第8話 青春とはいいものだ、あるいは爆弾発言の作法

(視点:ドワルガ)


「――はぁ?」


 素っ頓狂な声が、参謀室の空気を震わせた。


 目の前の少年――アルが、口を半開きにして固まっている。  その顔があまりにも無防備で、私はこみ上げる笑いを必死に噛み殺した。


「だから、言ったでしょう? ルシアは“魔族”よ」


 一拍置いて。


 ガタンッ!


 アルが椅子ごと後ろにひっくり返りそうになった。


「ま、魔族!? え、え、え……本当に!? あの優等生が!?」


 混乱、戸惑い、驚愕。  感情が顔の上で交通渋滞を起こしているわね。  ……可愛い。ずるいわ、その反応。いじり甲斐がありすぎる。


 私はわざとらしくグラスを揺らし、氷の音で含み笑いを誤魔化した。  そして、机から降りて、腰が抜けている彼にゆっくりと歩み寄る。


 アルの視線の高さに合わせて腰をかがめ、顔を覗き込む。  ふわり、と酒の匂いを漂わせて。


「落ち着きなさい。  彼女は“穏健派”。人を襲って肉を食らうような野蛮な手合いじゃないわ。  せいぜい――そうね、ちょっと魔力を**『吸う』**程度よ」


「す、吸う!? な、なんで!」


「魔力をよ。魔族は魔石か他者から魔力を得ないと生きていけないの。  で、ちょうどあなたの魔力は、有り余っていて美味しそうでしょう?」


 私はアルの首筋を、指先でツツーとなぞった。  脈打つ血管の上を、冷たい指が這う。


「油断してると、寝てる間にパクッといかれるかもね?」


「えぇぇぇぇ!?」


 アルが自分の体を抱きしめて後ずさった。  まるで貞操の危機を感じた乙女のような反応。  だめ、もう限界。


「ぷっ……ふふふっ! いい反応ね、アル!」


「か、からかわないでください先生! だって、魔族って……!」


「そんなに怯えなくても大丈夫よ。  ルシアは争いを望んでない。人間との“共存”を本気で信じている側の子よ」


 私は笑いを収め、少しだけ真面目な顔を作る。  彼の乱れた襟元を直してやりながら、優しく諭す。


「普通は知らないわ。彼女の正体も、その想いも。  だからこそ――あなたと組ませたの」


「えっ、僕を?」


 私はグラスを置き、まっすぐ彼を見つめた。  琥珀色のランプの光が、彼の戸惑う横顔を照らす。


「『滅ぼす以外の道を探したい』――あなたのあの言葉、私は信じているわよ。  それがただの綺麗事じゃないなら、目の前の彼女と向き合ってみなさい。  敵じゃなく、一人の女の子として」


 アルは黙り込み、短く息を吐いた。  少年の顔から、未来を背負う青年の顔に――ほんの一瞬で、切り替わる。


「……逃げません」


「よろしい。合格よ」


 ちょうどその時、コンコン、と軽いノックの音がした。


「入っていい?」


 許可も待たずに扉が開く。  黒髪の少女――ルシアが、涼しい顔で滑り込んできた。


 落ち着き払った所作、過不足ない微笑。教本みたいに整った転入生。  でも、その目は楽しげに弧を描いている。  獲物を見つけた肉食獣のように。


「ル、ルシアさん……!」


 アルがビクッとする。  ルシアは小首をかしげ、妖艶に(まだ子供なのに!)微笑んだ。  ゆっくりとアルに近づき、その耳元に顔を寄せる。


「あら、そんなに身構えないで。食べたりしないわよ?  ただ――」


 ふわり、と甘い香りがアルを包む。  彼女の視線が、アルの首筋に熱っぽく絡みつく。


「少し“吸う”かもしれないけど? 覚悟はよろしくて?」


「えぇぇぇ!?」


 アルが耳まで真っ赤になって後ずさる。  その反応を見て、ルシアは満足げに微笑んだあと――急にふいっと顔を背けた。


「……な、何赤くなってるんですか」


「え?」


「か、からかっただけですよ!  本気にするわけないでしょう、この平和ボケ!」


 さっきまでの妖艶さはどこへやら。  

彼女の耳も、ほんのりと赤く染まっている。


(……あらあら)


 私はたまらずグラスを掲げた。  悪くない。この甘酸っぱくて、危なっかしくて、キラキラした空気。


「青春って、こういう顔のことを言うのねぇ」


「先生、絶対面白がってますよね!?」


「ごめんなさいね。でも、あまりにもいいもの見せてもらったから」


 ルシアがツンと澄まし、アルはまだ赤くなった顔で視線を泳がせる。  


その光景は、ほんの一瞬――この世界から戦争の影も、政治の闇も消し去ってしまったようだった。


 私は胸の内で、そっと呟く。


 ……まったく。  青春ってやつは、本当にいい酒の肴になるわね

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