第5話 折れた剣と、折れない予備
「上だ! 来るぞ!」
俺の叫び声と同時に、突風が巻き起こった。
頭上から巨大な影が降りてくる。
ワイバーンだ。
翼長十メートルを超える飛竜が、鉤爪を立てて急降下してくる。
「ハッ、待ちくたびれたぜ!」
エルザは逃げなかった。
岩場を蹴り、真正面から飛竜に向かって跳躍する。
彼女の手には、俺が手入れし続けてきた剣が握られている。
ガギィィィン!!
剣と鉤爪が激突し、火花が散る。
凄まじい衝撃音が岩山に響き渡った。
エルザは空中で体勢を捻り、着地と同時に次の一撃を放つ。
「硬いな、こいつ!」
彼女の剣がワイバーンの鱗を切り裂くが、浅い。
相手は格上の魔物だ。
鉄のように硬い鱗と、岩をも砕く尻尾を持っている。
エルザの剣技は鋭いが、武器にかかる負担は尋常ではない。
俺は岩陰に隠れながら、彼女の剣を凝視した。
鑑定のウィンドウが、警告色である赤色で明滅している。
【鋼のロングソード】
【耐久値:35/100】
【状態:刀身の歪み(大)、微細亀裂の拡大】
【注記:あと三回の強打で砕け散る】
限界が近い。
この剣は良品だが、伝説の聖剣ではない。ただの鋼だ。
エルザの腕力とワイバーンの硬度がぶつかり合えば、物理的に持たない。
だが、エルザは止まらない。
彼女は自分の剣が折れることなど想像もしていない。
「オララララッ!」
連続攻撃。
一撃、二撃。
ワイバーンの翼膜を切り裂き、悲鳴を上げさせる。
だが、そのたびに剣の耐久値はゴリゴリと削れていく。
【耐久値:12/100】
【耐久値:5/100】
次だ。
次の渾身の一撃で、剣は死ぬ。
そしてワイバーンはまだ生きている。
剣が折れれば、無防備になったエルザはその巨大な顎(あぎと)で噛み砕かれるだろう。
俺はリュックを開けた。
中には、布に包まれた「棒状のもの」が入っている。
俺がこの依頼を受けると聞いた時から、夜なべして研ぎ上げておいた『二本目』だ。
「エルザ! 右に開け!」
俺は叫びながら、岩陰から飛び出した。
戦場のど真ん中へ走る。
自殺行為だ。だが、今はそれしかない。
「あぁ!?」
エルザが一瞬、こちらを見た。
その隙にワイバーンが首を伸ばして噛み付いてくる。
エルザはそれを剣で受け止めた。
バギンッ!!
乾いた音が響いた。
剣の中ほどから先が、粉々に砕け散った。
鋼の破片がキラキラと舞う。
「なっ……!?」
エルザの目が驚愕に見開かれる。
手元に残ったのは、無惨に折れた柄(つか)だけ。
ワイバーンはその隙を見逃さない。
勝利を確信した爬虫類の目が、残忍に細められる。
巨大な口が、エルザの頭上から迫る。
終わった――と、誰もが思う瞬間。
俺は走っていた勢いのまま、地面を滑り込んだ。
エルザの足元へ。
手にした布包みを解き放ちながら。
「使え!」
俺は『二本目』を、地面すれすれに滑らせた。
それは回転しながら、正確にエルザの手が届く位置へと滑っていく。
キィン。
金属音がした。
エルザは考えるよりも先に動いていた。
折れた柄を捨て、体を低く沈める。
迫るワイバーンの顎を紙一重でかわしながら、彼女の右手が地面を薙ぐように動いた。
その指先が、俺の送った剣の柄を掴む。
【ミスリル合金のショートソード】
【品質:B】
【耐久値:100/100】
【状態:極上、対竜用研磨済み】
俺が全財産を叩いて中古で購入し、研ぎ直した業物だ。
短い刀身だが、切れ味と強度は鋼を凌駕する。
エルザは立ち上がる勢いを乗せ、逆手に持ったその剣を突き上げた。
「堕ちろオオオッ!」
ズドッ!!
鈍い音が響く。
下から突き上げられた剣は、ワイバーンの柔らかい顎の下を貫き、脳天まで達した。
断末魔の叫びすら上げられず、巨体がビクンと跳ねる。
エルザは剣を引き抜き、横に薙ぎ払った。
血飛沫が舞い、ワイバーンがどうっと崩れ落ちる。
静寂。
岩場には風の音だけが残った。
エルザは肩で息をしながら、手の中にある見知らぬ剣を見つめていた。
青白く輝くミスリルの刀身。
血濡れてなお、その刃は月光のように美しい。
「……なんだ、これ」
彼女が呟く。
「なんで、ここにあるんだ。なんで、お前が持ってるんだ」
俺は立ち上がり、膝の泥を払った。
「予備だと言ったろ」
「予備って……これはミスリルだぞ!? こんな高価なもん、どこで手に入れた!」
「たまたま掘り出し物があったんだよ。投資だ」
俺は無愛想に答える。
本当は、この剣を買うために三ヶ月分の食費を切り詰め、野草で凌いだなんて言えない。
だが、その甲斐はあった。
彼女は生きている。
「お前……」
エルザが俺を見る。
その目に、今まで見たことのない色が宿っていた。
ただの荷物番を見る目ではない。
命綱を見るような、切実な眼差しだ。
「剣が折れた時、死んだと思った」
「だろうな」
「でも、お前が投げた。まるで、折れるのがわかっていたみたいに」
鋭い。
俺は視線を逸らす。
「たまたまだ。危ないと思ったから投げただけだ」
「……そうか」
彼女は深く追求しなかった。
その代わり、ミスリルの剣を鞘(俺が昨夜、彼女の腰の鞘の内側を削ってこの剣が入るように調整しておいたもの)に納めた。
カチン。
完璧な収まり具合に、彼女が小さく息を呑む。
「この剣、私にくれるのか?」
「貸すだけだ。給料から引くぞ」
「ふん、ケチなやつめ」
エルザは笑ったが、その声は少し震えていた。
彼女は近づいてきて、俺の肩を乱暴に叩いた。
「助かった。礼を言う」
「仕事だからな」
俺は短く返す。
彼女の手は、俺の肩を掴んだまま離れようとしなかった。
その指が食い込む強さが、彼女の恐怖と、安堵の深さを物語っている。
「帰ろうぜ。腹減った」
「ああ……そうだな。肉、食いたいな」
俺たちはワイバーンの素材を回収し、山を下りる。
エルザは何度も、腰の新しい剣に手を触れていた。
その感触を確かめるように。
そして時折、俺の背中をじっと見つめている視線を感じる。
彼女の中で、何かが決定的に変わった。
「便利な荷物番」から、「自分の命を握る存在」へ。
それは俺が望んだ平穏とは少し違う方向かもしれないが、とりあえず今日も生き延びた。
それだけで十分だ。
俺のリュックは軽くなったが、背負った「重み」は増したような気がした。
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