第6話 復讐? コスパが悪いので「もったいない精神」で世界を救います

「――滅ぼすのではなく、別の道を見つけたいんです」


 その言葉が落ちた瞬間、教室の時間が止まった気がした。


 春の陽気が差し込む、午後の講義室。  窓の外では小鳥がさえずり、平和そのものの時間が流れているはずなのに。


 ここだけ、真冬のブリザードが吹き荒れている。


 私は優雅にペンを走らせるふりをしながら、心の中で盛大に頭を抱えた。


(言っちゃった……。この空気で、一番言っちゃいけないこと、言っちゃった……!)


 今日のテーマは『対魔族論』。  講師に指名されたのは、魔族に故郷を滅ぼされた被害者代表――アル・エルンスト。


 クラス中の同情と好奇の視線が、彼に集中する。  誰もが期待していたはずだ。  「魔族は許せない」「必ず殲滅する」という、教科書通りの勇ましい復讐の言葉を。


 けれど彼は、あくびを噛み殺したような顔で立ち上がり、そして淡々と、爆弾を投下したのだ。


「滅ぼすのではなく、別の道を見つけたい」と。


 講師が眼鏡をずり落ちさせながら、震える声で聞き返す。


「……べ、別の道とは?  彼らは君の親の仇だろう? 憎くはないのか?」


「憎いですよ」


 アルは即答した。  その声には、嘘偽りのない冷たさが混じっていた。  ゾクリとするほど、温度のない声。


「親も、領民も殺された。悔しいし、忘れたことなんてない。  毎晩夢に見るくらいには、はらわたが煮えくり返ってます」


 彼は自分の胸を、ドン、と拳で叩いた。


「だけど――  『だから殺し尽くす』っていう選択肢は、選びたくないんです」


「……なぜだ? 恐怖か? それとも偽善か?」


「いいえ」


 アルは首を横に振った。  そして、少し困ったように笑った。


「なんというか……**『もったいない』**からです」


 は?


 今、「もったいない」って言いました?  命のやり取りの話をしてるのよね? 夕飯の残り物の話じゃないわよね?


 アルは、さも当たり前のように指を折り始めた。


「戦争って、コストがかかりすぎるんですよ。  相手を全滅させるまで戦えば、こっちのリソースも底をつく。  復讐で腹は膨れない。  怒鳴っても壊れた橋は直らない。  感情に任せて『滅ぼす』を選んだら、僕たちは未来の可能性まで捨てることになる」


 教室が、シーンと静まり返る。


 ……異質だ。  彼の言葉は正しい。論理的で、無駄がない。  けれど、人間的な「熱」がどこか欠落しているようにも聞こえる。


 後列の男子生徒が、嘲るように鼻を鳴らした。


「ハッ! 親の仇に損得勘定かよ。  さすが魚人に育てられた『野生児』は違うな。心がねぇのか?  それとも、ただの腰抜けの平和主義者か?」


 「平和主義」。  この世界では、それは「戦えない弱者」を指す侮蔑の言葉だ。


 教室に、同意のクスクス笑いが広がる。  「やっぱり変人だ」「感情がないのか」という囁き。


 私が「静かにしなさい!」と王女権限を発動すべきか迷った、その時。


 アルが、ゆっくりとその男子生徒の方を向いた。


 怒るでもなく、怯むでもなく。  ただ、「どうしても譲れない一線」を守るような、静かで強い目で。


「仲良くなんて、できるわけないだろ」


 きっぱりと言い放つ。


「だけど、殺し合いの連鎖に付き合うつもりもない。  利用できるなら利用する。  交渉できるならする。  憎しみすらエネルギーに変えて、使えるものは全部使って、僕らの生活を立て直す。


 ……それが、一番賢い復讐じゃないか?」


 誰も、何も言い返せなかった。


 それは「損得勘定」という言葉でカモフラージュしているけれど、その根底にあるのはもっと強固な――「殺し合いそのものへの拒絶」だ。


 私の胸が、ドキンと高鳴る。


 (なに、この人……)


 ただの計算高い人じゃない。  もっと根本的な、私の知らない『何か』に突き動かされてる。


 私は王女として、「国民のために戦います」と綺麗な言葉を並べてきた。  でも、それは誰かが書いた台本だ。  この少年は違う。  自分の言葉で、自分の信念で、「戦わない道」を切り拓こうとしている。


 その時。


 教室の隅から、乾いた音が響いた。


 パチ、パチ、パチ。


 ゆっくりとした拍手。


「――ぷっ、あははは! あんた、最高にバカだね」


 窓際の席。  黒髪の少女――ルシアが、気だるげに頬杖をついて笑っていた。


 琥珀色の瞳が、肉食獣のように細められている。  整った唇が、艶めかしく歪む。


「敵を利用する? 『もったいない』から生かしておく?  剣を抜かずに『生きる道』を探すなんて、欲張りにもほどがあるわ」


 彼女の言葉は辛辣だ。  でも、その声には侮蔑ではなく、奇妙な熱が混じっていた。


 ルシアは立ち上がり、アルの方へ歩み寄る。  スカートを翻し、彼の目の前で止まった。


 吐息がかかる距離。  彼女の甘い香りが、アルを包む。


「でも、嫌いじゃないよ。  ただ喚くだけの復讐者より、よっぽどマシだ」


 ルシアの視線と、アルの視線がぶつかる。  火花が散ったような気がした。


 アルは、ほんのわずかに口元を緩めた。


「マシと言ってもらえて光栄です。……えっと、ルシアさん」


「名前、覚えてたんだ」


「インパクトあるからね、君も」


 講師がハッと我に返り、慌てて咳払いをする。


「こ、こら私語を慎め! 議論は次回だ、今日は定義の確認まで!」


 チャイムが鳴る。  教室の空気が、ようやく弛緩する。


 ざわめきが戻る中で、私はペンを握ったまま動けずにいた。


 「滅ぼすのでなく、別の道を見つけたい」。


 その言葉が、胸の奥にこびりついて離れない。


 王女としての「役割」に縛られている私。  復讐者としての「役割」を期待されている彼。


 でも彼は、その役割を軽々と破り捨ててみせた。


(……悔しい)


 少しだけ、嫉妬した。  そして同時に、どうしようもなく惹かれてしまった。


 この少年はきっと、この国を……いいえ、世界を変えてしまうかもしれない。  その「平和ボケ」と笑われた信念で。


 私は席を立ち、アルの背中を目で追った。  その隣には、ルシアが並んで歩いている。


 胸の奥がチクリと痛むのを、私は気づかないふりをした。

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