第7話 平和ボケと、貧困という名の「真犯人」
「……『滅ぼすのでなく、別の道を見つけたい』……か」
寮のベッドの上。 僕は枕に顔を埋めながら、昼間自分が放った言葉を反芻していた。
言っちゃった。 とうとう、言っちゃった。
あの瞬間の教室の空気、思い出しただけで胃が痛い。 絶対「アイツ頭おかしい」って思われた。 「親を殺されたのに日和った腰抜け」だと。
でも、口をついて出てしまったのだから仕方がない。
あれは僕の、
いや――**「前世の僕(日本人)」**の、骨の髄まで染み込んだ経験則だったからだ。
天井を見上げ、大きく息を吐く。
そう。僕は一度、死んでいる。 場所は地球、日本。 職業は、途上国のインフラ支援をするエンジニア崩れの活動家。
そこでの経験が、今の僕の思考回路(OS)を作っている。
僕の根っこにあるのは、まず**「平和主義」**という名の、ある種の呪いだ。 実態はどうあれ、「戦争放棄」という概念を刷り込まれて育った人間にとって、「敵だから殺す」「やられたらやり返す」という単純な解決策は、どうしても生理的に受け付けない。
脳が拒絶反応を起こすんだ。
だから、とっさに「もったいない」という言葉で取り繕った。 戦争はコストがかかる。資源の無駄だ。生産性が低い。 そうやって「損得」の話にすり替えれば、この世界の人たちにも伝わると思ったからだ。
――でも、それだけじゃない。 僕が「滅ぼす」を選ばない本当の理由は、もっと泥臭いところにある。
**「貧困」**だ。
前の世界で、僕は嫌というほど見てきた。 井戸が枯れた村が、隣村の水源を奪いにいく姿を。 仕事がない若者が、わずかな金を稼ぐために銃を持つ姿を。
彼らは、生まれつきの悪人だったわけじゃない。 ただ、腹が減っていたんだ。 ただ、今日を生きるためのリソースが足りなかっただけなんだ。
「貧困が、争いを生む」。
それが、僕が前の人生で見つけた、残酷な世界の真理だ。 逆に言えば、腹が満たされ、仕事があり、明日の生活に不安がなければ、人はわざわざ命を賭けてまで争わない。
この世界だって同じはずだ。
ドワルガ先生の研究データによれば、魔族が人間を襲うのは「魔石(エネルギー)」が不足しているからだという。 彼らにとっての魔石は、人間にとっての「米」や「パン」と同じだ。
つまり、魔族は「侵略者」である以前に、**「飢えている集団」**なんだ。
(……飢えている相手を皆殺しにして、それで平和になりましたって。 そんなの解決じゃないだろ)
ふと、あの日――転生する直前のことを思い出した。
真っ白な空間。 目の前にいた女神様。
彼女は、僕に新しい命をくれると言った。 でも、その時――彼女は一言も言わなかったんだ。
『魔王を倒してくれ』なんて。
『魔族を滅ぼしてくれ』とも言わなかった。 彼女が言ったのは、もっと曖昧で、切実な言葉だった。
『お願い。この世界の“みんな”を守ってあげて』
あの時は深く考えなかった。 「みんな」というのは、当然「人間」のことだと思っていた。 魔王を倒して、人間を守るのが勇者の仕事だと。
でも、もし。 女神様の言う「みんな」の中に、魔族も含まれていたとしたら?
飢えて、苦しんで、生きるために剣を取らざるを得なかった彼らもまた、女神様にとっては「守るべき子供」だったとしたら?
「……だとしたら、辻褄が合うな」
ポツリと呟く。
敵は「魔族」じゃない。 彼らを飢えさせ、争わせている**「足りないこと(貧困)」**そのものだ。
僕は、剣で敵を薙ぎ払う「英雄」にはなれない。なりたくない。
僕がやりたいのは、井戸を掘ることだ。 作物が育つ土を作ることだ。 壊れた橋を直して、交易路をつなぐことだ。
「奪わなくても足りる仕組み」を作ること。 それが、僕の知っている唯一の、そして最強の「平和維持活動」なんだ。
サイドテーブルに手を伸ばし、水差しを傾ける。 コップに注がれたのは、水じゃなくて薄めた果実酒だった。
ドワルガ先生の差し入れだ。 『栄養剤だ』って言ってたけど、どう見ても酒だ。 あの人、教育者としてどうなんだ。
一口飲む。 カッと喉が熱くなる。
「……でも、言っちゃったもんは仕方ないな」
教室で、ルシアって子が笑ったのを思い出す。
『最高にバカだね』って。 『でも、嫌いじゃない』って。
彼女の目を見て思った。あの子もきっと、何か別の「飢え」を知っている目だ。
剣を抜かずに勝つ。 敵を倒すんじゃなくて、敵が戦わなくて済む世界を作る。 「滅ぼすのではなく、別の道を見つける」。
それがどれだけ難しいか、前の世界で嫌というほど知っている。 綺麗事だと笑われるのも、慣れている。
それでも―― 僕は、この世界に「日本仕込みの平和主義」と「対貧困のインフラ整備」を叩き込んでやるつもりだ。
「見てろよ、女神様。 あんたが期待したような『魔王を倒す勇者』にはなれないかもしれないけど…… あんたが想像もしなかったような**『飢えない国』**、作ってみせるから」
飲み干したコップを置き、ニヤリと笑う。
さて、まずは情報収集だ。 旧領地の汚染状況、魔族側のエネルギー事情、それから……あのドワルガ先生が隠し持ってるに違いない「土木工事に使えそうな魔導具」のリスト。
やることは山積みだ。 落ち込んでる暇なんて、それこそ「もったいない」。
僕は布団を跳ね除け、机に向かった。 夜はまだ長い。 日本の社畜根性、ナメてもらっちゃ困る。
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