第34話 酒は死である
酒は死だ。
それなのに人は酒を飲む。
マスターにとってはそれがいつも面白い。
体に悪いことを理解していて、なぜやめられないのか?
それはおそらく、現実から自分を切り離すことのできるモノだからなのだろう。
現実が嫌になった人間ほど、酒に手を出す。
一時的にも忘れられる。
それでようやく生きていけるのだ。
馬鹿な生き物だ。
呑んで理性を焼いて、まともな感覚を失う言い訳を有り難がっている。
金まで払って酒を飲む。
呑めば呑むほど死が近付くかもしれないのに、だ。
毒を飲む生き物をマスターはそれまで見たことがなかった。
魔界の生き物にとって、毒は無い。
存在自体が毒だからだ。
水が水を吸っても、水でしかないのと同じように。
しかし人間は酒を飲む。
不思議なものだ。
ある者は身を滅ぼし、ある者は立場を失い、ある者は大切な人間を失った。
それでも人間は酒を飲む。
それが酷く、面白い。
なんて滑稽で、哀れな生き物なのだろう。
「寿命をすり減らしでもしないと、本音が言えないんですかねえ。人間は」
ドラゴンの喉をなであげながら、マスターは独りごちる。
そんな哀れで可愛い生き物を、保護したいだとか育てたいだとか思える自分を嫌いではないのだ。
願わくは、自分自身も一度酔っ払ってみたい。
「私が酔えるモノって何なんでしょうかねえ」
ドラゴンは興味なさそうに、眠たげに顔をこする。
体躯が巨大であるからか、ドラゴンは爬虫類にしては知能が高い。
まるで猫のようだ。
その時、マスターの鼻腔に今まで感じたことのない香りが感ぜられた。
「ん? これは……」
仄かに甘い、スパイシーな香り。
「マスター! そろそろカレーできますよ!」
ルーカスの声がする。
マスターは立ち上がり、裏庭に張り巡らせていた『侵入者拒否』の魔法を一時的に解いた。
自分自身が通る部分だけ、空間を歪ませる。
むにょん、とひずんだ空間をくぐって、店の裏口から厨房へ戻った。
「カレー……」
なんとも言えない良い匂いだ。
無知で無力な人間、ルーカスが振り向く。
「中辛ですよ! こないだより辛いんですけど、マスター、食べられますか」
マスターはしばし瞬きをして、
「どうでしょうねぇ」
と鍋に近寄った。
くつくつと煮える鍋からは、とろみのあるつややかな水面に身を横たえて、丸っこい野菜たちが顔を出していた。
「マスター? どうしました? やっぱ辛そうです? 意外と辛くないッスよ。味見してみます?」
見当違いな人間は、小皿にひとすくいのカレーを載せて、マスターに渡した。
小さなティースプーンもつけて。
「……おいしい」
「でしょぉ」
にゃはは、とルーカスは相好を崩す。
こういう現実ばかりなら、酒など必要なのだろうか。
「バーを廃業してカレー屋にしましょうか」
提案すると、ルーカスはあわてて、
「やめてくださいよ!」
と、おたまを片手に叫んだ。
最下位配信者とバ先の上司 ~魔物だらけの旧『九州』で、最弱冒険者は勇者になる~ ニクウマイ @vimi831
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