よ。あんたの美貌とコネクション、全部使い潰してあげる」
二人の笑い声が、夜風に溶けた。 不穏な空気も、巨大な陰謀も、今夜だけは酒の肴だ。
さあ、忙しくなるわよ。 あの子たちが作る「新しい場所」を、特等席で見届けてあげなくちゃいけないんだから。
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