第6話 剣士の依存と、手放せない荷物番

「おい、聞いたか? 『銀の牙』のエルザが、ワイバーンをソロで狩ったってよ」

「マジかよ。あの剣技、昇格試験でも通用するんじゃねえか?」


 ギルド併設の酒場は、その話題で持ちきりだった。

 エルザがミスリルの短剣一本で飛竜を墜とした一件は、尾ひれがついて広まっているらしい。

 当のエルザは、中央のテーブルで上機嫌にエールを煽っていた。


「がはは! まあな、あの程度のトカゲ、今の私の敵じゃない!」


 彼女の周りには、他の冒険者たちが集まっている。

 その中には、身なりのいい男もいた。

 大手クラン『金獅子』のスカウトだ。


「エルザさん、どうです? うちのクランに来ませんか。専属の鍛冶師も、一流の従者も用意しますよ」


 スカウトの男が揉み手をしている。

 俺は離れた席で、塩漬け豆を摘まみながらその様子を見ていた。

 『金獅子』は待遇がいい。

 エルザがそっちに行けば、俺はクビになるだろう。

 まあ、それならそれでいい。

 退職金をふんだくって、田舎で畑でも耕すか。


「専属の鍛冶師、ねえ……」


 エルザが興味なさそうに頬杖をつく。

 男は畳み掛ける。


「はい! 王都で修行した腕利きの職人です。あなたの剣を、常に最高の状態に保ちますよ。今の……その、くたびれた荷物番とは訳が違います」


 男がチラリと俺を見た。

 完全に侮蔑の視線だ。

 俺は豆を口に放り込み、視線を逸らす。

 正論だ。俺はただの荷物番で、鍛冶のスキルなんて持っていない。


「ふーん……。じゃあ、試してみるか」


 エルザは腰のミスリルソードを抜き、テーブルに置いた。

 ワイバーン戦でついた血糊は俺が拭き取ったが、まだ刃こぼれが少し残っている。


「これを研いでみろ。満足できたら考えてやる」

「お任せください!」


 スカウトの男は合図を送る。

 すぐに控えていた屈強な鍛冶師が現れ、携帯用の砥石と油を取り出した。

 手際がいい。

 シャッ、シャッ、と小気味よい音が響く。

 十分ほどで、剣は鏡のように磨き上げられた。


「どうぞ。完璧な仕上がりです」


 鍛冶師が自信満々に剣を差し出す。

 確かに、見た目は美しい。

 刃の角度も均一で、教科書通りの研ぎ方だ。


 だが、俺は知っている。

 エルザの剣の振り方は独特だ。

 彼女は手首のスナップを多用するため、刃元の方を少し鈍角にしておかないと、刃が噛みすぎて手首を痛める。

 そして、柄(つか)だ。

 彼女は汗かきだから、俺は柄に巻く革紐の表面をわざと荒らし、吸湿性を高める加工をしている。

 しかし、目の前の鍛冶師は、親切心で革紐にたっぷりと艶出しオイルを塗ってしまっていた。


 エルザが剣を受け取る。

 その瞬間。


「…………あ?」


 彼女の眉がピクリと動いた。

 剣を握った手が、不自然にモゾモゾと動く。

 そして、軽く空を斬った。

 ヒュン。

 鋭い音。だが、彼女の表情は曇ったままだ。


「……なんか、気持ち悪い」


 エルザが呟いた。


「え?」

「滑るんだよ。それに、振った時の……なんて言うか、重心がフワフワして定まらない。これじゃ怖くて全力で振れないぞ」

「そ、そんな馬鹿な! 重心バランスは完璧に調整しました!」


 鍛冶師が抗議する。

 だが、エルザは不快そうに舌打ちをした。


「理屈は知らん。とにかく、私の手には合わないんだよ。他人の剣を握ってるみたいだ」


 ガチャン、と彼女は剣をテーブルに放り出した。


「話にならんな。帰ってくれ」

「そ、そんな……」


 スカウトたちはすごすごと退散していった。

 残されたのは、不機嫌になったエルザと、磨かれた剣。

 彼女はギロリと俺を睨んだ。


「おい、荷物番」

「……なんだよ」

「直せ」


 彼女は剣を俺の方へ滑らせてきた。


「今すぐだ。このヌルヌルした気持ち悪い感触を消せ。お前がいつもやってるみたいに、手に吸い付くようにしろ」


 俺はため息をついて、剣を手に取る。

 鑑定眼で見れば、一目瞭然だ。


 【状態:過剰な研磨、オイル過多】


 俺は懐から荒い布を取り出し、柄のオイルを執拗に拭き取った。

 さらに、ナイフの背で革紐の表面を少し毛羽立たせる。

 そして、砥石のクズを使って、刃元の鋭すぎるエッジをわずかに潰す。


 作業時間、三分。

 見た目は少し汚くなったが、機能性は彼女専用に戻った。


「ほらよ」


 俺は剣を返す。

 エルザは無言で受け取り、握った。

 その瞬間、彼女の表情がふっと緩む。


「……これだ」


 彼女は何度か剣を振った。

 ブン、ブン。

 風切り音が違う。迷いがない。


「やっぱり、これじゃないとな。しっくりくる」

「そりゃどうも」

「なあ、お前。何をしたんだ?」


 エルザが真剣な顔で聞いてくる。


「さっきの鍛冶師の方が、道具も技術も上だったはずだ。なのに、なんでお前が適当に弄ると、こんなに使いやすくなる?」

「相性だろ。俺はずっとあんたの荷物を持ってるから、あんたの手の大きさも、癖も知ってるだけだ」


 俺は適当にごまかす。

 本当は「鑑定」でミリ単位のズレを修正しているからだが、言う必要はない。


「相性、か……」


 エルザは納得したように頷き、ニヤリと笑った。


「そうか。なら、仕方ないな」

「何がだ」

「私が他のやつを雇うのは無理ってことだ。私の剣を扱えるのは、どうやら世界でお前だけらしい」


 彼女は立ち上がり、俺の席まで歩いてくると、ドンとテーブルに手をついた。

 顔が近い。

 酒臭い。


「契約更新だ、荷物番。お前は一生、私の後ろを歩け」

「……嫌だと言ったら?」

「この剣で斬る」

「ブラック企業かよ」


 俺は肩をすくめる。

 だが、悪い話ではない。

 大手クランに入れば、俺のような怪しいスキルの持ち主はすぐに排除されるか、あるいは実験台にされるかもしれない。

 エルザのような、単純で、俺の掌の上で転がってくれる雇用主の方が安全だ。


「条件がある」

「なんだ」

「給料を上げろ。今の三割増しだ。それと、休日はちゃんと寄越せ」

「……チッ、強欲なやつめ。いいだろう、ワイバーンの報酬も入ったしな」


 商談成立。

 エルザは満足げに笑い、俺のジョッキに自分のエールを注ぎ込んだ。


「飲むぞ! 今日は朝まで付き合え!」

「明日も早いんだろ……」


 俺は諦めて、ジョッキを傾ける。

 エルザは俺の肩に腕を回し、上機嫌で歌い出した。

 その腰には、俺が調整したミスリルの剣が、体の一部のように収まっている。


 彼女は気づいていない。

 「私の剣を扱えるのはお前だけ」なのではない。

 俺が、彼女を「俺以外では満足できない体(剣技)」にしてしまったのだ。

 これは依存だ。

 だが、彼女自身がそれを望んでいるなら、俺にとっても好都合な共犯関係と言えるだろう。


 俺たちは乾杯する。

 こうして俺は、最強の剣士の「弱点」を握ったまま、彼女の背中を守り続けることになった。

 ……まあ、悪くない職場だ。今のところは。

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